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ありがとうございます。少しずつ「ミッシング・リング」がつながり始めました
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投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2005 年 4 月 09 日 06:13:37: SO0fHq1bYvRzo

(回答先: 補足 P2、赤い旅団 投稿者 kamenoko 日時 2005 年 4 月 08 日 06:08:05)

ありがとうございます。少しずつ「ミッシング・リング」がつながり始めました。


うーむ。アニエッリ家にP2、ビルダーバーガー、ブルボン家にシオニスト・ユダヤ、ついでに「モスクワ・トリポリとのビジネスコネクション」と「赤い旅団」ですか。これは面白い! 一つ一つについてゆっくりと調べてみましょう。おかげさまで少しずつ、ですが、近代史の「ミッシング・リング」がつながってきそうです。ありがとうございます。

2003年1月に亡くなったジョヴァンニ(ジャンニ)・アニエッリは、フィアット初代のジョヴァンニ・アニエッリ(1866〜1945)の孫ですね。そしてその母がブルボン家ですか。

http://www.nndb.com/people/268/000086010/
を見ると
Father: Eduardo Agnelli (b. 1892, d. 1935, plane crash)
Mother: Donna Virginia Bourbon del Monte di San Faustino (b. 1899, d. 1945, car crash)

というようなことが書かれてあるのですが、初代のジョヴァンニはすでにブルボン家とは非常に深い関係だったと思われます。この二人が結婚した年までは今のところ分かりませんが、オプス・デイが作られる1929年以前でしょう。スペイン王家継承者でブルボン家当主であったドン・フアン・デ・ボルボン(現フアン・カルロス国王の父)はその父アルフォンソ13世と共に亡命中であったローマで、1935年にオルレアン家王女マリア・デ・ラス・メルセデスと結婚しています。

そしてオプス・デイ随一のイデオローグであったラファエル・カルボ・セレルが、スイスでフランコ後の政治体制について会談したのが1942年ですから、すでにオプス・デイはこの年までには完全にイタリア(というより欧州)の上層部に入り込んでいた、と見るべきです。フランコが政権を握ったのが1939年で、フランコの周辺で組織として成長した(と一般的に思われている)オプス・デイはほんの表面的な姿で、実際にはリチオ・ジェッリ(1936〜39年のスペイン内戦中は黒シャツ隊メンバーとしてフランコの顧問であった)がすぐにローマに引き入れたものと思われます。

ドン・フアン・デ・ボルボンはフランコを非常に嫌っており、フランコも王家を遠ざけてスペインに入れないようにしていましたので、そのフランコに目をかけられた程度の得体の知れない新興教団の代表者に会って、スペインと自分の可愛い息子の将来を託すようなことは、本来ならばありえないことです。つまりすでにオプス・デイは30年代の終わりごろには欧州の闇(というより「雲の上」)に入り込み、バチカンはもとよりブルボン家とは十分に近い仲になっていたのでしょう。そしてそこにアニエッリ家が介在したことは間違いないものと思われます。

そしてデ・ガスペリがオプス・デイの重要関係者であることは間違いありませんし、またアンドレオッティもこの教団の会員である、という説もあります。これは私の昨年の投稿
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http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/391.html
日時 2004 年 5 月 02 日 07:55:44
ベルルスコーニを罵倒する(2):メディアの帝王、マフィアの世話人、隠れP2
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の最後の部分に引用した文書(残念ながら原文は現在つながらなくなっているようです)に、『現在ジェルリは詐欺の罪で服役中である一方、ロベルト・カルビの未亡人は、元首相でありオプス・デイのメンバーであるジウリオ・アンドレオッティを、P2の真の頭目であるとして告発した。アンドレオッティがシオン修道会のメンバーであると断言されることは、驚くべきことではない。』と書かれてあります。十分な検証はできていませんが、そうであったとしても決して不思議ではないでしょう。

またブルボン家やポニアトウスキ家の人脈を通して、あるいは欧州財界を通してフランスの政治中枢部に1950年までには完全に入り込んでいたようです。

当然のこと、ブッシュ家とキッシンジャーとは縁浅からぬ教団で、ジャンニ・アニエッリとも重なりますし、『エンリコ・ベルリンガー(Enrico Berlinguer)とは終生の友であり、彼を通じてモスクワ・トリポリとのビジネスコネクションを結ぶ』ことと、リチオ・ジェッリがKGBのダブルスパイであり、オプス・デイが共産圏にコネクションを作っていたというような話も、うまく附合しているようです。

そしてジャンニの後継者が次々と死んで、現在フィアットがアニエッリ家から離れてシオニストらしきユダヤ人の手に入ったわけですか。このへんもなかなか示唆に富んでいるようです。

今回教えていただいた情報を元に、もうちょっと突っ込んで調べてみましょう。現在、時期教皇は誰になるのか、という問題で、オプス・デイの本質的な部分を洗いなおしているのですが、このような情報は本当に役に立ちます。

以前からこの教団はどうもスペインらしくない、という思いがして、気になっていたのですが、むしろイタリアらしい教団だ、というのなら腑に落ちます。スペイン人はとてもじゃないけどあれほど緻密で組織的な動きは出来ませんから。その歴史の初期から「本体」がローマにあったとすればこの疑問も解けます。

彼らと「極左」とのつながりは私にとっては今後の課題ですが、アニエッリ家やP2と「赤い旅団」のつながりがあるのなら、彼らとつながるオプス・デイもまたしかりでしょう。特にアンドレオッティが絡んでいるのなら、その可能性は非常に高いでしょうね。

スペインでもどうやらETAとCIAのつながりがあった様子ですし、CIAはオプス・デイとつながっていますから、コネクションが無いと言うのは不自然です。カレロ・ブランコの暗殺にしても警察官僚を操って暗殺したETAメンバーを逃がす余裕を作った事が疑われます。「右」も「左」も「過激派」も、独裁政権も民主体制も、彼らにとっては「手段、道具」に過ぎませんからね。

また引き続いて、様々な情報交換をいたしましょう。では。

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