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中国・韓国は「日本によるアジアの開放」を侵略と呼び、華僑は東南アジアで白人の植民地支配の手先となった。
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投稿者 TORA 日時 2005 年 3 月 15 日 15:51:23: CP1Vgnax47n1s

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu90.htm
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中国・韓国は「日本によるアジアの開放」を侵略と呼び、
華僑は東南アジアで白人の植民地支配の手先となった。

2005年3月15日 火曜日

◆黄 文雄【著】 捏造された昭和史
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9978557393

◆朝鮮の近代化は「日帝統治」に始まったのが常識

日本の植民地となった「日帝三十六年」の時代を、韓国人・朝鮮人の学者、そして一部の日本人の学者たちも含め、その時代を史上最悪の植民地統治と書き立てる。また日本の政府関係者が「日韓併合には韓国側にも責任がある」とか、「日本の統治ではよいこともした」などと一言発言すれば、すぐに妄言だといって蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。

フランスのベトナム統治についても、『ベトナム亡国史』の著者、播侃珠は、「五大州の文明国の悪知恵をすべて集めたところで、とても思いつくことのできないあくどい方法で、フランスは苛敏課求(苛酷な搾取)を重ねた」といっている。どうも半島の人間には共通の論理と心理があるようである。

戦後、韓国人・朝鮮人の人々が過去の恨みつらみを「日帝三十六年」にぶつける気持ちはわかるが、決して日本の植民地統治のすべてが悪夢のようにひどかったわけではない。もし「日帝三十六年」を七奪-朝鮮王朝、主権、領土、資源、国語、生命、氏姓の略奪と、三.一独立運動のような独立闘争のみで塗りつぶしたら、それ以上の歴史の歪曲はないだろう。

実際のところ、日本が植民地統治した三十六年間、朝鮮総督府の殖産興業は予想以上に成功し、朝鮮半島の近代化に大きな貢献をしたのである。

二〇世紀に入り、朝鮮は大韓帝国という名の衣をまとい新たな出発を試みたが、国家財政はすでに破産状態で建て直すのはむずかしかった。初代統監となった伊藤博文は日本政府から無利子・無期限、当時のレートで二〇〇〇万円を借り、初代総督となった桂太郎は、さらに三〇〇〇万円の大金を投入して朝鮮の財政を支えた。

その後も「日帝三十六年」のあいだ、年平均一〇〇〇万〜一五〇〇万円の借款を日本政府に行なっていた。すなわち朝鮮総督府の年間予算の約一〇分の一以上を日本の支援でまかなっていた勘定になる。当時の、イギリス、フランスなどが植民地からしぽり取っていたのとはまったく逆に、日本帝国の中央政府の国庫から出す一方だったわけである。

朝鮮総督は半島に鉄道を敷き、道路を通し、港湾を築き、製鉄、造船、重化学などの工場をつくった。さらに禿げ山に木を植え、治水、灌概事業を行ない、農業の改良や小作制度の改善など、あらゆる面で近代化につとめた。併合当時、一五ほどの工場しかなかった朝鮮だったが、一九三五年には五六三五にまで増加し、工場が林立した。

一九四一年、農業生産高は朝鮮の総生産高の四〇・六パーセントを占め、工業生産高は三六・五パーセント、鉱業は八・一パーセント、鉱工業合計で四四・六パーセントにのぼった。このころ朝鮮は農業社会から着実に工業社会へと歩を進めていたのである。なお、台湾の工業化は三〇年代から始まっていたのである。

日本の植民地統治の朝鮮半島における貢献は、インフラ整備のような物質面だけにとどまらず、近代化された社会における市民意識、さらには朝鮮人としての民族意識を形成したという点で大である。これは精神史としても、文化史としても画期的なことといえる。

近現代の朝鮮史における「日帝三十六年」のなかで、最も非難されているのは「武断政治」と「憲兵・警察」の制度である。しかし、朝鮮総督府の武断政治は、大韓帝国の皇帝や両班(官吏)による政治ほど「武断」ではなく、憲兵警察との二本立ての制度はフランスと同じで、主な目的は朝鮮人警察に対する汚職防止と治安維持だった。

併合初期の治安維持には大きな貢献をしている。たとえば、明治四一年(一九〇八年)一〇月から翌年の初年度に発生した傷害事件は七八○件、延べ三万四四〇〇人にのぼったが、五年後には五件、延べ四五人にまで減少したのである。

