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■ 殺戮・破壊を隠ぺいし続けるファルージャ - 救援組織、報道機関、そして住民を閉め出し続ける破壊しつくされた町
Stefano Chiarini記者
米軍司令部が主張しているように、ファルージャにおける戦闘が本当に終結しているのであれば、占領軍はなぜ〈イラクの赤新月社〉や〈国際赤十字〉のファルージャ市内での救援活動あるいは医療機関開設を許可しないのだろうか?
海兵隊に従軍している一握りのジャーナリストを除いて、なぜ一般報道機関は町へ入り取材することをいまだ許されないのだろうか?
近隣の砂漠地帯あるいはバグダッド近郊に避難し非人道的な生活に甘んじる25万人を超えるファルージャ難民はなぜじぶんたちの家に戻ることができないのだろうか?
バグダッドの西方、人口30万人のスンニ派のこの小さな町で起った出来事は、イラク人のみならず世界中の人々の目から隠ぺいしなければならないほど何かとてつもないことなのだろうか?米軍司令部はなにを隠そうとしているのだろうか?
終わりがないかに見えた(訳注 米軍側との)議論の末、昨日(12/10)CRIの7人の上級職員のチームが11月10日の攻撃開始以来初めてファルージャ市の北地区を視察する許可を得た。
河をへだてて向こう側にあるファルージャ市の病院は攻撃が開始されるやいなや米軍によっていの一番に占拠され、さらに〈イラクの赤新月社〉はこの12/5に、ようやく始まったばかりの市内の一部の地区における救援活動の中止を余儀なくされたことをここで強調しておきたい。
ともあれCRIの支援グループは、米軍の護衛付きという条件のもと(CRI側は拒否したにも関わらずそれは認められなかった)、廃墟と化したモスクを訪れ、また電気・水道ラインの技術者と話をする機会を得ることができた。そして、多くの街路が溢れ出した汚水にまみれた状態であることを目撃し、また一部の兵士たちより、いまなお家々には埋葬されていない死体が放置され、あるいは何百体もの死体が市の郊外にある旧工場(ポテトチップ工場)に運ばれていった可能性があるとの証言を得た。CRIの報道官Ahmed Rawi氏は、「時間的に制限された中の視察で、この時間切れを理由に、旧工場に行き着くことが許されなかったが、事実確認のため、そして何より死体埋葬のため、必ずや許可を得て現場に出向く」意向を示した。複数の米軍将校の言によれば、これらの死体は腐敗が著しく、身元確認は困難であろうという。
米軍側の公式見解によれば、掃討作戦開始以来、ファルージャにおける〈抵抗者〉の死亡者数はおよそ1200人強とのことであるが、だれもその正確な数を知ることはできない。ましてや一般市民の犠牲者数は。
そして米軍はほんとうにファルージャの町をコントロール下においていると言えるのだろうか?だれもそれを確認できる者はいない。
確かに言えることは、2日前、米軍司令部の正式発表として、いわゆる〈反徒〉が7名死亡し海兵隊員一名が負傷したという事実があり、視察中のCRI職員もその銃声を耳にしたかもしれないということである。
住民の帰還については話の端にものぼることは未だない。来年早々との予測もある。しかし帰還する住民のために米軍が準備中のプランは、辛酸をなめた難民生活にくらべてもさして喜ばしいものとは言えないだろう。
町はまさしく”加熱殺菌”処理が施されることになる。
住民帰還の第一段階として、町への帰還が許されるのは各家族の”家長”のみ。彼等は市の北部に設置されるチェックポイントを通じてのみ町に入ること許可され、身元確認の上、指紋押印、さらに眼球の虹彩のスキャンが行われる。その上で一種の電子制御マークの衣服への着用(身元確認のため)を義務づけられることとなる。市内では徒歩でののみ移動が可能となり、徴兵年齢の男性は、軍関連会社に雇用され、町再建のための仕事に就くこととなるだろう。
メソポタミアの地に移植されつつある、西洋風民主主義の一実験としては、まあ悪くないプランかもしれない。
http://www.ilmanifesto.it/Quotidiano-archivio/11-Dicembre-2004/art75.html