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(回答先: 小泉軍国主義と「日中開戦」の戦慄シナリオを暴露する! (FRIDAY) 投稿者 外野 日時 2005 年 1 月 01 日 23:22:35)
新防衛計画の大綱についてのコメント 浅井基文
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/file90.htm
*2004年12月10日に、「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について」(以下「大綱」)が閣議決定を経て発表されました。その内容は、いくつかの重要な点で私たちが注目しておかなければならない点が含まれています。私のコメントを紹介しておきます(2004年12月11日記)。
1.大綱は日本に対する本格的侵略の可能性がないことを承認したという重大な事実が含まれていること
大綱について最初に指摘する必要があることは、「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下」していることを明確に認めている点です。したがって、防衛力のあり方について、「本格的な侵略事態に備えた装備・要因について抜本的な見直しを行い、縮減を図る」とまで言わざるを得なくなっていることも、要注目です。
つまり、日本が外国から侵略される可能性は「低下」(筆者注:正確には、「なくなった」と書くべきところです)したのですから、日本が自衛権を行使しなければならない(自衛隊が出動する)事態はなくなっている、ということなのです。ということは、日本の防衛を主眼として成り立っている日米安保条約の存在正当化の根本的理由そのものが失われたということです。
以上の議論に対してはすぐさま、日米安保条約は、極東の平和と安全のために存在しているという反論が行われると思います。大綱自身、「日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係は、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために重要な役割を果たしている」と主張しているところです。
しかし、歴代日本政府・保守政治が日米安保条約を正当化する最大の根拠としてきたのは、「日米安保は日本を防衛するためのもの」ということであったことはまぎれもない事実です。大綱は、その根拠が崩れ去ったことを認めたのです。国民に対して責任を全うすることを旨とする(つまり民主主義を尊重する)政府・政党であるならば、最低限、日米安保条約の根本的な存在理由が失われた以上、それでもなおかつこの条約を存続したいという方針であるのであれば、その理由を正直に明らかにし、日本防衛とは違う理由によって日米安保条約を存続することの可否について、主権者である国民の信を問うのが筋であるはずです。そういうことをまったくする気もない時点において、日本政府・保守政治は反民主主義の本質を明らかにしているということを、国民はハッキリ認識するだけの政治意識を持つことが求められています。
2.大綱は日米安保条約の枠組みを外れた日米軍事同盟にしようとしていること
大綱は、9.11事件以後のアメリカ・ブッシュ政権の国際情勢認識をそのまま受け入れ、「国際テロ組織などの非国家主体が重大な脅威となっている」、「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)への対応」の必要性を全面に押し出しています。しかし、いわゆる「新たな脅威や多様な事態」は、日米安保条約が想定する事態ではありません。もっとハッキリ言えば、日米安保条約は、これらの「新たな脅威や多様な事態」とは無関係なのです。
大綱も、その点を間接的な表現ではありますが、認めざるを得ません。「米国との安全保障体制は、我が国の安全確保にとって必要不可欠なものであり、また、米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」という記述がそれです。注意して読めば分かるように、「米国との安全保障体制」という主語を受ける述語の部分は「我が国の安全確保にとって必要不可欠」であり、「アジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠」という述語の部分に対応する主語は「米国の軍事プレゼンス」です。うっかり読むと、「米国との安全保障体制は…アジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠」と誤解してしまいがちですが、日米安保体制(その基になる日米安保条約)はそういうものではないのですから、大綱としてもトリックじみた記述をしてごまかすしかないのです。
このようなトリックを弄した上で、大綱は、「さらに、このような日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係は、テロや弾道ミサイル等の新たな脅威や多様な事態の予防や対応のための国際的取組を効果的に進める上でも重要な役割を果たしている」と続けています。
