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ハウルの動く城は全て魔法で解決だった   山咲唯一  
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 3 月 10 日 06:27:07: ogcGl0q1DMbpk

シネマ・クリティーク

http://www.bund.org/culture/20050315-3.htm
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宮崎駿監督『ハウルの動く城』

ハウルの動く城は全て魔法で解決だった

山咲唯一

 『ハウルの動く城』は、日本映画の観客動員数を上映開始の11月20日以降更新し続けている。超人気アニメである。ストーリーはヨーロッパのどこかであるような雰囲気の国が舞台。18才の少女ソフィーが主人公だが、彼女は荒地の魔女に呪いをかけられ90歳の老婆になってしまう。そのソフィーがハウルの住む動く城に掃除婦として住みつく。ソフィーは大変受容性のある女性で、もともとは家業である帽子屋を、好きな仕事でもないのに長女であるからという理由で継いでいた。一方、ハウルはソフィーとは正反対で、家の片づけなどをまったくせず、そのため家中は荒れ放題。家のことは同居人に任せ、行き先も言わずふらりと出て行ってしまう。  

 ソフィーはやがて火の悪魔カルシファーとの取引で術をとかれ、もとの18歳の少女に戻る。そうこうして、最後にソフィーにずっと同伴している案山子のカブにソフィーがキスをすると、彼は実は隣の国の王子で魔法によって案山子に変えられていた。「国に帰って戦争をやめさせます」と王子がいい、それを水晶球で見ていたハウルと、敵対している国王付きの魔女であるサリマンが「総理大臣と参謀長をよびなさい。このばかげた戦争を終わらせましょう」となって、アニメが締めくくられていく。  

 観ていて思うのだが「ばかげた」戦争自体はなぜ始まったのか。どういう悲惨な状態を生み出しているのかが見えず、なんだかよくわからない戦争が続いている。現在の社会の厭戦的な雰囲気とマッチしているのか。それに戦争を推し進めている主体と、戦争に反対している主体も出てこないので、全体を通してテーマが明確でもない。ソフィーとハウル達が自分たちの家族を守ることが、即平和につながるといった雰囲気的なものは感じるけど。  

 今までの宮崎監督は、エコロジー的な観点から自然と人間の調和的なあり方を明確に描いてきた。「ハウル」ではその観点は後退し、戦争に反対する立場だけがみえる。それはそれでよいのだが、ストーリーがすべて魔法仕立て、それですべてが変わっていく。その魔法が平和をとくカギ?  

 私たちが映画を見ていて本当に面白いと思うのは、不条理な世界に対し、主人公が我と我が身をなげうってその不条理と闘い葛藤する姿に共鳴するときではないか。わが家族を守れば平和になるというようなものでは決してないと思う。平和を求めるのはわかるが、至るプロセスからは逃避しているのだ。  

 今の現実の世界を振り返ったとき、ある意味、この映画よりももっと奇妙な世界が展開している。ありもしない大量破壊兵器を巡ってアメリカが戦争を始め、たくさんのイラクの人々の命が失われた。大量破壊兵器がないことが明らかになっても、いまだに戦争は続き、アメリカ国民にとってイラクの戦争は正義の戦争ということになっている。日本の参戦も「復興支援」であると政府が平然といい、それがまかり通っている。そっちのほうがまるで魔法にかけられているかのようだ。  

 現実はこれに対して案山子にキスをすれば解決とはならない。  この魔法を解くには、私たちの地道な努力こそが試されなければならないと思うのだが、それも見えない。宮崎駿の希望ではなく、絶望がみえた映画だ。


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モーガン・スパーロック監督『スーパーサイズ・ミー』

アメリカは「戦争中毒」だけじゃなく「バーガー中毒」でもあった

江東拓美

 この映画は、マクドナルド商品を1ヶ月間食べ続け、体に起こる変化を調べようというドキュメンタリーだ。マクドナルドといえば、これまでにも反グローバリズムの立場から様々な批判がされてきた。世界121カ国3万店舗を進出させたマクドナルドは、文句なしにファストフードの代表である。と同時に、各々の国の伝統的な食文化を破壊してきた張本人でもある。仏ラルザックの農民ジョゼ・ボベが、建設中のマックを解体したのは有名な話だ。  

 監督モーガン・スパーロックは、反グローバリズムの闘士でもなんでもない。彼を駆り立てたのは「ファストフードを食べ過ぎたために短期間で体重が100キロをこえてしまった」という、2人のティーンエイジャーの訴えだ。これに対してマクドナルドは「自社の提供する食品の栄養バランスと肥満との因果関係はない」と反論し、少女たちの訴えは退けられた。スパーロック監督は、このニュースをみて「ファストフードは本当に健康に害がないといえるのか」と問い、みずからが被験者となる。  

 アメリカ人は家も車も巨大なのが好きだが、体もスーパーサイズ。しかしその肥満こそが、禁煙に次ぐ死の原因としてアメリカ国内で問題にされている。80年代にくらべ肥満人口は倍増し、今やアメリカ成人の60%が肥満か過体重。37%の子どもが肥満症に悩んでいる。  

 映画では、この実験にあたって「水も含めて、マックに存在するものしかオーダーしてはならない」「スーパーサイズをすすめられたら断らない」というルールを決める。「肥満の原因は、大量に食べた本人の責任」と企業側はいうが、スパーロックはほとんどの店でスーパーサイズをすすめられ、2日目の晩には早くも食べたものを吐きだしてしまう。  

 ビタミンやミネラルがほとんどゼロに近いために集中力も思考力も低下してゆく。それでかどうか、しばらくガマンすると「食べてまたすぐに食べたくなる」。脂肪や砂糖には習慣性、中毒性があるのだ。  