さらに、朝鮮の治安に携わった憲兵警察官は朝鮮人警察官を入れても、人口二二〇〇万人に対して総数たったの七七一二人にすぎなかったのである。朝鮮の警察力は同時期の台湾にくらべ、半分ほどでしかない。二二〇〇万といえば現在の東京都と同じくらいの人口だが、東京都の警察官の数は二万五〇〇〇人である。その約半分の人口の香港で、警察力は三万人であったことにくらべれば、日本の施政は人民を武力でねじ伏せる武断政治など」といえるほどの物理的な力は持っていないことがわかる。

治安の維持ばかりではない、日本の統治時代には、司法制度が確立され、保健衛生施設が整備・普及し、医療改善に力が入れられ、伝染病やアヘン中毒患者を減少させた。ことに近代教育の普及には大きな貢献をしている。朝鮮においては数千年来の漢字文化・儒教文化が普通教育の重い足かせになっていた。しかし、日帝統治はこれを実にうまくこなし、教育の普及に成功を収めた。これは台湾においても同じである。

日韓併合前、中国にならった官吏登用試験である科挙制度が廃止されたのち、教育機関としては習字と漢籍の素読を教える書堂が約一万六〇〇〇ほど、学習児童は一四万人ほどしかいなかった。当時の総人口の一パーセントほどである。台湾でも同じような状況だった。しかし、昭和一八年の朝鮮では就学率は六一パーセントに達し、昭和一九年には国民学校が五二一三校、生徒数は二三九万八○○○人あまりにのぽった。同じころ、台湾では就学率九二・五パーセントにも達している。

京城帝国大学が創設されたのは一九二四年、台北帝国大学は一九二八年に創設されている。ところが内地の大阪帝国大学はそれより遅れて昭和六年(一九三一年)、名古屋大学は昭和一四年(一九三九年)である。

「日帝三六年」では愚民政策がとられ、多くの文盲をつくりだしたなどという今日の韓国人・朝鮮人の学者の言い草は、いったい何を根拠にしたものなのであろうか。

フランスの人文地理学者のジャーク・プズー・マサビュオー氏は『新朝鮮事情』(白水社)のなかで、冷静かつ客観的見地から、日韓併合が韓国に近代化をもたらしたことを率直に認めている。七奪という視点のみで「日帝三十六年」を考えず、韓国・朝鮮にもたらしたプラスの面も認識しなければ、「正しい歴史認識」をすることはできない。(P208〜P213)

◆白人の代理人・華僑の粛清で日本軍は歓迎された

日本が東南アジアに進軍して現地人から歓迎されたのは、支配者である白人たちを追放したためばかりではない。白人の代理支配をしていた華僑を粛清したためでもあるのだ。このことは日本ではあまり語られていない。

物産の豊かな東南アジアはもともと人口は多くはなかった地域である。中国からの漢人の移民は昔からあったが、一九世紀になると中国では戦乱や飢饉が繰り返され、海路を通って大量の余剰人口が流れ込んできた。この人々はやがて東南アジアで独自の華僑社会をつくり、白人の植民地統治者の番頭として働くようになった。

西欧の植民地支配は、たいてい代理統治する人種を設定するものだが、アジアではミャンマーを境にインド洋からアフリカが印僑(インド人商人)、ミャンマーより東が華僑というように代理人が定まっていた。現地人は政治的に白人に支配され、経済的に華僑に搾取された。

だから政治的な変動があるたびに華僑には襲撃が加えられたものだった。今日にいたっても、経済面でも文化面でも現地人の華僑に対する反感は消えていない。華人のリー.クアンユー.シンガポール元首相がシンガポール以外、東南アジアでまったく人気がないのはそのためだ。

東南アジアで華僑に対して最も厳しい措置をしているのは、華僑の人口が全体の三パーセントにしかならないインドネシアである。そこでは華語(中国語)の書籍の販売も、持ち込みも禁止された時期さえある。

日本軍とビルマ独立軍がラングーンを解放したとき、まず追放したのが、それまで白人(イギリス)支配者と手を組んでビルマを搾取しつづけていた印僑と華僑だった。イギリスはビルマを統治するとき、被支配者たちが団結しないように少数民族によって統治のための軍隊を編成し、華僑と印僑を利用して代理統治させていたのである。彼らの追放なくして植民地からの解放はなかった。

インドネシアでの独立運動は歴史が長く、共産主義運動もアジアで最初に行なわれていたが、インドネシアの独立運動は華僑の経済搾取に反抗する運動でもあった。オランダ統治下の華僑の商業活動はきわめて悪質で、統治者と結託し、彼らの手先になってオランダ人よりも苛酷にインドネシア人を搾取していた。だからインドネシア独立運動の初期に誕生した組織、イスラム同盟の運動は、直接的には華僑を排斥する運動となった。