この記述については注意するべき点があります。それは、主語が「日米安保体制」ではなく「日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係」となっている点です。以上に述べたことから明らかなように、「新たな脅威や多様な事態」に対応することは日米安保体制の枠組みから説明することは不可能です。だからこそ、「日米安全保障体制を基調とする」という形容詞を伴った「日米両国の緊密な協力関係」が主語になっているのです。ズバリと言えば、「新たな脅威や多様な事態」に対応することは、日米安保体制の枠外であり、わけの分からない「日米両国の緊密な協力関係」ということをもってしか、説明できないということなのです。日米軍事同盟は、もはや日米安保条約・日米安保体制の枠組みでは説明できない領域にまで入り込んでいることを、大綱は間接的に認めているということです。
こういうトリックとなし崩しの手法で、日本の平和と安全のあり方を根底から突き崩していく日本政府・保守政治は本当に危険きわまるものです。一人でも多くの国民が一刻も早くそのことを認識し、それを押しとどめるエネルギーを発揮しないと、日本は、アメリカが命じるままに、とんでもない方向に突き進んでいってしまうことになるでしょう。
3.大綱は中国に狙いを定めていること
「新たな脅威や多様な事態」とは具体的に何でしょうか。すでに引用した大綱の「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)」という文言に注意してください。「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動」を含む「新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)」としている点です。つまり、「新たな脅威や多様な事態」には、「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動」以外の脅威・事態が含まれているということです。それとは何でしょうか。
大綱は、「我が国をとりまく安全保障環境」の項で、「この地域(我が国の周辺)においては、…台湾海峡をめぐる問題など不透明・不確実な要素が残されている」として、台湾海峡に言及しています。そして、「この地域の安全保障に大きな影響力を有する中国は、核・ミサイル戦力や海・空軍戦力の近代化を推進するとともに、海洋における活動範囲の拡大などを図っており、このような動向には今後も注目していく必要がある」と続けています(ちなみに、2.で述べた、「米国との安全保障体制は、我が国の安全確保にとって必要不可欠なものであり、また、米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」という記述と重ね合わせれば、米国の軍事的プレゼンスは台湾海峡危機に対処するためのものでもある、ということが直ちに理解されます)。
1.で述べたことから明らかなように、大綱は、中国が日本に対して「本格的侵略」をするとは考えていません。しかし、2.で述べた「新たな脅威や多様な事態」には中国が含まれるのです。そして大綱は、日本の「今後の防衛力」に関しては、「新たな脅威や多様な事態に実効的に対応しうるものとする必要がある」としています。
その「実効的な対応」としてあげられる事項の中で注目を要するのは、「弾道ミサイル攻撃への対応」であり、「島嶼部に対する侵略への対応」でしょう。もう一度、「この地域の安全保障に大きな影響力を有する中国は、核・ミサイル戦力や海・空軍戦力の近代化を推進するとともに、海洋における活動範囲の拡大などを図っており、このような動向には今後も注目していく必要がある」と述べている大綱の部分を思い出してください。見事に重なっていることが分かるはずです。
私はもう3年前に書いた『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書、入手先については、HPのカバーのところに載せてあります)という本の中で、アメリカが台湾海峡危機をきっかけにして起こる米中戦争のシナリオを真剣に考えていることを詳しく紹介したことがあります(24~77頁)。これまでに説明したように、大綱に示された情勢認識及びその認識に基づく防衛力整備の方向は、気持ちが悪くなるほど、アメリカのそれと一致しているのです。大綱(日本政府・保守政治)が米中軍事対決を念頭において、しかも日米軍事同盟の一員として、米中戦争の際には、アメリカ側に立って中国と戦争する体制作りに乗り出す構えを打ち出したのは明らかです。
「弾道ミサイル攻撃への対応」というのは、米中戦争がエスカレートしていく場合、戦力的に圧倒的に劣る中国がミサイル攻撃に訴える可能性があることを念頭においていることは明らかです(上掲拙著70~71頁参照)。また、「島嶼部に対する侵略への対応」というのは、米中戦争がエスカレートする過程で、中国が、日本の本土に対する反撃は到底無理であることはハッキリしていますが、南西諸島の一部の島嶼に上陸作戦を試みる可能性はあり得ることを念頭においたものと考えられます。
