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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu84.htm
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西のウクライナ、東の朝鮮半島は東西の緩衝地帯
日本も軍備と核を持たねば緩衝地帯として分断される
2004年12月7日 火曜日
◆試練の大地 ウクライナ 7つの国の20世紀史
http://www31.ocn.ne.jp/~nero/sevens1.html
それにしてもウクライナは長年にわたって「ロシアの一部」という立場を強制されてきた国である。クラフチューク大統領のロシア対抗政策には限界があった。経済面、特に石油やガスなどエネルギーに関しては、ウクライナはほとんどロシアに依存していた。そのため、ロシアとの対立は深刻な経済危機、エネルギー危機を引き起こす。独立しても生活が改善されるどころか、かえって悪くなったと感じたウクライナ民衆は、1994年の大統領選挙ではクラフチュークを見限り、ロシアとの関係改善を掲げたレオニード・クチマを新大統領に選出した。
クチマ大統領はウクライナ憲法制定(1996)、ロシアとの対立の解消(1997年の友好協力条約調印による)、NATOとの協力憲章調印(1997)など、一連の成果をあげた。しかし経済政策は新通貨フリヴナの導入(1996)、IMF主導の経済復興政策の受け入れなどによって力を入れていても、いまだに経済的自立へ道は遠い。なにせ旧ソ連時代は共産主義によって抑圧されながらも最低限の保障があったが、独立後はいきなり、ウクライナは1990年代に世界を巻きこんだグローバル資本主義の嵐に巻きこまれたのだ。ウクライナ製品は競争力がないため生産は落ち込み、賃金未払いは恒常化した。資本主義の考え方にいまだに慣れず、労働意欲は地に落ち、犯罪は横行し、人々は昔のソ連時代を懐かしく感じるまでになる。1998年の議会選挙では、復活したウクライナ共産党が第一党になった。
しかしクチマ大統領は、1999年の大統領選挙でウクライナ共産党のシモネンコ議長を決選投票で破り、かろうじて再選を果たすと、改革路線継続のため独裁的な立場を強めた。大統領選挙そのものの公正さも疑問視する声もあがり、また、野党系ジャーナリストの殺人事件(2000)にも関与が疑われるなど、民衆の大統領への不信感を募らせる状況となった。それでも、彼の政治運営を通じて、旧ソ連時代よりも苦しいとされる経済状況は、2000年ごろにはわずかながらも改善され始めた感もある。
けれども、クチマ大統領、およびウクライナ人は、もっと根本的な問題――上述のウクライナ人のアイデンティティについての問題――にひどく悩まされることになった。おりしも、西からはEU(ヨーロッパ連合)・NATOが拡大してくる。東のロシアでもふたたび地域協力を進めようという動きが出てきた。ポーランド、ハンガリーなどはNATOに加盟した。ベラルーシ、モルドヴァは親ロシア政策をとっている。旧ソ連・東欧諸国で唯一、態度を決め兼ねているのがウクライナである。欧州かロシアか、それはまさしくウクライナのアイデンティティーについての重要な問題であった。国内東部、およびクリミアに多く住むロシア人は、ロシアとの再統合を叫ぶ。いっぽう、ガリツィア地方などの国内西部のウクライナ人はヨーロッパとの親密化を主張した。対外政策だけではなく民族構成でも、ウクライナ国内は分裂しているのである。言語(ウクライナ語とロシア語)、宗教(ウクライナ正教、ロシア正教、ユニエイト)、歴史・文化(ガリツィア地方と東部ウクライナ)も違っていた。
