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2005年4月26日発行
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JMM [Japan Mail Media] No.320 Extra-Edition2
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http://ryumurakami.jmm.co.jp/
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▼INDEX▼
■ スロヴェニア・レポート 第1回
■成田真巳:スロヴェニア在住
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■ スロヴェニア・レポート 第1回
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スロヴェニアに住んで早や1年半が過ぎようとしている。しかし10年前の私は、
1人のスロヴェニア人に会うまでその存在すら知らなかった「未知の国スロヴェニア」
に移り住むことになるとは想像すらしなかっただろう。後に私の人生を大きく変える
ことになったスロヴェニア人の夫と出会ったのは、初夏のパリだった。そして「スロ
ヴェニア」という国が存在することを初めて知ったのは、語学学校での夫の自己紹介
の時である。
旧ユーゴスラビアの国々については、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のニュースや、
旧ユーゴスラビアの崩壊をテーマにした映画「アンダーグラウンド」(エミール・ク
ストリッツァ監督)などで見聞きしたが、歴史的背景が難解で、日本から遠く離れた
国々で起きていた出来事だと感じていたせいか、「スロヴェニア」という国が私の記
憶に残ることはなかった。そのせいか「スロヴェニア」という国名を聞いてからも、
しばらくは「スロバキア」だと思い違いをしていたのを覚えている。
しかし、スロヴェニアについて何も知らなかったのは、遠い日本から来た私だけで
はない。ヨーロッパ諸国からの学生達の中にもスロヴェニアを知る者は非常に少な
かったのだ。特に、隣国のイタリア人の中にもスロヴェニアを知らない者がいた時に
は本当に驚いた。夫はスロヴェニアについて質問されるたびに、地理、簡単な歴史か
ら政治に至るまで逐一説明しなければならなかったのだが、やはり旧ユーゴスラビア
に未だに付きまとう様々な負のイメージを払拭するのは難しかったのか、スロヴェニ
アという国について正確に知ってもらうのは大変だったようだ。
旧ユーゴスラビアから独立して10年以上が経ち、昨年EUにも加盟したばかりの
スロヴェニアだが、残念ながらその知名度はあまり上がっていないという印象がある。
最近もアメリカの某新聞で、地図上のスロヴェニアの位置に「スロバキア」と誤って
書かれていたことが発覚し、スロヴェニア国内で大きな話題になったばかりだ。過去
にはスポーツ競技の国際大会の表彰式で、何と他国の国旗が掲揚されるという珍事も
あったそうである。スロヴェニア人は、自分達の国の知名度の低さを示す出来事に憤
慨こそしているが、今までに何度も同じような事が繰り返されてきたせいか、仕方の
無い事だとあきらめているようにも思える。
スロヴェニアはバルカン半島の北西に位置し、イタリアやオーストリア、ハンガ
リーやクロアチアといった国々に隣接する人口約200万人の小さな国だ。国の面積
は日本でいうと四国ほどだが、トリグラウ山 (2864m)をはじめとする壮大なユリアン
・アルプスの山々、世界遺産にも登録されているシュコツャン鍾乳洞を代表とする国
内に6千以上あると言われている鍾乳洞、その幻想的な美しさで観光客にも人気のブ
レッド湖や、ヴァカンス向けのリゾート地にもなっているアドリア海など、その自然
は非常に多様性に富んでいる。
その美しさから「ヨーロッパの緑の宝庫」と称されるスロヴェニアだが、これまで