私たちは、日本に対する「脅威」として北朝鮮のことを思い浮かべる傾向が強いのが現実です(この問題についてはすぐ後で述べます)。しかし、「拉致」問題やノドン・テポドン問題などで、日本のマスコミが、北朝鮮脅威論を煽る政府・保守政治の手法にまんまと乗せられて国民の関心を北朝鮮に集中させている陰で、政府・保守政治は、アメリカとともに、中国との戦争の可能性を本気で考え、そのための布石を着々と進めようとしているのです。そのことを深刻に認識しないと、本当にとんでもないことになりかねません。
確かにアメリカといえども、中国との戦争を本気で望んでいるわけではないでしょう。しかし、台湾が独立に向けて暴走するようなことになれば、親台ロビーが圧倒的に多いアメリカ及び日本の議会の構成からいって、米中が軍事激突に向かってしまう危険性はかなり高いと見なければなりません(米日の親台派の人々は、中国が泣き寝入りするだろうと高をくくっているのでしょうが、中国のナショナリズムは本物ですから、そんな幻想は確実に打ち砕かれます)。そのときには、米軍基地を抱え、アメリカに協力する日本が無傷にすむはずはないのです。だからこそ、大綱は以上に述べたような布石を打とうとしているのです。
米中戦争を起こさないようにするためには、台湾が独立に突っ走ることを止めることが最大にして最も効果のある予防策になります。私たちが考えなければならないことは、「米中戦争が起こってしまったらどうするか」ではなく、「アメリカをして中国との戦争を考えさせないようにするために、日本は何をなすべきか」ということでなければなりません。大綱は、出発点において致命的な誤りを犯しているのです。
米中戦争が現実になってしまったら、日本の平和と安全はもちろんのこと、アジア太平洋ひいては国際の平和と安全が崩壊することは避けられません。そういうことが万が一にでも起こらないようにするためには、大綱の危険性を直視し、日本が道を誤らないようにするため、主権者である私たちが一刻も早く目覚め、行動を起こすことが求められています(自民党の憲法改正草案大綱−自民党の内部事情で、この改憲案自体の帰趨は若干不明瞭になりましたが、そのことは、この改憲案に盛り込まれた自民党の本音を覆すものではありません−に見事に反映しているように、保守政治はそういう覚醒した国民が邪魔になりますから、「国家を個人の上におく」国家観を押しつけようとしています)。
4.大綱は北朝鮮の脅威性についても扱っていること
大綱にいう「新たな脅威や多様な事態」には、朝鮮半島も含まれています。大綱は、「北朝鮮は大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、配備、拡散等を行うとともに、大規模な特殊部隊を保持している。北朝鮮のこのような軍事的な動きは、地域の安全保障における重大な不安定要因であるとともに、国際的な拡散防止の努力に対する深刻な課題となっている」と、中国に対するより不信感をより露わにした記述をしています。先に紹介した「米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」というくだりは、北朝鮮に対しても向けられていることはいうまでもありません。
この北朝鮮に対する「実効的な対応」策として、大綱は、「ゲリラや特殊部隊による攻撃等への対応」や「武装工作船等への対応」をあげています。ノドン・テポドンのことを考えれば、「弾道ミサイル攻撃への対応」も含まれるとは言えるでしょう(ただし、大綱を作成した軍事専門家たちの最大の関心は、精度が高く、破壊力も大きい中国の核弾頭運搬可能なミサイルにあることは間違いありません)。
北朝鮮についても、1.で述べたことが当てはまることを忘れてはなりません。つまり、北朝鮮が先手を取って日本に対して侵略戦争を行うことはないことを、大綱自身が認めているということです。大綱が「ゲリラや特殊部隊による攻撃等への対応」をあげるのは、アメリカが先制攻撃で北朝鮮に戦争を仕掛ける場合に、北朝鮮が反撃として、アメリカと一心同体で行動する日本にゲリラや特殊部隊を送り込んで反撃を試みる可能性を想定しているからです。そしてその場合の最悪のシナリオとして政府・保守政治が描いているのは、原子力発電所に向けた攻撃です。アメリカが北朝鮮に先制攻撃の戦争を仕掛けたら、北朝鮮ゲリラによる原発攻撃の可能性は極めて高い、といわなければなりません。
ここでも私たちが考えなければならないのは、「北朝鮮が攻めてきたらどうするか」ということではなく、「そんな事態を引き起こす元凶であるアメリカの先制攻撃を如何にして阻止するか」ということであるはずです。アメリカさえ血迷わなければ、チェルノブイリが日本において現実になることはないからです。ここでも私たちがするべきことは、大綱の出発点における致命的な発想の誤りを正し、日本をアメリカの同盟者にさせないことでなければならないことが分かると思います。
5.大綱は日本を本格的に「戦争する国」に変えようとしていること
