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天皇が日本国民の天皇として連綿と続いている以上、先代昭和天皇の為に「靖國神社で会おう」と命を散らして平和の生贄となった英霊が鎮座する靖國神社に参拝するのは、現天皇の義務であると、何故誰も声を大にして言わないのか? 現天皇は今年の新春歌会始に「戦(いくさ)なき世を歩みきて思ひ出づ かの難(かた)き日を生きし人々」と、先の戦争に思いを馳せた歌を歌いながら、靖國神社へ参拝しなければ、本心から「かの難(かた)き日を生きし人々」を偲んでいるとは言い難い。
心ある庶民の愛国者の多くは、ここ何年か8月15日になると靖國神社に雨が降るのは、英霊の涙雨だと思っている。そして皇室に40年近くも皇位継承者となるべき男子が生まれないのは、これはどう見ても自然とは言えない。側室がなくなったという見解もあるかもしれないが、男子が生まれないのは皇室の直系だけではないのでその見解の説得力は薄い。昔から世相が乱れた時には大災害がよく起こるといわれているが、昨今の大災害とともに、これは英霊の嘆きが形として現われていると思っている人も多いと思う。もの言えぬ英霊は自分達の犠牲をないがしろにして省みない皇室に、そのような形で「NO」と意思表示しているのである。
天(皇室)が乱れれば地が乱れる。米国の弱体化政策の最優秀作品と成り果てた皇室の現状がある限り、地の乱れも収まらない。硬直した右翼は皇室に意見するとすぐ「不敬」と喚き立て騒ぎ立てるが、これでは右翼が皇室を北朝鮮の首領様と同様にしているのと変わらない。本当に皇室や日本を思うのであれば、今は右翼こそが率先して皇室を本来の姿に戻す捨て石となり、毀誉褒貶を恐れるべきではない。
下記より抜粋
http://www.ishiikazumasa.com/roaring/2005/04062005.html
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