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□ファッルージャでの米軍の卑劣な蛮行 エジプト誌が米軍事報告書を暴露 [ML アラブの声]
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ファッルージャでの米軍の卑劣な蛮行 エジプト誌が米軍事報告書を暴露
11月22日付の特異で幅広い情報網を持つエジプトのリベラル系高級政治週刊誌、アル・オスブーは、米国の内部報告書に基づくムスターファ・バクリー編集長の署名入りの記事を掲載した。
米軍が作成したイラクのファッルージャ総攻撃計画では、バグダード陥落前に使用したものと同一の武器を使用することになっていた。よって犠牲者は全ての予想を上回る記録的なものになると誰もが確信していた。
そのころファッルージャの住民は疎開を決めていた。一方数万人の住民は、米軍によって押し戻され町から避難出来なかった。一部の住民が、「米軍の避難勧告に応えて町を出て来たのだ」と抗議したが、米軍の高級将校の返答は次のようなものだった。「あの呼び掛けは報道機関に対するもので住民に対するものではない。米軍はお前たちがテロリストでなくとも皆殺しにすることを決めたのだ。お前たちはテロリストたちを匿い、飲食物や武器を提供したのだからな」
ファッルージャに住民たちが戻った後、この将校の言葉が町中に広がった。住民の多数、特に女性、子供、老人は、背後の道路を通り町から脱出することを決めていた。
米軍将校のこの発言は、それまでイラク抵抗勢力に未参加の多数の青年の激情を刺激した。子供や老人、女性の脱出支援を主目的とするいくつもの青年グループが結成された。多数の青年が抵抗勢力に加わり米兵と対決するためにファッルージャ残留を決めた。戦闘直前にはファッルージャに、イラク人が指揮を執る主要4師団が編成された。
ファッルージャで開かれた全師団の司令官による準備会議で、ファッルージャ防衛に参加したアラブ・イスラムの全構成員に感謝の辞が贈られた。しかしイラク人たちは「ファッルージャの防衛はまず住民の手で」という標語の下に、彼らに前線ではなく後陣に位置するよう要請した。
米軍将校連の以下のような様々な発言が住民間に広まった。「俺たちがここに着いたらお前たちを生き埋めにしてやる。テロはこの町から拡散した。住民ごと町を殲滅し、新たに再建するのが最良の解決策だ」
これらの言葉は青年たちを激怒させ、第二師団内に志願部隊が作られた。この部隊には数日間で3万5千人の戦士が志願した。住民間に、米軍はファッルージャの住民を戦闘員であると否とに拘わらず皆殺しにすると脅迫したとの話が広まっていたのだ。
この頃ファッルージャの青年たちは、脱出を助けるために多数の女性、子供、老人を米軍の目に付かない抜け道に連れ出した。しかしある米軍機が脱出組の動きを監視しており、彼らに向けて砲弾を雨あられと浴びせた。80人の子供と、50人の女性、40人の60歳を超える老人と脱出作戦の指揮をしていた青年20人が殉教した。
この事件が市内に伝わると青年や戦士たちに深刻な心理的影響をもたらしたが、米軍司令部はこの作戦を、「女性や子供を人質にして逃げ出そうとしていたテロリスト分子20人を殺害した」としてこの作戦を祝福した。
奇妙なことには、ペンタゴンに上げられたこの作戦の軍事報告書は、「子供や女性はテロリストたちの人質で、米軍機は人質をテロリストの手から救出しようとした。だがテロリストたちは米軍に発砲し、子供や女性、老人を殺害し始めたので、米軍機は青年たちを殺害せざるを得なくなった」と述べていることだ。
米軍司令部はファッルージャ内にこの報告内容を広めようとした。だが、住民は、戦闘など元来無く、米軍機が全員を殺害しただけであることを確認していた。
この頃米軍機は市内各地を猛爆し始め、民間人に夥しい数の犠牲者が出た。米国の初期の死亡者数の推測では、イラク人の子供が約3千人、女性が4千人、老人が1800人、青年が2千人である。この数値は初期のものだから無論その後増加している。
戦闘は激しかった。米兵300人が殺害されたことで、多数の米将兵は恐慌状態に陥り戦場から離脱した。米軍はイラク抵抗勢力と接近していたので、米軍機は介入できなかった。米国の複数報告書によると、抵抗戦士は素人ではなく戦闘訓練を受けた者たちであった。それにより、大部分は旧イラク軍の将兵であり、抵抗勢力の4師団の司令官は旧イラク軍の高級司令官であると米国人は確信した。
結局米軍の右翼戦線では200人の米軍将兵が殺害され35人が捕虜になった。北部戦線では米軍の援軍が到着していなかったら、数百人を越える米兵が殺害或いは捕虜となるところだった。それでもイラク人は350人以上の米兵を北部戦線で死傷させ、16人を捕虜にした。そのため逆上した米司令官たちは、イラク人戦士を退却させるために残虐な犯罪行為である民間人の居住地域の爆撃を命じた。