大綱は、「国際社会における軍事力の役割は多様化しており、武力紛争の抑止・対処に加え、紛争の予防から復興支援に至るまで多様な場面で積極的に活用されている」、「我が国の繁栄と発展には、海上交通の安全確保等が不可欠であることといった我が国の置かれた諸条件を考慮する必要がある」という認識を示しています。そして、「国際社会の平和と安定が我が国の平和と安全に密接に結びついているという認識の下、我が国の平和と安全をより確固たるものとすることを目的として、国際的な安全保障環境を改善するために国際社会が協力して行う活動(以下「国際平和協力活動」という。)に主体的かつ積極的にとり組みうるものとする必要がある」とし、「国際平和協力活動を外交と一体のものとして主体的・積極的に行っていく」と位置づけています。
そのために大綱は、「教育訓練体制、所要の部隊の待機態勢、輸送能力等を整備し、迅速に部隊を派遣し、継続的に活動するための各種基盤を確立する」としています。是非は別とすれば、いわんとすることは分かります。
問題は、すぐその後に、「自衛隊の任務における同活動の適切な位置付けを含め所要の体制を整える」という意味不明な文章が盛り込まれていることです。しかし私は直ちに、自民党の出した「憲法改正のポイント」(2004年6月)の次のくだりを思い出しました。
「ポイント」は、<憲法9条の虚構性と「現実の平和」創造への努力>という項目で、「(自衛隊)派遣要員が自己や同僚を守る目的なら武器は使えるが、同じ任務のために離れた場所で活動する外国軍隊や国際機関の要員のためには使えない、といった憲法解釈上の不備が指摘されています。これでは、軍隊としてはおかしな話です」と本音を漏らしつつ、「9条により集団的自衛権が行使できないと解釈されていることについても、「日米同盟の『抑止力』を減退させる危険性をはらんでいるのみならず、アジアにおける集団的な安全保障協力を効果的に推進する上での障害となる」との批判も出ています」、「現在は国際テロリズムや北朝鮮の拉致事件などがあり…国及び国民の安全を確保できるような憲法9条の改正をする必要がある」と指摘しているのです。
大綱は、自民党が考えている2007年の憲法「改正」をも当然に織り込んだ上でつくられています(大綱自身は、改憲問題にはまったく触れていません)から、上記の意味不明なくだりを「ポイント」の上記指摘と関連づけて理解することは、決して的はずれではないでしょう。というよりも、殊更に「改憲」問題を避けて通っている大綱が、思わず本音を漏らした唯一の箇所が、「自衛隊の任務における同活動の適切な位置付けを含め所要の体制を整える」というくだりであるとも読めるのです。
最後に
大綱は、改憲勢力が進めようとしている憲法「改正」によっても影響を受けない(改憲の暁には改めて書き直される、というような代物ではない)ことを念頭において練り上げられているはずです。というより、「戦争する国」にするための改憲を待って全面的に推進されるべき「防衛計画の大綱」として位置づけられているに違いありません。だからこそ、以上の5点にわたって指摘した内容が含まれている、ということです。
私たちは、大綱に盛り込まれた以上の危険な要素をしっかり認識し、憲法が「改正」されてしまえば、もはや大綱の危険な内容に対する歯止めがなくなってしまうということをしっかり認識することが求められています。改憲を許さないためには、国民の多数派を作り上げることが焦眉の課題(国会は改憲勢力によって占められてしまっている)です。私は、大綱の以上の危険な内容を一人でも多くの国民に理解してもらうようにする努力が、改憲阻止の多数派形成にとって、一つの重要かつ有効な語り口・切り口になると思います。
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岐路に立つ日中関係 浅井基文
http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/file89.htm
*これは、ある雑誌のインタビューに応じた記録です。雑誌の編集者が起こした内容に私が若干手を加えたものです。日中関係は、小泉首相個人の暴走によって、本当に危うい状況になっています。しかも、その背景には、アメリカの抜きがたい対中不信があり、それに日本の右翼勢力が悪のりするというきわめて危険な要素が絡んでいます。皆さんにも一読願って、考えて頂けたら幸いです(2004年11月30日記)。
<日中関係の基礎を崩す靖国参拝>
――日中関係の軋みが目立っています。
浅井 現在の日中関係を中国人はよく「経熱政冷」と表現していますが、これが当たらずとも遠からずだと思いますね。経済関係での交流が維持されていなかったならば、もっとひどい状況に陥っていただろうと思います。改革開放をすすめる中国は、香港・アメリカに次いで第三の投資国でもある日本との関係を重視しています。しかし、中国側の心のなかに煮えたぎるものがあることは間違いありません。今は必死になって耐えているのですが、その傷口に塩を塗りつけるようなことを日本が無神経に続けている状況です。
最大の問題は、やはり小泉首相による靖国神社参拝です。この四年間、毎年、四回にわたって参拝を続け、さらに今後も続けると言っています。中国側は靖国参拝の行為ももちろんですが、根本的には、靖国参拝に小泉首相をつき動かしている、その歴史観や、中国に対する戦争責任の自覚の欠落を問題視しています。日中国交正常化が可能になったのは、不十分ながらも戦争責任を日本が認めて謝罪したことが前提としてあります。このことを踏まえれば、小泉首相の靖国参拝は、日中国交正常化の原点のひとつを突き崩していることになるのです。