 アメリカは「戦争中毒」国家だが、食べ物に関してもそうであるみたいだ。それでもアメリカ人の大半が週に何度もファストフード店に足を運ぶのは、「中毒」になっているからである。  

 スーパーサイズのドリンクというとき、アメリカのそれは1・9リットルだ。そこに48杯分の砂糖が含まれている。それで彼は1ヶ月間でおよそ13キロの砂糖を摂取した。映画では、1日に8リットルものソーダ水を飲み続け、糖尿病になった中年患者なんていうのも出てくる。彼に対する最良の治療は食事療法ではなく、「胃袋を小さくする手術」であった。いかにもアメリカらしい発想だ。  

 実験の結果は、もともと健康体だったスパーロックの体に起こった変化は、コレステロール168から233の65ポイント増。体重は84・3キロから95・3キロの11キロ増。体脂肪は11%から18%の7%増であった。それ以外にも尿酸値があがり痛風を起こし、腎臓結石、肝臓機能も悪化した。  

 マクドナルドの最大の罪は、幼児をターゲットにしていることだとスパーロックはいう。日本でもおなじみだが、プレイランドを作ったり誕生パーティーをやったり、こどもたちを取り込む戦略には枚挙に暇がない。味覚が未発達なうちにマクドナルドに親近感を感じさせるようにした結果、「子どもは言葉より先にマックを覚える」ようになる。人間がブランドに忠誠心をもつのは、なんと2歳から。アメリカでは2歳から5歳までの幼児の4分の1が、自室にテレビをもっている。ドナルドおじさんなどのキャラクターは親戚のおじさんや大統領よりも先に刷り込まれてゆくのだ。  

 企業側は「身体を壊すのはマックのせいではない。看板をみても通り過ぎればいい」と、あくまでも自己管理責任を主張するが、そのためには判断する材料や情報が必要なはずだ。監督が取材したイリノイ州の学校給食現場では、チーフが「人生での正しい選択は教えている」なんて格好いいことを言っている。でもその内容は?   

 食堂に並ぶのはクッキー、フライドポテト、スナック菓子等々だ。中学生がフライドポテトと牛乳をセットにして「これで野菜とカルシウムは摂れたわ」なんて言うシーンも出て来る。他にも、冷凍食品、缶詰しか使わないので「最高の調理器具はカッター。ダンボールをあけるだけ」という給食調理場も出てくる。マクドナルドで3食食べると、1日の摂取カロリーは平均4986キロカロリー。成人男子の1日必要量の2倍だ。  

 このように、貧しい若者、生活に追われるシングルマザーの子どもたちほど、砂糖や脂肪が多くて安いファストフードに依存している。  

 企業責任と個人責任の境目はどこにあるのかというのが、この映画のテーマの一つだが、少なくともたくさん食べろと客にすすめておきながら、「食べすぎなきゃいい」はないだろう。  

 映画「スーパーサイズ・ミー」が公開されてから、マクドナルドはスーパーサイズをメニューからはずした。


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佐々部清監督『半落ち』

アルツハイマー患者家族が抱える苦悩

中島和人

 もう古い映画なのだが、思うところあってビデオを借りて観た。  周囲から人格的に尊敬されていた刑事が自分の妻を殺した容疑で取り調べを受ける。この取り調べの場面が映画の大部分を占める。元刑事の態度はいたって素直だ。しかし妻を絞殺したあとの2日間の行動をどうしても自供しない。これが「半落ち」という題名になっている。  

 裁判の過程で、殺された妻が実はアルツハイマー病で苦しんでおり、「発病後は生きている価値がない。病気の進行が進む前に殺してほしい」と夫である元刑事に訴えていたことが明らかになる。元刑事はそれに従った。つまり嘱託殺人であったのだ。  

 森鴎外の「高瀬舟」、深沢七郎の「楢山節考」など、嘱託殺人の複雑な背景をどう裁くかは古くからあるテーマだ。アルツハイマーの妻を絞殺した刑事も、ある意味で被害者の哀れさをもっており共感してしまう。  

 元刑事の妻は「自分の頭が壊れていくこと」への恐れと、家族への気遣いがあった。共に生活するなかでの愛憎相まみえる感情のゆれは、元刑事と妻の関係に限った話ではないだろう。裁判官も父親が痴呆症で、介護の苦労を抱えているという共通の問題を持っている。裁判官は元刑事への最終の質問で、「あなたにはアルツハイマーの家族に(人間的であるかどうか)の裁きを与えることができるのですか」と問いかける。  

 これは高齢化社会がすすむ日本の現状では誰もが突き付けられる問題である。介護疲れで殺人をおかしたり、心中したり、その矛盾のなかで追いつめられ、「人間的な生活ができない」と思いこむ事も大いにありうる。家族だけに介護の負担を押しつけるのではない、社会的なケアシステムやボランティアの充実など望まれるゆえんだ。  

 いずれにしても自分の家族の問題、そして自分の老後の問題について個人的な問題ではすまなくなっていることは確かだ。  映画では骨髄移植についての問題にもふれられている。元刑事には一人息子がいたのだが、14歳のときに急性白血病で亡くなっている。空白の2日間は、自分の骨髄の提供先である若者に会っていたのである。元刑事は若者を息子の生まれ変わりのように思って会いに行っていたのだ。  

 私もドナー登録を5年まえから行っているのだが、最近骨髄バンクから資金不足でカンパの要請がされてきた。骨髄提供を待ち望む人に提供するという社会的システムの確立は、間違いなく最優先課題ではないかと思ってしまう。  

 私も映画と同じような状態にある肉親の介護にあけくれる一人なので、映画を見終わってから、主人公を自分に置き換えてあれこれ考えてしまった。


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