独立革命の挫折、スターリンの恐怖政治、ヒトラーの侵略などによっても破壊されることの無かった「ウクライナ」のアイデンティティーが、21世紀はじめごろには現実問題として危機に立たされることになったのだ。けれども、この「ウクライナ人」としての最後の試練は、おそらく厳しいものではないかもしれない。ウクライナ人は、21世紀には世界中の他民族と一緒に、問題に対処していけるであろう。我々はウクライナ人を知っているし、ウクライナ人も世界を知っている。それが20世紀に多大な犠牲を払ったウクライナ人の功績であろう。
◆ウクライナ大統領選挙後の情勢について キエフからの便り
http://www.std.mii.kurume-u.ac.jp/~abe/kievsokuho.html
ウクライナ大統領選挙後の情勢、特に野党候補ユーシチェンコ支持者によるのデモについては日本でも連日報道されていますが、依然として「親ロシア対親EU」の対立が最大の焦点と報じられたりしています。確かに現首相ヤヌコーヴィチ候補は東ウクライナ出身である上、プーチン・ロシア大統領の事実上の支持を得ており、その一方でユーシチェンコ候補は欧米との関係を相対的に重視していると言えます。しかし、それは一つの要因に過ぎず、デモが起きている本質は「オリガーキー体制を認める守旧派 対 民主化完結を目指す改革派」の対立です。人々は、ロシアなのか、EUなのか、という選択で街に出ている訳ではなくて、今回の大統領選挙において、不正をしてでも守旧派が権力にしがみつこうとしたヤヌコーヴィチ候補と現政権に対して怒りを顕わにしているのです。
野党ユーシチェンコ派のデモは最大で50万人規模で、恒常化そしてお祭りと化しています。最初は「お祭り」か「革命ごっこ」かと思っていましたが、実はこれが長期戦に備えた戦略だったようです。
地方からも人が出てきて、街中、ユーシチェンコ派のシンボル、オレンジのリボンや旗を持った人、車で日に日ににぎやかになっています。キエフ中心部の独立広場は、氷点下の寒さでも一日中熱気に満ちており、フレシャチク通りにはテント村も現れました。それでも、人々はとても秩序だっており、礼儀正しく、自主的に役割分担(交通整理、ごみ拾い、炊き出しなど)が出来ていて、お互いに声を掛け合っていて、好感すら感じます。また、これほど大規模のデモであるにもかかわらず、警察官が極端に少なく感じられます。
「ウクライナ会館」など公共の設備の一部は、地方から出てきた人たちのための情報センターになっています。民宿の紹介、食料や暖かい服の配給、休憩所、情勢の提供などを行っています。
選挙前はメディアの偏向が非常に大きな問題と指摘されていました。キエフでユーシチェンコ派の集会が開かれても、国営テレビなどは一切無視でした。ユーシチェンコ派の動向を正確に報じるテレビ局は弱小な1局だけでしたが、野党デモの激化をきっかけにジャーナリストたちも次々と検閲や圧力に反する声明を出し、最初は「キエフ・テレビ」が、 そして国営テレビ、「1+1」、インテルなどの主要テレビ局もユーシチェンコ派の動向を伝えるようになりました。
現首相候補ヤヌコーヴィチ派もデモ隊を集めていますが、どうも上手くいっていません。東ウクライナからバスなどで人をキエフに集めていますが、ユーシチェンコ派のデモから暖かいもてなしを受けて、話し合って、場合によってはユーシチェンコの方に合流したりもしています。ただ、ヤヌコーヴィチ候補の出身地であるドネツク州など東部地域では、今でもヤヌコーヴィチ派に対する熱烈な支持があるのも事実です。
不正の指摘や仲介者の派遣など、国際社会を動かしたという点でユーシチェンコ派の戦略は成功したように思います。EUなどの仲介でヤヌコーヴィチ、ユーシチェンコ、クチマ現大統領、リトヴィン最高会議議長の4者会談が成立し、27日にはついに最高会議で大統領選は無効だったと決議されました。まだ予断は許されない状況ですが、大統領選から大規模デモ、そしてその収拾を経て真の民主主義に至るこれからの過程がウクライナ史上のみならず、世界史的な意義があると考えられます。