華僑というものは非常に投機的、保守的である。彼らは現地人を蔑視し、居住地の民族とは決して同化しようとしない。さらに華僑の資本はほとんど地元に還元せず、利益はみな華僑たちに独占されてしまう。華僑が彼らの故郷とする中国へ投資すればするほど、地元の反発は高まり、対立は激化する一方だ。東南アジアの諸民族は華僑に根深い反感を持っており、経済的問題を超えて、もはや民族問題と化している。

もし日本軍による華僑粛清がなければ、マレーシアの独立はなかったといっても過言ではない。日本軍はマレーで華僑を追放し、マレー人を行政の担い手として教育した。このときの人材が今日のマレーシア連邦の基礎をつくったのである。

東南アジアでよく反日デモが行なわれたりすることがあるが、反日運動をしている人間がだれなのかよく識別しなければならない。これを主導しているのは、華僑と、何らかの政治的意図のある日本のマスコミなのである。

東南アジアの住民は基本的に親日的であり、大規模なデモになるような反日感情は持っていない。東南アジアの華僑は日本政府の戦争謝罪をよろこんで受け入れるだろう。しかし、諸民族はそれを日本の東南アジアに対する敵対行為と見るはずである。(P231〜P234)

◆日米決戦はアジア・ナショナリズムを覚醒した

西欧に対抗する大アジア主義の思想は、決して日本独自の超国家思想ではなく、中国の孫文も、インドのチャンドラ・ボースも、ハワイのカラカウワ国王も持っていた思想だった。しかし、日本を中心として展開する「大東亜共栄圏」の構想は、日本の大陸進出が進行するにつれて大陸からも半島からも受け入れられないようになり、日本はむずかしい現実を前にして孤独な戦いをすることになってしまった。

その当時、日本が中国を援助し、列強諸国による帝国主義侵略に抵抗すれば、アジアの歴史は変わっただろうと反省をする人もいる。しかし、それは妄想というものだ。日清・日露の戦争が「帝国主義戦争」だとするのは、日本の国力を買いかぶっている話である。

日本にとってこの二つの戦争は無理を承知の上の戦争だったのである。日清戦争では外債を三分の一も使い、日露戦争では半分以上を費やした。兵器も多くは欧米製であり、日露戦争などは英仏の代理戦争といってもいいものである。

朝鮮や中国の近代化に日本が一定の役割を果たしたのは事実である。革命運動においても朝鮮の開明派を支援し、中国では孫文、段棋瑞、張作霧、蒋介石、江兆銘などの革命家に対して支援を続けたことも事実である。しかし、中国や朝鮮ばかりでなく、アジア諸民族は内部矛盾が多く、いつになっても抗争が尽きず、不安定であった。諸民族への支援は、近代国家としては国益にたって行動すべきものである。しかし、それが往々にして裏目に出てしまうのは、二〇世紀のアジア史を見れば一目瞭然であろう。

日本が「東亜の解放」をとなえる前、ソ連は民族の解放を主張し、アメリカのウイルソン大統領は民族自決を主張していた。しかし、それらもあくまで理想論なのであり、日本が提案した人類平等の議題が国際連盟の総会で否決されたとき、民族自決などは白人種のものであり、有色人種にはおよばないということが明白となった。ソ運は美しい理想を掲げつつ、事実上は諸民族を再征服し、ロシア帝国を再建した。アメリカも中南米まで勢力下に置いていた。それがモンロー主義の実態である。

欧米中心の世界秩序は日本の介入を許さなかったのである。日本がアジアから白人を追い出し、日本の国益を確保するには、アメリカと対決するしかなかった。日米決戦(太平洋戦争)は日清・日露戦争と同じようにもともと無理な戦争だった。しかし、日米戦争は、日露戦争と同じようにアジア諸民族に大きなインパクトを与え、東亜の諸民族を覚醒させ、ナショナリズムを形成させたのである。

数百年にわたる西洋植民地体制が日本軍の一撃でもろくも崩壊したのである。アジア諸民族からすれば、神にも近い位置に君臨していた白人が、ついに負けたのである。シンガポールが陥落したとき、イギリスに亡命していたド・ゴールも、アジアの白人帝国、西洋植民地体制が終焉したと日記に書き記したほどだ。

