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選挙カーが走り回り、候補者が声をからして訴えるといった日本的な風景があるわけではない。イラクの人々は黙々と戦後復興に励み、騒乱も日常的に続いている。だが、市民たちは重要な選択の時が訪れたことを知っていよう。イラク移行国民議会(定数275、比例代表制)の議員を選ぶ選挙運動が始まった。意義のある選挙になることを祈りたい。
最大の問題点は、言うまでもなく治安である。今回の選挙は新憲法制定を担う議員を選ぶもので、直接投票による民主化プロセスの第一歩と位置づけられる。だが、選挙関係者や関連施設へのテロも含めて、来年1月30日の投票日までに何が起きるか分からない。米軍は現行13万8000人の駐留要員を15万人規模に増やす方針だが、この兵員増強でイラクの治安が一気に安定するとも思えない。
国連はイラク南部と北部に事務所を開設するが、選挙支援要員の増員は数人にとどめるという。昨夏のバグダッド国連事務所爆破を思えば要員の大幅増には踏み切りにくいのだろう。国連の対応はイラク情勢の厳しさを物語る。中部ファルージャも含めて選挙実施が危ぶまれる地域もあるが、今は選挙のプロセスを着実に、注意深く推進する時だろう。
だが、ある意味では治安より重大な問題がある。国家再建のための選挙が各派の対立を深め、逆にイラクの分裂・分断につながりはしないか、という懸念である。
政党などが提出した候補者名簿は100に上り、候補者総数は約6400人に達したという。大きな構図で言えばイスラム教のシーア派とスンニ派、少数民族クルド人の3勢力のせめぎ合いである。フセイン政権下で冷遇されたシーア派は、実はイラクの人口の60〜65%を占める。同派が国政の主導権をめざして積極的に選挙に協力し、スンニ派とクルド人は選挙後の「シーア派支配」を警戒して及び腰というのが実態だろう。
80年代のイラン・イラク戦争時、シーア派国家のイランはイラクのシーア派に決起を促した。湾岸戦争後のイラク内乱では、シーア派の武装闘争をイランが陰に陽に支援した経緯もある。今回の選挙では、イランの故ホメイニ師の政権下で結成されたイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)などが有力組織になっており、シーア派が勝てば両国は急接近すると見る人は少なくない。
例えば、ヨルダンのアブドラ国王は毎日新聞との会見で、シーア派の勝利がスンニ派との内戦に発展する可能性に言及した。無論、イ・イ関係は宗派だけで語れるほど単純ではないし、同評議会が米政府と一定の協力関係を保ってきたことも忘れてはならない。国王の発言は、イラクの選挙が思わぬ動乱を誘発する恐れを警告したものと解釈すべきである。
クルド人の意向も絡めば選挙後の情勢は極めて不安定だが、結果は結果として受け止めるしかない。なるべく多くのイラク国民が投票し、幅広い民意を反映した選挙になるよう期待する。
毎日新聞 2004年12月18日 0時24分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041218k0000m070153000c.html