靖国神社が日本国内においてどう扱われるかについては、中国側は日本の内政問題だと認識しています。靖国神社そのものは日本の軍国主義を象徴する神社ですから、彼らとしては歓迎できない存在であることは間違いないでしょうが、そうしたことで口をはさむことは厳に控えています。唯一彼らが問題にしているのは、そこに東条英機など、A級戦犯として極東裁判で断罪された人びとが合祀されている点です。中国侵略や南京事件などで断罪された戦犯を、日本の首相という最高指導者が公然と参拝することは許されない。
侵略の過去に対する国家としての責任、国家指導者の態度の取り方は、中国からすれば、日中関係の基礎にかかわる問題ですから、決して日本の国内問題ではない。この中国の論理は非常に明快だと思います。
靖国参拝だけではありません。去年の後半から、チチハルでの日本軍遺棄毒ガス事件、珠海での日本企業による集団買春事件、西安の日本人学生による卑猥な寸劇事件と、立て続けに中国人の対日感情を悪化させる事件が起こりました。日本のマスコミが健全な報道姿勢や対中認識を持っていれば、彼らとしてもまだ救いがあるのでしょうが、日本での報道は中国側の堪忍袋の緒が切れかかるようなものばかりで、要するに反中宣伝材料としてしか扱わず、日本人の中国人に対する違和感を増幅する書き方しかしない。それも各紙とも共通してワンパターンな書き方ばかりとなると、いったい日本人とは何なのかということになってくる。この悪循環が増幅してきています。
「反日教育」という虚妄
――そうした状況のなか、日本側からは開き直りとも思える言説が聞こえてきています。例えば中国側の反発の強さを指して、「反日教育」が中国で行なわれているからだとする言い方が散見されます。
浅井 そういう形でしか中国側の反応を受け止められないことは本当に問題だと思います。
いま私がショックを受けているのは、いわゆる中国問題専門家と言われる人たちまでが、中国の歴史教育を「反日教育」だと論難していることです。普通の日本人は、専門家がそう言うなら本当にそういう教育が中国で行なわれているのだろうと考えてしまうでしょう。
先般、私のゼミの学生を連れて南京の大虐殺記念館や北京の抗日戦争記念館を訪れたのですが、素直な目で二つの記念館を見れば、日本への敵意・反感を植えつけるために歴史教育を行なっているのではないことは、たちどころに分かるはずです。中国の近現代ナショナリズムの生みの親は、まさに日本の横暴を極めた対中侵略政策にありました。一九二〇年代から四五年までの中国の歴史は、日本軍の侵略に抵抗することがその大半を占めているわけですから、中国の歴史教育が抗日戦争を主要な題材とすることは当然のことです。
しかし、だからといって中国人が日本への恨みを増幅するような方針で教育を行なっているかといえば、まったくそうではありません。学生と訪れた南京で、私たちは養老院を訪問しました。ご老人の方々は口々に「日中友好が大事だ」と言います。しかし、こちらから南京大虐殺での体験のことを尋ねると、堰を切ったようにその生々しい体験を語るのです(私たちのことを思ってか、養老院の責任者が老人達の発言を途中で止めるぐらいでした)。やはり日本軍国主義、日本の侵略によって味わった体験が鮮烈に彼らの記憶の中に残っていることを改めて実感させられました。しかし、だからこそ二度と日中対決を繰り返さない、日中友好なんだと、中国政府は必死になって国民を教育してきているわけです。
ですから、私は中国の教育を「反日教育」と捉えることは間違っていると痛感します。もっと謙虚な姿勢を持つべきでしょうし、謙虚であるべきだという以前に、私たちの前世代の政治指導者や軍人たちの起こした南京大虐殺や三光作戦に象徴される加害行為を忘れてはいけないし、加害者であった重い事実を噛みしめないと、日中友好の基礎は成り立たないと思います。
ちょうど私が中国大使館に勤めていた一九八二年、歴史教科書事件(●注1)が起こりました。この事件で中国側は思い知らされたわけです。国交正常化したにも関わらず、実は日本側の歴史認識はまったく変わっていない、と。これが契機となって、北京の抗日戦争記念館と南京の大虐殺記念館の建設ということになっているのです。まさに、日本の歴史教科書事件がきっかけとなって、侵略戦争を反省しようとしない日本を目の前にして、中国において日本の中国侵略に関する歴史教育を中国人民が記憶し、「弱ければ侮られる」(南京大虐殺記念館出口にあった結語の一節)ことの重要性を国民的に確認する動きが政策的に取られるようになったんですね。中国で行われてきている歴史教育の原因がほかならぬ1982年の歴史教科書検定事件にあったという因果関係を、ほとんどの日本人は知りません。
――むしろ日本側の教育に問題があるのではないかと。
浅井 非常に大きな問題があると思います。
八二年に歴史教科書事件の結果、不十分ながらも、日本の歴史教科書に、南京大虐殺など中国侵略に関する記述が入るようになりました。ところが、八〇年代から九〇年代にかけて、そうした是正の動きに対して自民党から強い反発が出てきました。その結果、たとえば「従軍慰安婦」の記述が教科書から消されるといった逆流が強まってきています。
