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(回答先: Rays of Reform, Shadows of War [TORU HAYANO] 投稿者 なるほど 日時 2004 年 12 月 30 日 12:00:06)
「私たちは戦後からの卒業資格をいったい、いつ、誰から取得したというのだろう」
1月3日 河北新報掲載 辺見 庸氏「戦後60年と新たな戦前」より
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『歴史というのは、それを深く意識する者の目前にしか生々しく立ち現れないものだ、と史家はいう。何気ない日常の風景にいち早く変調を読みとること、それが歴史を見る眼だともいわれる。とすれば、区切りのいい周年を歴史の転換点のように語るのは、もっともらしいけれども、かえって怪しい。
数えやすい周年をきっかけにして「時代の趨勢(すうせい)」が論じられるとき、実のところ、時代はつとに曲がり角を曲がっており、論者は決まって趨勢を正当化しようとする。自衛隊派兵やむなし、改憲やむなし、と。さても危なくはないか。
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ちょうど十年前、女優の故左幸子さんと対談した際、彼女がため息まじりに呟いた。「戦後五十周年というとね、私、紀元二千六百年(昭和十五年)のお祭り騒ぎを想い出すのよ。」「えっ?」と私は問い直した。一九九五年、マスメデァアはこぞって大々的な戦後五十年企画を組み、国会は「不戦決議」を採択したけれども、それらが不戦平和への再出発につながったなどと、いま誰も考えてはいない。
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左さんによれば「人々が自分の頭で粛然として考えた結果ではなく、気分で踊った面がある。日本人って何か旗を揚げるとドカーッと大騒ぎして何も考えないでバーッと行くところがある。だから誰も責任をとらないの」。
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二○○三年十二月、閣議は自衛隊のイラク派遣を決定した。これだけでも驚天動地だが、小泉首相は派遣の根拠として憲法前文を挙げ「われらはいづれの国家も、自国のことのみ専念して他国を無視してはならないのであって・・」と読み上げてみせたのだから、もはや絶句するほかなかった。
時ならぬ首相の憲法朗読は前文中で最も重要な前段の文章二十四行四百数十字を、恐らくは故意であろう、そっくり省略していた。それは「政府の行為によって再び惨禍が起ることのないやうにすることを決意し・・」ていう、第九条と響きあうくだりである。
日米安保条約を改定した故岸信介首相でさえ「自衛隊が日本の領域外に出てこうどうすることは一切許せません」と明言しているのに、イラク派遣を積極推進し、その論拠をあろうことか平和憲法前文に求めていく。「国家としての思想」「日本国民の精神」が問われているとまで首相が言い募る。
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丸山(※「自己内対話」著者)は戦後約十年にして嘆くのである。
「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリズムの転向からはじまる。テーマは改憲問題」。
一九五六年、鳩山首相が平和憲法に否定的な考えを表明した時のメディアの弱腰を指したものと思われる。
さてそれでは、小泉首相が自衛隊イラク派遣の根拠を憲法前文に求めた際の、世論の無風ぶりは何と形容すればいいのか。
戦後生まれが人口の三分の二にもなったそうだ。現在のきな臭さを語ろうにも、戦前、戦中との比較を体験的にできる者は少ない。
「ドカーッと大騒ぎしてバーッと行く」性向をかろうじて制してきた憲法も、かつてない危機に瀕している。寄る辺ない行く末の道標は、この先に出なく、来し方に学ぶことからしか見えてこないだろう。
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