の歴史の中でスロヴェニアが歩んできた道のりは決して平坦なものではなかった。数
世紀にもわたるハプスブルク家の支配、そして数十年に及ぶ旧ユーゴスラビアの支配
に耐えてきたスロヴェニアが千年以上にわたる悲願であった独立をついに手にしたの
は1991年のことだ。
1989年から東欧諸国で活発化した民主化の波に後押しされるように、スロヴェ
ニアは1990年に実施された国民投票で88パーセントもの独立支持を得、199
1年6月25日に独立と主権を宣言した。その後、旧ユーゴスラビア連邦軍の独立阻
止の動きにより武力衝突が発生するも、スロヴェニア人の激しい抵抗により独立戦争
はわずか10日で終結、旧ユーゴスラビア連邦軍は同10月にスロヴェニアより撤退
した(この戦争でのスロヴェニア側の死者19名、負傷者182名)。翌1992年1
2月には独立後初の大統領選挙と議会選挙が実施され、ミラン・クーチャン大統領
(当時)が当選。自由民主党を中心とする連立内閣が成立し、その後EU各国等に
よって国家として承認された。また最近では2004年5月にポーランドやハンガ
リーなどと共にEUに加盟したのも記憶に新しい。
独立戦争がわずか10日間で収束し、内戦の泥沼化を免れた理由はいくつかあると
思うが、独立の正当性をメディアにうまくアピールしたスロヴェニア側の情報作戦が
功を奏した事もそのひとつに挙げられるだろう。武力衝突の発生後間もなく、リュブ
リャナで何度も記者会見が開かれ、連邦軍による軍事侵攻の状況が各国の報道関係者
に明らかにされた。そしてスロヴェニア政府は、記者会見を通して世界各国にスロ
ヴェニア独立への理解と支持を訴えた。この時の記者会見や各国での盛んな報道によ
り「スロヴェニアに侵攻した旧ユーゴスラビア連邦軍と少数ながら果敢に抵抗するス
ロヴェニア人」というイメージがクローズアップされたことは、独立戦争勝利に有利
に働いたひとつの理由ではないかと思われる。
小国であるという大きなハンデにも関わらず、旧ユーゴスラビア連邦軍にも果敢に
立ち向かったスロヴェニア人の独立への原動力は一体何だったのだろうか。私は「ス
ロヴェニア人としてのアイデンティティであるスロヴェニア語」だったのではないか
と思っている。18世紀にハプスブルク帝国の支配下にあったスロヴェニアでは、ド
イツ語が公用語として指定されており、スロヴェニア語は農民などの下層階級の人々
によって話される言語に過ぎなかった。しかし、次第にスロヴェニア語を民族として
の自覚の軸にしていこうという運動が知識人を中心に活発になり、スロヴェニア最大
の詩人であるフランツェ・プレシェーレンが19世紀に登場したことによって、その
運動は最高潮に達した。スロヴェニア人に歴史上で一番重要な人物は誰かを聞くと、
ほとんどの場合真っ先に挙がるのがこの名前だ。プレシェーレンの詩は、スロヴェニ
ア人にとって民族的自覚のよりどころになっており、1989年に制定されたスロ
ヴェニア国歌はこのプレシェーレンによるものである。
乾杯の詩 (スロヴェニア共和国国歌)
日が昇るところ、
争いはこの世から消え、
誰も自由な同胞となり、
境を共にする者は、
鬼ではなく、隣人となる。
その日を待つ民すべて久しかれ。
(以上 抜粋)
(「スロヴェニア」Cankarjeva zalo aリュブリャナ 重盛千香子訳 1996年)
この国歌を目にし、またスロヴェニア人からプレシェーレンの詩がいかにスロヴェ
ニア人とは切っても切り離せないものかを聞いた時に、これまでの歴史の中でスロ
ヴェニア語がどんなに重要な役割を果たして来たか少しだが分かったような気がした
ものだ。
私は現在、首都リュブリャナでリュブリャナ大学が主催するスロヴェニア語講座を
受講している。しかし、時にはその難しさに辟易してしまい、全てを投げ出したくな
る事もある。だがそれも無理はないだろう。難解な文法のせいで「私は5月に日本へ
行きました」という簡単な文を言えるようになるまで、何と半年を要したのだから。
しかしながらスロヴェニア人が今までにたどってきた歴史を考えると、スロヴェニア
語がわずか200万人によってしか話されることがないマイナーな言語であっても、
辛抱強く勉強しなければならないと思うのだ。