そもそも、なぜ八〇年代から九〇年代にかけて、加害の事実を教科書に記述することが可能になったのかといえば、実はそれは「外交的配慮」という理由だったのですね。つまり、歴史的事実だから記述を認めるということではなく、「外交的に問題が起きると困るので記述を認める」ということだったのです。過去の歴史的事実に正面から向き合うということではなく、中国がうるさいから、韓国がうるさいから、加害について教科書に書いても目をつぶると、そういうことに過ぎない。だから九〇年代に入って自民党が反撃に転じてくると、文科省は待ってましたとばかりに、その動きに乗じたわけです。
今の歴史教科書から日中戦争の真実を理解するなんて、よほど良心的な先生が自分で教材を準備して子どもたちに提供するほどのことでもしなければ不可能でしょう。そういう段階にまで至っていると思いますね。日中関係を展望するうえで最も大事な基礎となる条件がますます欠落していく流れにあるのではないでしょうか。
ワンパターンな偏見煽る中国報道
――中国に対しては、日本の世論もそういう方向に流れてしまっている傾向が感じられます。
浅井 それは国際政治の要素が大きいと思いますね。巨大化する中国とどのように接していくのかという、二一世紀の国際関係における最大の問題のひとつと言ってもいいでしょう。
アメリカのブッシュ政権はこの問題に対して二重基準の政策を行なっています。ブッシュ大統領の就任当初に起きた二〇〇一年四月に海南島事件(●注2)で、アメリカは中国に対して強い姿勢で臨んだけれども、原則を曲げない中国に対して、結局は謝罪して矛を収めざるを得ませんでした。そういう体験から、中国とは簡単に対立できない、敵は手強いという認識はあるわけです。
しかし、ブッシュ大統領は就任直前にクリントン政権からの引き継ぎを受けた際に、アメリカが直面する脅威として、イラクとアルカイダ、そして三番目に中国ということを受け継いでいたんです(『ブッシュの戦争』参照)。したがって、表面的には中国を刺激しないように「ひとつの中国」を唱えながら、一方では台湾へのテコ入れ政策を行なうという二重基準の政策をとっているのです。
軍事的に見れば、アメリカは日本に対して集団的自衛権の容認へ圧力をかけ、憲法「改正」を迫るなど、日米軍事同盟の強化路線を進めていますが、このアメリカの政策の背景にあるのは、北朝鮮をスケープゴートにしていますが、実は中国なんですね。それに対して、対米追随一本槍の小泉政権が、もう本当に無条件でアメリカに従っています。日本の対中世論の変化の背景には、小泉首相以下の保守政治層が中国との友好関係を重視する方向ではなく、中国と対決する方向に国民を持っていこうとする、彼らなりの思惑が働いていると見ざるをえません。もし中国が良き隣人として日本の多くの人びとに認識されてしまったら、アメリカと中国が台湾問題をめぐって関係が悪化し、台湾独立などの事態になって、アメリカが日本に「台湾独立」承認に同調を求めてきた場合に、日本は股裂きとなってしまいます。国民が中国に違和感を持つように布石を打っておけば、台湾問題が緊迫したときにも、「台湾独立でいいじゃないか」と彼らは主張しやすいわけです。彼らなりにそういう計算をしていると思います。
日本のマスコミは足腰が鈍っていて、政府の説明をあたかも自分の認識であるかのように、言わば御用聞きが主人面して、政府の論調を国民に浸透させる旗振り役を勤めているのではないかとすら思いますね。
――そうしたマスコミの論調の影響は無視できませんね。若い人の対中意識をどう見てらっしゃいますか。
浅井 世論調査などがあるわけではないので、一般論として語ることはできないのですが、私が大学で教えている経験で言うと、学生たちは中国に対しては、よく言って白紙の状態ですね。
私は「日中比較政治」という授業を昨年から受け持っているのですが、昨年は中国に関する何らかの理解や知識が学生にあると思いこんでいたので、いきなり中国の歴史から入り、中国における抗日戦争の歴史と人民民主主義というテーマにスポットを当てて、日本と中国の民主主義の違いとそれぞれの本質の問題などを取り扱ったわけですけども、率直に言って失敗でした。
学生達は、白紙の状態というよりも、マスコミで流されている中国脅威論だとか、「中国は変な国」だという偏ったイメージが圧倒的なのです。まずそれを揉みほぐさなければ、いきなり中国の歴史から入ってもダメなんですね。ですから私は今年については、まず中国はどういう国なのかということを、中国側の文献を通じて紹介することから入っています。たとえば中国の国防白書の全文や人権報告を資料として提供し、中国側がどういう防衛政策や人権観、対日観を持っているのか、社会状況はどうなのか、彼ら自身の言葉で書かれた文章を読ませると、学生は仰天します。そういう作業を一〇回くらい繰り返して、ようやく学生たちも認識が変わってきます。いかに日本のメディアによってイメージが歪曲されているか、その乱暴さを認識する学生が多いですね。しかし、逆に言うと、十回以上の講義を経てやっと偏見を解除してスタートラインに立つことができるということですよ。
