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(9.11同時テロに寄せて)
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投稿者 かずや 日時 2005 年 4 月 11 日 23:50:17: JZNWUTEyM5co.

法学博士 ジョージ・ラムボーン・ウェスト
http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/08west.html

息苦しい暑さの中に2001年の夏は終わりつつあった。テレビの天気予報は
 各時間の10分前毎に、嵐の進路を伝えていた。そのハリケーンがメキシコ湾
 に入れば少しでも暑さから解放されるかも知れないと、私はハリケーンの動き
 を追っていた。その番組が終わった時、アナウンサーが現れて

 「飛行機がニューヨークのWTC(世界貿易センター)に衝突した」

 と告げた。この情報は進みつつあるハリケーン以上に恐るべき嵐であると直感
 し、私はテレビのチャンネルをCNNに切り替えた。

■2001年9月11日

 それは2001年の9月11日だった。1機がWTCのタワーの一つに突進し
 たと報道しているアナウンサーは、これが攻撃とは知らず、事故と考えている
 ようだった。

 最初の攻撃(8時46分)からおよそ15分後、そして私がCNNに切り替え
 てから8分後にもう一つのタワーが激突され(9時3分)、前機同様に多くの
 罪なき乗客やハイジャッカーが殺された。この時までには多くの報道関係者が
 駆けつけ、カメラは進行中の出来事をしっかりとレンズに納めた。各局のベテ
 ランキャスター達が出揃い、今起こったことについて推測して論評を始めた。

 そんな中でCNNニュースチームはジュリアーニ・ニューヨーク市長を見つけ、
 死者はいか程かと問うた。市長は1万人以上と答えていた。最初のタワーが崩
 れ始め、市長とのインタヴューが終わって、二つ目のタワーが突撃された後
 5分ばかりしてイスラエルのシャロン首相にインタヴューが向けられた。

 濃紺の背広姿で現れたシャロン首相は、 

 「米国はビン・ラディンを逮捕するために、直ちにアフガニスタンに進入すべ
  きである。その後で、サダム・フセイン逮捕のためイラクに進入しなければ
  ならない」

 と2分ばかりカメラに話していた。

 私が見ていた中で、イラクに関して発言があったのはそれが最初だった。その
 ため、余計、テレビの報道に引きつけられた。

 私は「おや?」と思った。シャロンは会議に向かう途中であると伝えられたが、
 誰もが知っているように、イスラエルでは夏は半袖の気軽な服装で会議に出席
 するのが通例となっている。シャロンはどうして背広姿で現れたのだろうか。
 もっと正式な会議からの帰りだろうか、またはサダムフセインが後押しをした
 自爆テロによって殺されたイスラエル人の葬式のためだろうか、それとも、
 結婚式? いや、彼は、今日のテレビのインダヴューのために前もって用意し
 ていたのかも知れない。

 それからおよそ5分ばかり後、ヘンリー・キッシンジャーがニューヨーク市内
 のCNNテレビ局からインタビューを受けた。彼とのインタビューは10分足
 らずで終わったが、シャロンの言葉をそのままコピーした内容のものであった。

 それにしても、その朝、彼は、何故、WTC(世界貿易センター)にある自分
 のオフィスに出勤しなかったのだろうか。そのことを質問されなかったのは
 不思議であった。

 当日、時々中座することはあっても、私はテレビのニュースを一日中追ってい
 た。シャロン、キッシンジャーを除いては、イラクへの攻撃についても、また
 サダム・フセインやビン・ラディンとの関係についても、誰一人として触れた
 者はいなかった。

 9月11日から間もない頃、WTCで働いている7000人のユダヤ人があの
 攻撃の日に出勤しなかったと報じられた。この情報は風評の形で多少広がりは
 したが、限られた僅かのテレビ局からのものであったため、まもなくマスコミ
 から消えていった。これまた奇妙なことである。

 ジュリアーニ市長の死者1万人以上という予想数は、恐らくWTCで働いて
 いる全員の数で、それは、確実な死者実数2792人と、その日欠勤した
 7000人のユダヤ人を加えたものであろう。確認された死者よりずっと
 多い欠勤者が当日いたということである。