(私のコメント)
日本人から見ればウクライナはソ連の一部という認識しかありませんが、ウクライナという国は古くからロシア帝国やトルコ帝国やポーランドやドイツなどの勢力に蹂躙されて圧制に苦しんできた。地図を見ればわかるようにウクライナはバルト三国からポーランド経てウクライナへと、ヨーロッパとロシアとの緩衝地帯としての宿命があった。ロシアの支配下におかれることが多かったが宗教も言葉もロシアとは異なります。
特にソ連時代のスターリンの圧制は人為的な大飢餓による700万人もの餓死者を出し、強引なロシア化が行われて、ロシア人が入り込んできた。このような大規模な大虐殺は中国やロシアではよくあることですが、中国でも「大躍進」の失敗や「文化大革命」で多くの人為的な餓死者を出している。北朝鮮でも90年代の大飢饉で300万人も死んでいるのは、北朝鮮を中国化するための飢餓だったのだろうか。
いずれも共産党がらみで起きており、カンボジアのポルポトの大虐殺も共産党がらみだ。このように大虐殺はロシアや中国のお家芸なのですが、ウクライナは何度もロシアからの圧制でそのたびに数百万人もの犠牲者を出した。このようにしてみると中国が日本軍の大虐殺と騒ぎ立てていますが、ウクライナの歴史から見れば陰にかすんでしまう。
最近のウクライナの大統領選挙に絡むデモ騒動は、田中宇氏の解説によると西側からの「しかけ」によるものという解説ですが、それにしてはデモの規模が大きく議会などの動きも不可解だ。大統領選挙も無効となり再選挙が行われるようですが、議会でそのような決定が下されるのは、国民からの圧力が議会を動かしているようなのですが、それだけクチマ独裁政権に対するアレルギーは、長年の歴史がわからないと動きが読めない。
◆ウクライナ民主主義の戦いのウソ 2004年11月30日 田中 宇
http://tanakanews.com/e1130ukraine.htm
アメリカの勢力がウクライナの選挙で野党ユーシェンコ陣営を支援し、ユーシェンコを勝たせるために支持組織に政治活動の訓練を施してきたことは、以前から知られていた。私も今年4月の記事でそのことに触れている。
アメリカは、2000年にユーゴスラビア(セルビア)で野党勢力を結集させ、当時のミロシェビッチ大統領を追い落とす選挙に成功し、昨年11月には似た手法でグルジアのシュワルナゼ政権を潰してサーカシビリ政権を誕生させた。今年10月にはベラルーシの議会選挙でも同じ展開を試みたが、野党諸勢力間の結束が得られず失敗した。アメリカにとって今回のウクライナ選挙は「選挙を使って旧ソ連系諸国の政権を転覆する作戦」としては4回目となる。(関連記事)
(私のコメント)
ウクライナがこのように揺れるのも、政治的には民主化を望んでも、経済的にはロシアに頼らなければならない事情があり、クラフチューク大統領時代は反ロシア政策でしたが、経済が落ち込み、親ロシアのクチマ大統領に代わりましたが、独裁政権に対する国民の反感が強まってきた。そのゆれが今回の大統領選挙にも現れましたが、豊かな民主主義国家を作ることのむずかしさをウクライナは証明している。
このままではウクライナは東西に分断されてしまいかねないのですが、これは緩衝地帯にある国家の宿命だ。ポーランドも東西に分断され、ドイツも東西に分断され、朝鮮半島も南北に分断された。これらは軍事的に弱体であり東西の勢力に対する分断工作に抵抗できなかったせいなのですが、ウクライナはこのままでは東西に分断されるだろう。
考えてみれば日本も東西の勢力の中で西側に属していますが、これはアメリカにおんぶに抱っこの状態だからで、アメリカが衰退して日米同盟が維持できなくなった場合、東側の勢力と西側の勢力のせめぎあいの場となり、日本は朝鮮半島のように二つに分断される宿命を負いかねない。そのためには日本も憲法を改正して出来れば核まで持って一つの国家として維持できるようにしなければならない。