米国人捕虜を釈放させるため、米軍司令官たちは多数の海兵隊員を戦闘地域の背後に投入し、千人以上の子供、800人以上の女性、300人以上の老人、約200年の壮年男性の住民を人質に取った。
米軍司令官たちは抵抗戦士に、「米軍捕虜を釈放しなければファッルージャ住民の捕虜をモスクなど信教施設内で殺害するぞ」と恫喝する書簡を送った。抵抗戦士は、米軍がまさかこのような残虐な脅迫を実行するとは予想しなかった。しかし脅迫状送付の24時間後に米軍は約20人の子供、30人の女性、15人の高齢者の殺害を実行した。流布した話では、殺害方法は斬首であった。
米軍は「お前たちを殺し、お前たちが被拉致者や捕虜に対してするように、我々も首を刎ねるぞ。24時間内に(米軍捕虜を釈放しなければ)千人の老人、千人の女性、千人の子供、千人の壮年男性を我々は殺害する」と言ってきた。抵抗戦士たちは「米軍は本気だ」と確信した。【注1】
自分たちの家族を犠牲にすることは出来ないと、民間人の殺害を執行しないという条件で、米軍将兵の捕虜の釈放に応じ、事実3/4の捕虜を釈放した。しかし米国人は全員の釈放に固執した。止むを得ずその要求に応じて全員を釈放した。
抵抗戦士は約束を守ったにも拘らず、米軍は民間人の殺戮、屠殺行為を中止しなかった。それどころか一部のモスクや住居を殺害と拷問を実行する場所に変えてしまった。米軍は住居に襲い掛かり絶滅戦争を実行し始めた。米軍が20から45歳の男を発見すると、家族全員が種々の拷問を受けた。抵抗戦士たちや彼らの家族の居所や住居を白状させるために、まず青年が全裸にされ、家族の面前で鞭で身体各所を激しく殴打された。眼球を抉り取るとか女性や子供たちを親族の面前で性的暴行を加えるといったおぞましい犯罪行為もあった。
壮年男子が発見されない家族にも情け容赦ない拷問が待ち構えていた。最初に子供が激しく殴打され、身体を炎で焼かれり、お湯で満たした容器に投げ込まれた。その後女性が衣服を全て剥ぎ取られ拷問が始まった。
約50人の女性があるモスクに全裸で連行され、そのモスクの中で米兵たちによって暴行された。ある米国の報告書は、ファッルージャのある地区で起きた虐殺事件を記録している。子供や老人たちがモスク内で悲鳴を上げる女性を救おうとしたので、米軍は数十人の救出者たちをモスクの入り口の階段で殺害した。モスク内で米兵との性交渉を拒んだ女性たちの身体にも銃弾が撃ち込まれた。この米国報告書は、暴行に抵抗した123人の女性が命を失ったと確認している。
女性に対する拷問は、子供や配偶者、家族の眼前で衣類を剥ぎ取られることに始まった。次に頭髪を刈られ、熱された鉄パイプで頭部や敏感な箇所を殴打された。そのため数百人の女性が殉教し、多数の住民の前での拷問や恥辱に耐えかねた他のの女性は自殺した。
この知らせが抵抗戦士たちに伝わると占領軍との戦いでライオンの如く猛り、自殺的作戦を実行した。その結果米軍は甚大な損失を蒙り、戦場から逃げ出すか、戦士たちのロケット弾やRPG砲発射を止めるために、子供や女性を人質にし戦車の上に乗せ人間の盾とした。
【注1:例えば老人の捕虜は300人なのに、どうして千人も殺せるのかとの質問に対して編集長かから寄せられた回答は以下の通り。「記事はイラク、特にファッルージャからの複数の報告書をワシントンの情報筋から入手したものだ。人数の問題は、ご存知のようにファッルージャ全体が当時米軍の捕虜のような状態で、いつでも力を行使し住民を殺害できたのだ。老人と女性、子供を千ずつ殺すというのは抵抗戦士に恐怖感を与えるためだ」】
http://www.albasrah.net/maqalat_mukhtara/arabic/1104/bakri_201104.htm
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本記事はアル・オスブー誌に発表予定(22日)の前の20日にバスラ・ネットに掲載された。その理由と記事の信憑性をバスラ・ネットに問い合わせた回答は次のようなものであった。「これは事実の一部に過ぎない。かつてアメリカは広島と長崎に原爆を投下し民間人を殺害したが謝罪していない。また700万人居たアメリカ・インディアンのうち600万人を殺戮したのだ。これらの行為はプロパガンダなのか、それとも真実か? 編集長のクスターファ・バクリー氏は発表前にバスラ・ネットに原稿を送付して来たのだ」
アラブの声ML 齊藤力二朗
http://groups.yahoo.co.jp/group/voiceofarab/