――ほとんどの学生はそういう講義を受ける機会もありませんし、一般人であればなおさらです。
浅井 最近の事例でいうと、中国原潜の領海侵犯問題でもメディアがいっせいに書き立てました。そうすると学生も、中国の国防白書に書いてあるような防衛主体の国防政策が本当なら、どうして領海侵犯という問題が起こるのか、言っていることとやっていることが違うのではないか、という疑問を持ちます。
もちろん、中国の艦船であると分かったら抗議すべきですし、必要な説明を求めることは当然でしょう。しかし、この問題について注意深く調べると、日本政府の当初の方針は、艦船に対して、浮上して国旗を掲揚しろと、もしそれをしないなら速やかに領海から立ち去れと、それだけだったんですね。しかも、その通告が届く前に艦船は領海を離れていたので、通知する意味もなくなったわけです。ところがそれに気が付いた自民党タカ派が騒ぎ出し、新聞も飛び付きました。自民党タカ派やメディアの騒ぎで、日本政府も無理やり押されて「厳重抗議」となりましたが、本来はたいした事件ではありません。
――北朝鮮の九・一七ショック以来、メディアと世論が強硬姿勢を煽り立てる危険な相乗効果が出ているように思います。
浅井 それも結局、中国と北朝鮮に対してだけの「毅然とした姿勢」なんですね。たとえばアメリカがイラクでファルージャを無差別攻撃している非人道的行為は、ヨーロッパなどでは強く批判されているわけです。ところが日本では、アメリカ軍が「突撃」だとか、もうアメリカの視点でしか報道しない。ファルージャという大都市の、人が住む条件のすべてが破壊されつくされる、ものすごい状況ですよ。数十万の人びとが米軍によってどん底に突き落とされている。そういう状況を前にしても、人間としてそれを批判する目も持てないようにされているわけです。
民主党の岡田代表と小泉首相との党首討論の際に、小泉首相が薄笑いを浮かべて「アメリカのファルージャ攻撃を支持するのは当然」だと言い放ち、「自衛隊がいるところは非戦闘地域」だと言って今度は勝ち誇ったような笑みを浮かべて着席する。あの姿を見たときは、もうやりきれない思いをしましたね。
それに対してはさすがに新聞にも批判的な論調の記事が出ましたが、しかし、それだけですよ。これが、もし中国関連のニュースだったらどうでしょうか。もうヒステリーのようなバッシングが起こるでしょうね。中国が東シナ海で無人島を探索しただけで「侵略行為だ」と言っていっせいにバッシングするわけですから。
日本に独自外交を展開する力があるのか
――かつては保守派のなかにも日中友好を重視する流れがあったと思うのですが、最近その流れに連なる人々の元気がないようです。
浅井 私が外務省で中国課長をやっていたときは、日中友好を重視する日中友好議員連盟に国会議員の半数以上が加入していたんですね。ところが、八九年に天安門事件が起こり、中国に対して厳しい姿勢を取ろうとする流れが強まりました。それでも日本は西側諸国の中では最も中国に融和的だとして欧米では批判されましたけれども。九〇年代に入ってから、いわゆる親中派と言われた人、あるいは知中派といわれた人たちが急速に発言力を弱めていき、政界から姿を消していきました。
一方、台湾は豊富な資金力を背景に、アメリカ・日本の議会に強烈に働きかけ、親台派を増やしてきています。いわゆる台湾ロビーです。日本の場合、かつて外国の資金源といえば韓国だったわけですが、韓国は民主化され、それは消えました。そこに現われたのが台湾でした。
私が中国課長をやっていた頃は、台湾ロビーに連なるのは金丸信や藤尾正行など、ほんの一握りの政治家に過ぎませんでした。しかし、彼らも政治家としての資質をそれなりに持っていた人で、たとえば彼らが怪しい動きを取ろうとしたときには、私は中国課長の分際ではありましたが、彼らの事務所に駆けつけて、「それをしたら日中関係は本当にダメになる」と必死に訴えました。すると、彼らはそれなりに理解してくれて、「日中関係を台無しにする気持ちは無い、ただもっと台湾を大事にしてやれという気持ちで動いているんだ」と言う。そこにおいて歩み寄りができたんですね。しかし、今の親台ロビーとなると、安倍晋三がその典型例ですけども、もう親台即反中なんですね。かつてのような関係は、現在の外務省と親台ロビーとの間には無いだろうと思います。というよりも、一連の不祥事があって、外務省は本当に弱くなってしまいました。
――確かに外務省バッシングは右派が唱導した部分があるようですね。やはりアジア諸国との友好関係を重視する人びとをバッシングした面もあったわけですか。
浅井 もちろんそういう面もありました。かつてはアジア局長というのは、中国や、少なくともアジアを知る者がなっていたんですよ。しかし、現在のアジア局長の藪中三十二氏にしても、前の田中均氏にしても、欧米派なんですね。つまり、アジア外交も対米外交の一環として位置づけられてしまっているのです。現在の政治家で日中関係を重視する与党の政治家と言えば、河野洋平や加藤紘一、政界を引退した野中広務などもいますが、それぞれ大きな派閥を持っているわけでもなく、中国も有効な政治的パイプがなくなってしまい、現在の日本の政治状況に対応しようがない状況にありますよね。