■カスピ海の石油

 事件後、国内のテレビ各局はディスカッションの番組を設け、攻撃の推測や
 情報を伝えていた。そんな時、9月13日より前だと思うが、私は「芸術・
 娯楽」チャンネル、または「Eスパン」のチャンネルに合わせた。これらの
 チャンネルではそれまで世界のニュースに関するパネルディスカッションなど
 が組まれたことはなかったが、その時画面に現れていた女性は突然発言を遮ら
 れ、予定されていた番組は中止となって、代わりにカスピ海の石油についての
 番組が放映された。

 私は友人を電話で呼び出し、インターネットで「カスピ海の石油パイプ」等を
 調べてもらった。二人が見つけたものは・・?  

 カスピ海の海底およびその周辺の石油貯蔵量は、中近東の全量を合わせたもの
 に匹敵するものであることが判った。そして、1990年代初期、ソビエト
 連邦崩壊後または崩壊途上に、世界的規模の巨大な石油連合が組織されていた。

 他に発見したものは・・? 

 地図を調べてみると、外洋からカスピ海への唯一の実用的ルートはアフガニ
 スタンとパキスタンを通じてであることが判った。 現在、それらの国には
 ビン・ラディンを追跡捜査するため米国が駐屯している。皆さんは、米国が
 パキスタン への支持協力を求めつつあったことを覚えておられるだろうか。

 パイプラインが建設されれば、カスピ海周辺の石油は油送タンカーで全世界
 へ大量に輸送されることになる。ここで理解しておいてもらいたいことは、
 副大統領のディック・チェイニーがハリバートン石油会社のCEOという
 立場にいることである。

 この石油会社はブラウン・ルート建設会社を呑み込むほどの巨大な会社に
 なっている。ブラウン・ルート建設会社はキャムラ湾(ベトナム)を浚渫
 し、戦略 空軍司令基地を世界中に建設した会社である。

 更に思い出されることは、1930年代の初期、故ジョンソン大統領が国会
 議員に初当選した時、彼はこの建設会社が最初に抱えた国会議員であった。
 ここでこの会社の経歴を詳しく述べるつもりはない。読者のより良い理解を
 得るために、関係について多少触れただけである。


■攻撃の狙い

 さて、2001年9月11日の報道に話を戻そう。

 この朝、我々のリーダーや家族はどこにいたのだろうか? 

  ブッシュ大統領   − フロリダ州
  前ブッシュ大統領  − ホワイトハウス地下室
  副大統領夫妻の家族 − 隠れ家
  ブッシュ夫人    − 州外にてショッピング
  クリントン大統領  − オーストラリア
  ゴア元副大統領   − ヨーロッパ

 全員、訪れつつあった攻撃から無事な場所にいた。

 今、WTC攻撃から40分ばかり過ぎている。空気を懸念する部局にいる人々、
 交通整理に携わる人々、軍のレーダー室にいる人々、攻撃者達、そして警告を
 与えた罪人達(主として政府の要人達)だけが標的攻撃の実態を知っている。

 防衛に関係する各所に警戒が発せられた。報道関係間で根拠のない情報が広ま
 り、軍当局、ホワイトハウスでは既に避難した人々もいる、少なくとも避難を
 始め出した。

 ビン・ラディンから特務を受けた人々によってもう一機が軍当局に突っ込んだ
 が、やや低めに飛行したため、損害は少なかった。さもなくば大損害を受けた
 だろう。

 私は、この一機ともう一機の攻撃の狙いは、次の如くであっただろうと信じて
 いる。

 一機はホワイトハウスを狙ったが、実際には方向転換の位置をミスしたため、
 第二の攻撃目標である軍当局に突っ込んだ。そして航空機の乗客達の大胆不敵
 な敵に対する行動によってペンシルバニアに飛び入ってしまった他機は、本来
 ならばキャピタルビルを狙ったと考えられる。爆発力をフルに使うべく、キャ
 ピタルビルの丸屋根の直上にできるだけ近く飛行し、当ビルの石段の上に向か
 うことを計画していたと思える。