スロヴェニアは昨年EUに加盟した東欧諸国の中では経済の面でもトップクラスで、
生活水準においても西側諸国との大きな差を感じることはあまりない。生活に必要な
ものはだいたい何でも手に入るし、大型スーパーなども結構充実している。しかし面
白いのは、こんなに物があふれているのに、探している商品が簡単には見つからない
ことがある、ということだろう。私の友人は皆に「やかん」がどこで手に入るか聞い
てまわっていたし、私もコーヒーを濾す為のプラスティック製品をリュブリャナで随
分探したのだが、探し疲れて結局オーストリアの小さな町で買ってしまった(オース
トリアではすぐに見つかった)。物は沢山「ある」が、生活に必要な細々した物を探
すと「ない」事は、スーパーに行けばすぐに何でも手に入り、何を選んだら良いか分
からなくなる程の選択肢のある「便利な国日本」から来た私達日本人には不思議でも
あり、これもちょっとしたカルチャーショックだと言えるだろう。
共産主義崩壊後、システムの大きな変換を経験したスロヴェニアは、他の東欧諸国
同様時には立ち止まっているかのようにも見え、共産主義を知らない私は疑問に思う
ことも沢山ある。民主化からすでに10年以上の月日が経つが、長い間共産主義の中
で生きてきた人々のメンタリティを変えることは決して容易ではなく、これからも尚
時間が必要なのだろう。
時には大変なこともあるが、スロヴェニアという若い国は私にとって、あたたかく
成長を見守っていきたいような存在だ。旧ユーゴスラビアでの紛争のイメージのせい
であまり知られていないが、スロヴェニアは他のヨーロッパ諸国と比べても安全で、
豊富な自然にも恵まれた、大変住みやすい国だ。スロヴェニア在住の日本人は30人
余りと少なく、珍しさからか道でじっと見られ困惑することもあるが、スロヴェニア
人の寛容さや優しさに助けられることも多い。困っている時に声を掛けてくれ、分か
らない事があったら根気強く教えてくれる、そして日本人のようにシャイなスロヴェ
ニア人に私はとても親近感を持っている。以前郊外にある国際空港からリュブリャナ
にバスで向かおうとした際、偶然乗客が夫と私だけだったのだが、バスの運転手がわ
ざわざ自家用車で私の自宅の前まで送ってくれたこともあった。こんな事を経験した
事のなかった私は、スロヴェニア人の優しさに感動したものだ。
一般にスロヴェニア人は好奇心旺盛で勤勉な民族だ。大多数の若者は英語を話せる
上に、ドイツ語、イタリア語、フランス語までをも流暢に操ってしまうその器用さに
は舌を巻く。嬉しいことにリュブリャナでは、日本に興味を示してくれるスロヴェニ
ア人も少なくないようだ。3月中旬から首都リュブリャナのツァンカリオ・ドームに
て、日本文化フェスティバルが開催されており、様々なコンサートや歌舞伎の公演、
浮世絵の展示会、そして日本の知識人の方々による講演会などが催された。その折に
スロヴェニアにいらしていた村上龍さんと講演後にお話しをさせていただくという機
会に恵まれ、その後メールを差し上げたところ、思いがけなく今回スロベニアに関す
るレポートを書かせていただけることになった。私は不思議な縁でこの国に住むこと
なり、毎日様々な驚きとともに生活している日本人のひとりだが、このレポートが、
これからも成長が楽しみなスロヴェニアという国についてひとりでも多くの方に知っ
ていただくきっかけになれば、こんなに嬉しいことはない。
〔参考文献〕
『スロヴェニア』 ジョルジュ・カステラン アントニア・ベルナール著
千田善訳 白水社文庫クセジュ、2000年
『スロヴェニア』 Cankarjeva zalo aリュブリャナ発行 重盛千香子訳、1996年
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成田真巳(なりた・まみ)
スロヴェニア在住。成城大学卒業後、OL生活を経てフランスへ語学留学。留学先で
知り合ったスロヴェニア人と03年に結婚、スロヴェニアに移り住む。目下スロヴェ
ニア語と格闘中。
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