現在地 HOME > 掲示板 > 戦争64 > 589.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu84.htm
--------------------------------------------------------------------------------
チャルマーズ・ジョンソン著 「アメリカ帝国の悲劇」(2)
イラクに派遣された米軍はゴミあさりをしながら急場しのぎ
2004年12月12日 日曜日
◆「装備不足でごみあさり」 米国防長官に厳しい質問
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041209-00000092-kyodo-int
【カイロ9日共同】イラクに派遣される米兵が待機するクウェート北部のキャンプを訪れたラムズフェルド米国防長官が8日、米兵との質疑応答で、不足する装備品をごみ捨て場から探している「戦場の窮状」を突き付けられるなど、厳しい質問攻めに遭った。
AP通信などによると、質問に立った米兵の1人が「軍用車両の装甲板が足りない」と指摘した上で「ごみ捨て場から材料を見つけて急場をしのがなければならない」と実態を説明。「なぜごみ捨て場をあさらなければならないのか」と訴えると、他の兵士らからも拍手が起きた。
長官は答えに一瞬詰まった後、米兵に「陸軍は、製造会社に可能な限り早く生産するよう急がせている」などと釈明した。
(共同通信) - 12月9日13時4分更新
◆チャルマーズ・ジョンソン著 「アメリカ帝国の悲劇」
http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/3/66/33/4163663304.shtml
冷戦の終結とともに、それまでソ連の影響圏として立入禁止だったバルカン半島とパキスタンにはさまれた広大なユーラシア大陸の領土が、帝国的拡張政策の舞台として開放された。アメリカはこのきわめて重要な地方にすばやく軍隊を展開させ、じゃまをする体制といつでも戦争をはじめる構えをとった。
十年ほどのこの時期に、権益や誓約や計画の膨大な複合体がからみあい、ついには市民社会に匹敵する新しい政治文化が誕生した。わたしが帝国と呼んでいるこの複合体は、あきらかに、はっきりとした形さえ持って、この地上に物理的に存在する。
その大部分は第二次世界大戦と冷戦時代に取得されたものだが、ソ連を封じ込めるという口実にごまかされてその真の姿に気づかれなかった。この帝国は、地球上のあらゆる大陸にある恒久的な海軍基地や軍用飛行場、陸軍駐屯地、情報収集基地、戦賂的飛び地などで成り立っている。
もちろん軍事基地や植民地は古代から帝国主義体制に共通する特徴であるが、過去においては、つねに征服した領土を確保または防衛し、経済的に搾取するためにそこに存在した。アメリカも最初は伝統的な帝国と同じだった。
われわれは北アメリカ大陸を占拠して植民し、砦と呼ばれる前哨基地フォート・アパッチ、フォート・レヴェンワース、サッターズ・フォート、フォート・サム・ヒューストン、フォートララミー、フォート・オーセージを東海岸から西海岸にかけて建設した。
しかし、時代がもっと現代に近づくと、アメリカはほかの多くの帝国とちがって、領土をまったく併合しなかった。そのかわりに、領土のなかに排他的な軍事地帯をもうけ(ときにはたんに惜り上げて)、植民地の帝国ではなく、基地の帝国を作り上げたのである。
こうした基地は、指揮系統によってつながり、文民のしっかりした監視を受けることなく国防総省から指示を与えられていた。そして、拡張をつづけるアメリカの軍産複合体と結びついて、基地を取り巻く現地の文化に大きな影響を与えたが、それはほぼ例外なく悪い影響だった。
こうした基地がアメリカを新種の軍事帝国へと変えたのである。兵士たちのエアコンつきの家や映画館、スーパーマーケット、ゴルフコース、水泳プールを見せびらかす戦士の文化、大量消費社会のスパルタヘと。