しかし、この点で言うと、中国側にも問題がないわけではありません。かつては周恩来が陣頭指揮をとって、廖承志(●注3)が対日関係を取り仕切ったように、中国の最高指導部に対日関係を重視する太い流れがありました。それが次第に薄れてきたと思います。特にケ小平亡きあとの指導部のなかに、対日関係を自分の領分とするという幹部がいなくなってしまい、日本から訪問客が中国へ行ったときに、中国側で誰が対応するのかすら一定していないわけです。現在の胡錦涛体制になってからは曽慶紅(国家副主席)が取り仕切るようになっているようですが、かつてのような強力な対日布陣ができているかといえば、やはり疑問ですね。
――中国側にとって対日関係の重要性が薄らいでいるんでしょうか。
浅井 いや、対日関係が重要だということは中国側も非常に強く認識していると思うんですよ。しかし、結局ですね、今の日本に中国を相手にして独自外交を展開する能力があるのか、ということだと思うんですね。中国としては、日本に独自の外交を展開するだけの器量がないから、やむを得ず日本を素通りしてアメリカと交渉するしかないという判断だと思います。
――アメリカと交渉したほうが早い、と。
浅井 そうです。日本と交渉するぐらいなら、アメリカと交渉して、アメリカから言わせたほうが効果的なんですね、率直に言って。情けない話です。中国側は対日関係を軽視してはいません。ですから、小泉首相が退陣して靖国参拝問題が事実上消えたら、中国指導部は対日関係の改善のための手を打ってくるでしょう。
一方の小泉政権には、これから対中関係をどうしていくかという独自のビジョンは何もない。これはもう、本当に何もないですよね。
――その小泉氏をはじめ、石原慎太郎など、タカ派がもてはやされています。やはりメディアの問題が大きいのでしょうか。
浅井 根底的には日本人のアジアに対する意識の問題があると思います。これは外務省にいた頃から痛感していることなんですが、日本人の非常に多くの部分が、日本はアジアの一部であり、日本人はアジア人なのだということを素直に受け入れる気持ちがないんですね。
それはもうまさに福沢諭吉の脱亜論以来のことでしょう。日清戦争以降はアジア侵略の歴史を歩んだ日本の、抜きがたいアジア蔑視があるように思われてなりません。
一九四五年の敗戦は、その歪んだ見方を改める機会となりえたのですが、アメリカの単独占領によって、アジアに日本人が目を向ける可能性は封じられてしまいました。極東裁判でもアジアの視点から日本が裁かれることはなく、中国侵略も部分的にしか取り上げられませんでしたから、日本の中国侵略を総括的に裁くことは行なわれていないわけです。
――中国側は非常に自制して対応していると感じるんですが、しかし中国内での対日感情の悪化を見ると、いつまで中国が抑制的対応を続けていけるのか、やや恐い感じがします。
浅井 そうです。こと日中関係においては、中国共産党が振る旗のもとに中国の人々が一糸乱れずに動くという時代は遥か過去のものになっています。中国のナショナリズムは、先ほど申し上げたように、抗日戦争のなかで生まれ育ち、現在に至っているわけですから、日本があまり理不尽なことを続けていると、堪忍袋の緒が切れてしまうでしょう。そういうことになったら、もう手が付けられない時代になると思いますね。
――そのような状況にさせないため、私たちも努力していきたいと思います。本日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。
【編集部注】
注一 歴史教科書事件
一九八二年六月、高校社会科の教科書検定において、「侵略」という文言が文部省(当時)によって「進出」に書き換えさせられたことが明らかとなった事件。過去への無反省を教育に押し付けるものとして、国の内外から強い抗議が寄せられる事態となった。マスコミの誤報が一部あったものの、「侵略」が「進出」に書き換えさせられたことは事実である。韓国政府などの強い抗議を受けて日本政府は検定の是正を約束した。
注二 海南島事件
二〇〇一年四月一日に中国・海南島沖で偵察活動をしていた米軍の偵察機と中国空軍機が空中衝突した事件。中国軍機は墜落し、パイロットが死亡した。この偵察機は沖縄の嘉手納基地から飛び立っており、日本とも無関係ではない。
注三 廖承志
一九〇八〜八三。広東省出身。父は国民党左派の要人だったが暗殺された。日本に留学、早稲田大学で学んだ体験を持つ。1932年帰国後、長征に参加して延安にいたり、中共出版局長などを歴任。解放後は中共中央統一戦線工作部副部長を務めるとともに中日友好協会会長に就き、日中国交回復に尽力した。
【プロフィール】
あさい もとふみ
1941年生まれ。明治学院大学国際学部教授、国際政治学。63年、外務省に入省。在中国日本大使館勤務、中国課長などを歴任。その後、東京大学教授、日本大学教授を経て現職。主な著書に、『日本外交―反省と転換』(岩波新書)、『新保守主義』(柏書房)、『大国日本の選択』(旬報社)、『非核の日本 無核の世界』(旬報社)、『新ガイドラインQ&A』(青木書店)、『戦争する国しない国』(青木書店)など多数。
ホームページ
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