 この二機の狙いは何であったのか。それは米国人及び世界の人々に及ぼす反響
 が絶大であるように、攻撃目標が意図的に選定され計画されていたと、私は信
 じるのである。


■分析

 米国史には、リンカーン暗殺、パールハーバー攻撃、ケネディ兄弟の暗殺等の
 ように、陰謀が渦巻いている。残念ながら、真実が出現する前に多年が経過し
 てしまい、真実が明らかにされた時には色あせて少人数しか聞く耳を持たない。
 しかも、現行・現存の緊急事項ではないため、人々は無関心であることが常で
 ある。

 リンカーン暗殺はその好例であろう。1865年、当時の新聞は内閣の一員が
 暗殺に関わっていると伝えていた。その新聞は、無名の誰かが、暗殺者ブース
 の日記から切り離した数頁に書かれていた真実を伝えていた。今日新聞はある
 者たちによって支配されてしまっているが、当時はまだごく一部の新聞しか
 支配されていなかったため、このような真実が記事になったのである。

 切り離された日記の数頁が全て発見されたのは1970年代のことであった。
 それらの頁の中には

 「その通り、少なくとも内閣の一員が関係した陰謀であった」

 と明記されており、既に故人となっていた米国政府の秘密情報局員が伝える
 真相が記されていた。

 リンカーンの内閣の時代には、米国南部の文化を完全に破壊しようとする策略
 が一部の国会議員によって推進されつつあり、暗殺に関わった内閣の一員は
 その米国改変を支持する者であった。この真相が明らかになった時には特別
 関心を寄せる者もなく、メディアはその記事を多くの記事の中に埋没させて
 人々の目に触れないように努め、人々が忘れ去るのに任せた。

 米国では、パールハーバーについては、フランクリン・ルーズベルトに関する
 事実と共に真相が受け入れ始めたが、ケネディ兄弟暗殺等他の陰謀については、
 まだ一般には陰謀として受け入れられていない。全証拠物件にも拘わらず、
 単独犯に固執しており、射殺が定説となっている。

 次項では、私の生涯を通して得た見解を元に歴史に触れつつ、この拙稿の主題
 である9.11事件の背景について考察してみたい。


■可能なる結論

 ビン・ラディンとアルカイダが単独でこの攻撃を実行したとも考え得るが、私
 はそうは思わない。前に述べた状況証拠からして、この計画された一連の攻撃
 は、現在我々に知らされているよりも、そして歴史で教えられているよりも、
 遙かに規模の大きいものであったと信じている。

 サウジアラビアは近代王国で、私の子供時代にはイベン・サウドが国王であら
 れた。この国王は多くの妻と更に多くの妾を持っていたので、その子孫の数は
 相当なものであった。彼らは各種族や氏族の様式の中で政府の要務を充たし、
 階級制度を通して請願は承認をもって上位に上申される。個人面会が許可され
 ることも可能である。占領前の日本に似ている。そして1960年、70年代
 に石油によって巨億の富を得たサウジアラビアは、安いモスラム労働者を洪水
 の如く入国させた。

 パレスチナ問題は古代以来存在してきたが、危機が訪れ始めたのは1870年
 代であった。1948年にイスラエルが建国され、米国がイスラエル共和国を
 承認した時から、米国政府はイスラエルの支配を受けることになった。そのこ
 とはパレスチナをして彼らに対する憎悪と不安を煮えたぎらせることになる。
 更に、後に続くイスラエルの勝利が米国の援助が差し伸べられたものであった
 ことが、パレスチナの怒りの火に油を注いでいった。

 イスラエルと米国の共同戦線は、貧困な正統派イスラム人達には自分たちへの
 宣戦布告と解釈された。それに応えて、モスラムの聖職者たちは「ジハド」を
 宣言し、彼の民はそれに反応して、イスラエルと米国に対する戦いは生まれた。

 そして、イスラエルと米国によって、イスラエルと米国に対する戦いは
 「テロリズム」と呼ばれた。1948年以前、イスラエルは自国の戦闘員たち
 を「英雄」と呼び、最たる悪漢でさえ「ゲリラ」と呼んでいた。