アメリカ帝国を過去の帝国と区別するもう一つの決定的な特徴は、基地が戦争を遂行するために必要なわけではなく、軍国主義と帝国主義の純粋な示威行為であるという点である。軍隊と軍国主義を区別することはひじょうに重要だ。
わたしが「軍隊」という言葉を使うとき、それはある国家が国を守るために戦うのに必要なあらゆる活動や特質、機関を意味している。軍隊は国家の独立を確保することに意を注ぐべきだ。それが個人の自由を維持するための必須条件である。
しかし、軍隊を持ったからといってそれがかならずしも軍国主義へとつながるわけではない。軍国主義とは、ある国の軍隊が、国家の安全を守ることや自分たちが一翼をになう政府の構造を完全な状態に保つ責務よりも、自分たちの組織の存続を優先させるようになる現象である。
アルフレート・ファークツは軍国主義に関する偉大な歴史家として、「平時の常備軍は最大の軍国主義的機関である」とのべている。さらに、軍隊が軍国主義の機関に変貌すると、他国との関係をつかさどる政府内の専門機関を当然ながらすべて排斥しはじめる。
軍国主義の到来の兆候の一つは、軍隊が本来文民に取っておくべき各種の仕事を横取りすることである。国防総省が約七二五カ所あることを認めている海外の基地は、平時の常備軍の範囲にふくまれていて、国家の資源をつねに要求しているが、ほぼ例外なく実際に戦争をするだけの能力を持っていない。
沖縄やドイツにあるような広大な飛び地は、第二次世界大戦以来、戦争にかかわっていないし、実際には戦争遂行能力に寄与することも意図されていない。それらは地方総督の司令部、アメリカ帝国の勢力範囲を目に見える形でしめすものなのである。
たとえば二度目のイラク戦争のとき、アメリカはイラクの都市に対して爆撃機を発進させる以外にはペルシャ湾と中央アジアの基地を使わなかった。これはアメリカの航空優勢を思えば、戦闘と呼べるようなものではなく、むしろ演習に近かった。実戦部隊はほぼすべてアメリカ本土からやってきた。
第三歩兵師団はジョージア州フォート・スチュワートから、第四歩兵師団はテキサス州フォート・フツドから、第一海兵師団はカリフォルニア州キャンプ・ペンドルトンから、そして第一〇一空挺師団はケンタッキー州フォート・キャンベルから。カタールやサウジアラビア、バーレーン、アラブ首長国連邦、オマーンといった国々の基地はおもに軍高官の社交場や、遠隔操作の指揮所にうってつけの快適な場所として使われた。
アメリカの基地のネットワークは戦時の備えの印ではなく、帝国主義にかならずつきものの軍国主義の印なのである。このネットワークの大きな問題点は資金面である。過去の帝国の大半は、費用を自分でまかなうか、少なくともまかなおうとしてきた。スペインやオランダ、イギリスといった帝国はすべて植民地の搾取で本国を豊かにした。
基地の帝国はそうではない。軍国化された一国主義の帝国は、国際法と貿易が依存している相互関係の規範を弱体化させるがゆえに、商業とグローバル化を崩壊させる傾向がある。その結果、アメリカ帝国の間接的な経済負担がいちじるしく増大するのである。この問題についてはのちほどもう一度取り上げることにしよう。
われわれの帝国はときどき金をかせぐことがある。縄張り内の人間や商店から用心棒代をまきあげていた一九三〇年代のギャングたちのように、アメリカは外国政府に圧力をかけて帝国建設計画の費用を払わせているからである。
最初の対イラク戦争では、アメリカは日本から一三〇億ドルを引き出し、のちに戦争から少し純益さえあげたことを自慢した。しかし、アメリカが他国の同意を得ずにあからさまに世界を支配すると主張するようになるにつれて、ほかの豊かだが軍事力のない国々にとっては、旧来の「相互安全保障」という考えかたはどんどん魅力を失っていった。
貿易や資本移転や直接報奨金の縮小は、費用を自分でまかなっていたもっと古い帝国よりもずっと早くアメリカの基地の帝国をむしばむことだろう。アメリカ帝国内での生活は、その軍隊式の儀礼や人種差別主義、競争意識、俗物根性、階級構造など、ある意味で大英帝国の支配者たちの暮らしを思わせる。