日本の敗戦後、イギリス、アメリカ、フランス、オランダは再び東南アジアに舞いもどってきたが、時代はすでに変化していた。かつて支配下に置いていた有色人種はいつの間にか変わっていたのである。日本軍によって編成され、訓練された独自の軍隊が東南アジア各地にあり、しかも人々はナショナリズムに燃えていた。再来した欧米の支配者にはもう押さえる力がなかった。

黄文雄[コウブンユウ]
文明史家、評論家。1938年台湾生まれ。64年来日し、早稲田大学商学部を卒業、明治大学大学院修士課程を修了。『中国之没落』(台湾、1991年)が大反響を呼んで以来、旺盛な執筆・評論活動を展開しており、次々と問題作・話題作を世に問うている。巫永福文明評論賞、台湾ペンクラブ賞を受賞

(私のコメント)
中国や韓国の反日に気運は強くなる一方のようですが、これに対して日本は友好が第一として政治家もマスコミもただ謝罪するばかりで、まともに議論をしようという気運がなかった。どういうわけか歴史的事実を学術的に検討しようとしても、中国や韓国側はそれを避けようとする。公平中立に見るためには中立的な立場の外国人に判断してもらえばいいのだと思うのですが、それすらも否定しようとする。

たとえば韓国人などがアメリカやオーストラリアの大学などに留学しても、韓国で教わってきた自国の歴史が大きく違っているので騒動を引き起こしたりしている。中国人も同じであり、アメリカ国内ではアイリス・チャンなどの活動家が反日的なプロパガンダを繰り返している。歴史に詳しくない一般のアメリカ人などは中国や韓国の反日活動家のプロパガンダをそのまま信じている人も多いようだ。

ここに紹介する「捏造された昭和史」は台湾人の黄文雄氏の著書ですが、実に細かく昭和史を歴史的に検証している。台湾人だから反中国的であることは考慮しても、学校などでは教わらないような事実がこの本には多く紹介されている。もっとも反日的な左翼の人たちは黄文雄氏を右翼としてレッテルを貼って読まないでしょう。

しかし台湾人の視点から日本の近代史を見ることも大切だと思う。日本ではもっぱら中国人や韓国人の活動家が反日史観を広めていますが、これは日本に対する世論工作活動の一環であり、日教組などにも大きな影響を与えて日本の歴史教育を大きく歪めている原因になっている。

しかしながら中国や韓国からの歴史認識ばかりでなく、黄文雄氏のような台湾や、マレーシアのマハティール前首相などの著作物にも目を通さなければ、公平な歴史の見方は出来ないだろう。ところがマスコミのニュースでは中国や韓国の反日史観ばかりが報道されて、韓国などは植民地支配ではなく国が合併したのであり、植民地支配と言う言葉は間違っている。

中国にしても日本が一方的に攻め込んだのではなく、共産党の謀略に引っかかって引きずり込まれたとみたほうが正確だ。当時の中国は各地に軍閥が割拠していて、日本軍を引きずり込んで自分を有利にしようとする共産党や各軍閥が多かった。蒋介石軍もその一つであり、総司令官の岡村寧次大将が無罪になったのもそのような複雑な事情があったからだ。

もし本当に中立公正な歴史検証しようとしたら困るのは中国や韓国のほうだろう。「捏造された昭和史」は980円の文庫本だから一度読んでみて、最近のノムヒョン大統領の演説や中国の高官の発言などを比べれば、中国や韓国が日本に対する歴史カードで自国を有利にしようとする外交戦術であることが分かるはずだ。

◆【中国】外交部:韓国大統領演説に言及、戦争責任を強調
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050302-00000002-scn-int

中国外交部の劉建超・報道官は1日の定例記者会見で、韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が1日、「3・1独立運動」の記念式典で、日本側に過去の歴史をめぐる謝罪や賠償の検討を求めたことに言及。「演説の原文はまだ見ていない」とした上で、「日本側が適切に歴史問題を処理するべきだ」と発言した。

 劉・報道官は、「中韓両国の、日本帝国主義が引き起こした侵略戦争に対する考え方は基本的に同じ。中韓はともに戦争の被害国だ。日本が歴史を鑑(かがみ)として、歴史問題を解決する上で適切な態度を示すことを望んでいる」「日中、日韓関係の改善及び発展が、アジア地域の平和と安定に貢献する」などと強調。

 賠償問題については、「中国はこれまで何度も立場を表明してきた。第2次世界大戦では、日本帝国主義は中国を含むアジア地域の人々を傷つけ、生命及び財産に大きな危害を加えた」とした上で、日本側に歴史問題を適切に処理するよう求めた。(編集担当:田村まどか)


(サーチナ・中国情報局) - 3月2日9時38分更新

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