 ド・ゴ−ル元フランス大統領は

 「占領された民は征服されることはできない」

  (自分たちの故郷の地を征服された民は、精神面まで征服されることはなく、
   戦い続ける)

 と簡潔に表現している。

 シャロンはイツハク・ラビンの死後、イスラエルの首相に選ばれた。聞くとこ
 ろによれば彼は理屈の解る人物であるとのことであるが、正統派で超保守的な
 現在のユダヤのラビの指導者たちはシャロンを軽蔑している。イスラエル秘密
 警察モサドの中核は、この正統派で超保守的なユダヤ人たちによって組織され
 動かされている。ラビン暗殺も彼等の手によるものとさえ非難されている。

 彼等は、また、3%の少数でもって、米国の(まやかしの)選挙を通じて米国
 を支配している。彼らは、前大統領のジョージ・ハーバート・ウォーカー・
 ブッシュの息子ジョージ・W・ブッシュを当選させるべく、共和党にクリスチ
 ャン連合を組織した。
 (連合という言葉には注意が必要。今、イラクを征服しようとしている軍に
  対しても使用されている)

 前ブッシュ大統領は第一次湾岸戦争に軍隊を送った人物であるが、その終期に
 サダム・フセインから暗殺未遂の報復を受けている。先程、9月11日に父親
 の前ブッシュ大統領がホワイトハウスの地下室にいたことをお知らせしたが、
 それはシチュエーションルームと呼ばれていて、地下約250フィート(約
 75m位)にあると、世間で言われているものである。

 私の生涯をかけての学究を基にして、これ迄述べてきたことより言えることは、
 アフリカにおける攻撃はビン・ラディンの手によるものであったこと、そして、
 イスラエルの秘密警察モサドが関与していたことである。

 世界最高の秘密情報局を保有するモサドは、長年にわたり疑いなくサウジアラ
 ビアの王室に浸透し、ビン・ラディンのグループが攻撃を起こすように誘導し
 ていたと私は信じる。

 2000年10月12日にイエメンで起きた「米イージス艦コール爆破事件」
 もモサドが企て、ビン・ラディンのグループに実行させるべく誘導し、操って
 いた。

 ところが、米国は、この事件を口実にして中近東に武装軍を侵入させ対パレス
 チナ戦に持っていくことができなかった。そこでWTC攻撃がなされた、と私
 は信じている。その攻撃の結果は皆の知るところである。

 パレスチナにはイスラエルの手の届く政府が一時的に存在したが、この政府は
 短期間で退いた。アフガニスタンを守る米国兵達は任務のためのカブウルを出
 ようと必死であるが、彼等(NATO軍を含む)への憎しみを抱く民によって
 遮られることが多いし、パキスタンへの入国も、もし許されるとしても、ほん
 の僅かなものであろう。

 米国の兵士たちはまた、イラクでもゲリラ戦で日々命を失っている。厳選され
 た議会によってイラクは治められている筈であるが、代理政府による占領統治
 の終結は見えず、戦いは果てるともなく続いている。シリア、イランが次の
 戦いのリストに現れよう。

 ド・ゴールは正しい。


■おわりに

 この拙稿は細微に亘って研究した学問的論文として書いたのではない。むしろ
 私自身の思考パターンを表現したものであり、長年学究を重ねた老生が、9月
 11日当日知らされた事件に関してテレビを観ながら感じたことをお伝えした
 ものである。事件前にいかに思考パターンが形成されていたか、そしてあの日
 以来、二度目の記念日を迎えて、これ迄重ねてきた思考を伝えるものである。

 これらの考えは全く新しい情報が明るみに出たら、また、今日明らかになって
 いるものに追加情報が出た場合には、多少変わる可能性もあろう。それがすな
 わち「言論の自由」であり、事実、自由とはそれ以外にない。

                       (2003.9.11記)

http://www5f.biglobe.ne.jp/~shishoukaku/08west/0801paper/150911summer.html

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