いったん基地に入れば、アメリカの現代の地方総督とその配下の戦士たちは「地元民」ともアメリカの民間人とも接触する必要はない。こうした軍事都市国家は、十九世紀のイギリスやフランスの若者に対して行なったように、アメリカの若者たちに傲慢さと人種差別を教え、人種的な優越性の基本成分を植えつける。
基地のアメニティ施設には、現役勤務の男子専用の、拡張をつづけるディズニーランドや地中海クラブの軍隊版や、住宅、アスレチック施設、教会、無料か固定額の学費で通学できる学校などがふくまれている。こうした施設はほとんど知られていない全地球的なネットワークを形成している。
その多くの部分はかつて一度は戦略的な用途を持っていたかもしれないが、大昔に恒久的な前唯基地へと変化したものである。そのすべてが非公式に出現し、少なくとも一般大衆はその出現に気づいていない。
もし帝国のことが言及されたとしても、それはアメリカの兵士たちがイスラム原理主義者からアフガニスタンの女性を解放したとか、フィリピンの自然災害の犠牲者を救ったとか、「民族浄化」作戦からボスニア人やコソボ人やイラクのクルド人を守った(しかし、ルワンダ人やトルコのクルド人、パレスチナ人は守らなかった)とか、そういう話題のなかだけである。
アメリカがある国にやってきて基地を建設したもともとの理由がなんであれ、基地は帝国主義的理由でそこに残っている、地域または全地球的な覇権のためや、ライバルに縄張りを荒らされないため、アメリカ企業に進出の足掛かりを与えるため、軍隊としての「安定」や「威信」を維持するため、それともたんなる惰性で。
ある人間たちにとっては、われわれの基地はアメリカ的生きかたの正しさと冷戦の「勝利」を確認する手段である。アメリカが永遠にあらゆる場所に存在できるかどうかは、国民が議論すべきテーマとは考えられていない。
新千年紀に国内を包んだプロパガンダ的な雰囲気のなかでは、帝国の維持がどれだけ高くつくのかや、それがどうやって終わるのかを長々と論じることもまた不穏当である。新しい帝国は物理的な存在だけではない。
それはシンクタンクと坪ばれる現代の愛国的修道院で働く自称「戦略思想家」たちの新たな軍勢が分析し褒めたたえる大事な対象である。それは新旧両方の特定利益集団の関心を集めているその例が、原油の供給と価格に関心を持つ者たちと、ありえないような場所に軍事基地を建設して維持することで利益を得る者たちだ。
帝国を食い物にする軍高官の権益以外にもあまりに多くの権益が存在するために、帝国の存在はあきらかに過剰に思えるほど確固としている。そのために、アメリカが進んで帝国の経営から身を引くことがあるとはとても想像できないほどだ。
帝国は軍人やその家族だけでなく、軍産複合体や大学の研究開発センター、石油の精製会社と流通会社、帝国が訓練した数えきれないほどの外国将校団、スポーツ多目的車や小型武器の弾薬の製造メーカー、多国籍企業とそれが自社製品を製造するのに使っている安価な労働力、投資銀行、ヘッジファンドやあらゆる種類の投機家、そして「グローバル化」の唱道者、つまりあらゆる国々がアメリカの搾取とアメリカ式資本主義に門戸を開くように強制したいと願う理論家たちをささえている。
帝国の価値観としきたりには、軍隊式の男性誇示、性的正統主義、選ばれた少数のための医療社会化制度、揺りかごから墓場までの社会保障、低賃金、軋機の多い家族関係(配偶者の殺害をふくむ)、保守的な政治思想、そして戦士らしくふるまえという際限のない持説教などがふくまれる。
過去十年以上にわたって起きた戦争の多くが、肉体と肉体がぶつかりあう伝統的な戦闘よりはゲームセンターのコンピューターゲームに似ているというのに。(P33〜P38)
(私のコメント)
