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「日本は今、ファシズムだ。戦争と差別を志向している」 斎藤貴男さんの北海道歴史教育者協議会講演会
北海道新聞(1/11)
「日本は今、ファシズムだ」ということを最近、私は主張してます。はっきりそう思ったのは、昨年春のイラク人質事件です。高遠菜穂子さんたちが人質となり、三日以内に自衛隊を撤退させろ、さもなくば殺すといった、あの事件です。
家族が「とにかく撤退させてくれ」と言ったところ、マスコミや一部の心無い人たちからバッシングを受けた。政府側の反応は当初、「これは自作自演ではないか」というものだった。
一部の新聞は「自己責任なんだから、どうなったって知ったことか」という論調を出し始めます。無事に帰国した時の成田空港には「自己責任」「自業自得」などと描かれたプラカードも登場した。
私は、この時ほどマスメディアで働くことが恥ずかしくなったことはありません。これほど三人をおとしめるんだったら、マスメディアなんてなくていいんじゃないかと。
自己責任論に対する私の考え方をお話しすると、あらゆる人の行動に自己責任はつきまとう。もちろん、彼らにもあるわけです。だけどそんな自己責任というのは殺されかけたことで十分償われている。これを関係ない第三者があげつらう必要があるのでしょうか。
ある雑誌で作家が「こんな人たちは殺しなさい」とまで言っていた。こうした言葉がまともだとされてきた出版社から発行される時代。これが今の世の中だということです。
それから半年後、香田(証生)さんの事件が起きます。最初の段階で小泉さんは「自衛隊は撤退しない」と言った。最終的にそういう判断をしたとしても、表立って言ったら、犯人たちに「殺していいよ」と言っているのと一緒です。小泉さんは危機管理だとか国民の保護だとか言っていますが、明らかに人一人を見殺しにした。これは思想信条とかいう前に、人の資格がないのではないかと私は思います。
亡くなった香田さんの家族がメッセージを発表しましたが、彼らは息子を殺された悲しみも憤りも述べていない。まず「支えていただきました方々にご心労をおかけしたことを、心からおわび申し上げます」と世間に謝らなければならなかった。それはまさに四月のイラク人質事件から、この遺族が学ばされたことではないかと思います。
銃後の思想ですね。戦争で誰かが死んでも、戦争を始めた人に恨みがましいことを言ってはならない。いわんや戦争を止めろと言ってはいけないという空気が日本に充満している。
小泉政権はいろんなことを率直に言っています。一昨年、有事関連法が次々に法制化されていった時期に福田康夫官房長官(当時)は、「思想信条の自由は、内心においては最大限に尊重される。しかし、それが表現された場合は公共の福祉にかんがみ一定の制約を受けるだろう」と言いました。川口順子外務大臣(同)は月刊誌で「集会結社の自由も制限される」と言っている。次第にこういう言論統制が進んでいく。
どうして私たちは何も言えなくなっているのか。ここ数年の取材で、今の日本は「戦争と差別の国を志向している」と言い切ってもいいのではないかと思います。言ってみればアメリカのミニチュア版。アメリカとともに行動する、ちっちゃな帝国主義を目指しているのではないか。
漫画家の石坂啓さんが、ドラえもんに例えて「アメリカはジャイアン、日本はスネ夫だ」と言います。いつも乱暴なジャイアン。そして、自分自身は乱暴ではないし、悪いやつではないんだけど、乱暴なジャイアンの周りをいつもうろちょろしている小ざかしくて小金持ちのスネ夫。ジャイアンは頼もしく見えて好かれることもあるけれど、スネ夫はいつもみんなにばかにされている。
私の見立てでは、これからスネ夫自身も暴力を振るうようになります。アメリカの暴力と言うのは、ミサイルで相手を破壊してしまう。日本がやることも基本的に一緒。しかし、ただ軽蔑(けいべつ)されるだけではない。へたをすれば、ジャイアンたるアメリカ以上に世界中の憎悪を一身に受ける可能性も大きい。
いくらわれわれが「僕たちは帝国主義じゃない。世界の平和のためだ」と言っても、やられる側にしてみたら一緒。相手にそう思われてしまったらおしまいだということです。
<略歴>
さいとう・たかお 1958年、東京生まれ。早稲田大商学部卒、英国バーミンガム大学大学院修了。日本工業新聞などを経てフリージャーナリスト。著書に「安心のファシズム」(岩波新書)「『非国民』のすすめ」(筑摩書房)など。
http://university.main.jp/blog2/archives/2005/01/post_357.html