9日のニュースでラムズフェルド長官が前線の兵士を慰問した際に、兵士からトラックなどの装甲が貧弱で、ゴミ捨て場から鉄板や防弾ガラスを拾ってきて間に合わせているという訴えが出て、ラムズフェルド長官は返事に窮したというニュースがありました。膨大な軍事力を誇るアメリカ軍が、満足な装備を与えられないで兵士達は戦っている。
アメリカ政府は膨大な軍事予算を使っていながら、肝心の前線で戦っている兵士には装備が行きとどかないのは、まさにローマ帝国軍の末期を思わせる光景ですが、これでは米軍の兵士の士気も上がるはずもなく、任期を終えても帰還できない兵士の不満が高まっている。
わずか13万の兵士を維持できないほどアメリカの陸上戦闘能力は落ちているわけですが、世界各地に725箇所も基地を張り巡らせるほどの大帝国の戦闘力は、わずかな軽装備しか持たぬテロリストに苦戦を強いられている。アメリカ軍は張子の虎なのだろうか。1年半あまりのイラクの戦闘で12000名もの死傷者を出しているのは決して小さな被害ではない。
ファルージャの戦闘で戦っているのは一部の最精鋭の海兵隊であり、その他の多くの陸軍兵士は州兵や予備役のかき集めであり、とても戦闘には役に立たない部隊だ。その多くが補給部隊でトラックなどには装甲が施されておらず、ゲリラに襲撃されれば応戦のしようもなく、出動命令を拒否する部隊も現われている。
チャルマーズ・ジョンソン教授が「アメリカ帝国の悲劇」で指摘している、世界に張り巡らされた基地網は戦闘の為にあるのではなく、軍部の貴族たちが基地と称するリゾートでアメリカ以上の生活レベルで生活するアメリカの飛び地なのだ。彼らは戦闘はせず巨大な帝国の象徴として存在しているだけだ。
アメリカ軍の軍事予算はそれ以下の20カ国の軍事予算を合計したものよりも多い予算を使っている。それほどの予算を使いながらイラクでは十分な兵員も装備も使えないというのは、大帝国の末期症状なのだろうか。イラクでの戦闘では原子力潜水艦も大型爆撃機も必要はない。世界に散在する基地網もほとんどイラクの戦闘には関係ない。
しかしアメリカがイラクの戦闘で勝利することが出来ずに、撤退するようなことが起こればアメリカ政府にどのような結果をもたらすだろうか。大帝国が辺境での戦闘で破れて滅んだ例もありますが、それだけ帝国内部が硬直化して巨大な軍事費を使いながら、肝心の戦闘部隊には貧弱な武器とわずかな兵士しか戦地へ送れないようになったから帝国は滅んだのだ。
先日のNHKのテレビでは「ローマ帝国の滅亡」について特集番組がありましたが、帝国も末期になると辺境のローマ軍も家族とともに生活して、部隊の移動もままならなくなり、兵士に移動を命ずると脱走兵が続出した。ローマ軍の土着化が進んで総督達はローマ皇帝の言うことを聞かなくなり、蛮族がローマに侵入してきてもローマ帝国はそれを防ぐ部隊が乏しかった。
アメリカはテロリストという蛮族の侵入に対して、守るべきイラク駐留部隊はゴミあさりをしている。兵士の駐留の長期化は、兵士の反乱となって跳ね返ってくる。ラムズフェルド長官への兵士の反乱はアメリカ帝国の滅亡への不吉な前兆のような気がする。ブッシュも慌てて次のような声明を発表している。
◆イラク駐留米軍の装備不足に取り組んでいる=米大統領
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041210-00000521-reu-int
[ワシントン 9日 ロイター] ブッシュ米大統領は9日、イラクでの装備不足に対する軍の懸念に対策を講じていると述べる一方、ラムズフェルド国防長官に直接指摘した兵士らを問題視しなかった。
前日にこの問題がクウェートの駐留米軍から提起されたことを受け、ラムズフェルド長官は、米部隊の防護対策を一層強化すると言明。イラクで米兵が死亡する主因となっている爆発物への対策を強化する措置にも着手している、と述べた。
イラク戦争開戦以来、イラクの治安維持のために米政府が十分な部隊と装備を供給していないため、抵抗活動の拡大を許している、との批判が出ている。
(ロイター) - 12月10日11時46分更新