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□イラク・レジスタンス・レポート(日本語版) 2004/12/16~17 [イラク情勢ニュース] 大攻勢のあと米軍は装備を捨てて退却
http://www.freeml.com/message/organizer-news@freeml.com/0000729;jsessionid=7qbggjk7j2
URUKNEWSイラク情勢ニュース (転送・紹介歓迎)
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2004年 12月19日 日曜日 Sunday,December19,2004
※ イラク・レジスタンス・レポート (ファルージャ関連のみ訳)
12月16日 木曜
・ムジャヒディン評議会がコミュニケ発表
・米軍は激戦の末に四方向から撤退
・米軍攻勢の第一報: 戦車・戦闘車両600台
12月17日 金曜
・前日とうって変わって、総じて平穏
・米軍の敗北で、武器、防弾着などの多くの戦利品
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2004年12月16日 木曜
Thursday,16December2004
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http://www.albasrah.net/moqawama/english/1204/iraqiresistancereport_161204.htm
★ファルージャ Al−Fallujah
17日午前1時36分に届いた速報で、ファルージャのイスラム・メモ通信員はファルージャ・ムジャヒディン諮問評議会が16日午後11時30分にコミュニケを発表したと伝えた。
コミュニケは次のように述べた:
「ファルージャ・ムジャヒディン諮問評議会は、米軍がファルージャ南部を攻撃していた東・西・南・北四つの軸から撤退したと発表する。これはアメリカ軍が16日午後2時から(午後11時まで)開始した攻撃が敗北に終わったあとのことである。」
「この攻撃は撃退され、アメリカ軍に多大な損害を与えた。この詳細を述べるのは明日になるだろう。・・・」
「アメリカ軍の損失に関しては、32両の大型エイブラムス戦車が破壊され、12台のブラッドリー戦闘車両も破壊された。他にハンビーと兵員輸送車を含む43台の米軍車両が破壊された。大小の銃器91丁と、操縦可能な米軍戦車1両が捕獲された。これは米軍の主力があとに見捨てていった米兵を倒して獲得した。・・・明日の朝、アメリカ軍の犠牲が明らかにされるだろう。」
イスラム・メモ通信員は、市内のレジスタンス勢から60ミリ、82ミリ、120ミリの迫撃砲弾を浴びて、米軍は北の方向へ退却したという証言を伝えた。レジスタンスは上記の兵器で尻込みしていたアメリカ占領軍の後方部隊を攻撃し、米軍を遁走(とんそう)させた。
アメリカ軍が東方へ後退してからは、レジスタンス戦士が前進し、そこに陣地を確保したとイスラム・メモ通信員が報じた。 ・・・
16日午後には激しい戦闘が勃発し、夜まで続いた。イスラム・メモは、現地時間午後9時頃になされたアブ・ヌールと名乗るあるレジスタンス指揮官の発言を届けてきた。
アブ・ヌールは次のように語った。戦闘は午後2時55分から午後9時まで展開されたが、その全過程を通じて、アメリカ兵は1メートルたりと市内に前進することができなかった。米軍の攻勢は、ナザレ地区の北にむかうマタイム(レストラン)通り、東部のサッド通り、ジュバイル地区の西部、そして市内南部一体の広い戦線で仕掛けられた。
レジスタンスは空と地上から攻撃する米侵略軍とつらい戦闘を展開した。彼らは卑怯に空から攻撃し、同時に迫撃砲と戦車砲で地上からもファルージャを砲撃した。あらゆるところで、全戦線において、接近戦となった。 ・・・
この日の犠牲について、アブ・ヌールは、レジスタンス戦士は一人も死亡しなかったが、9人が負傷したと述べた。米軍が攻撃する前に、レジスタンスは3台の米軍戦車を破壊することができた。レジスタンスの分遣隊が敵の隊列に突入して戦果をあげた。これらの戦車は15日の攻撃に使われた型と違って、もっと大型の戦車であり、携帯式のロケット弾では何の効果もない。C5KおよびSPG9だけが破壊力を持つ。
米軍の損害は、西部ではレジスタンスが20両の米軍戦車を破壊したとアブ・ヌールが述べた言った。南部戦線については、彼は「知らない」と答えた。
市の東部戦線はアメリカ軍が深刻な損害をこうむったとアブ・ヌールが話した。米侵略兵は地雷原を突破してきたが、彼らがそこだけで歩兵45人以上の死者をだした。車両内の死者については言及されなかった。 ・・・
●米軍の大規模攻勢の第一報は・・・
MassiveUSoffensiveonal-Fallujahfirstreported.
16日午後3時26分の速報で、イスラム・メモ通信員は激しい戦闘がレジスタンスの拠点となるファルージャ南部で続行中だと伝えてきた。ドレイミ師はイスラム・メモに、600台以上の米軍戦車と戦闘車両がこの大規模攻勢に参加していると語った。
侵略軍は15日の戦闘に備えて、400両の戦車を市の東と北から投入したと彼は言った。
ドレイミ師は、米軍は「完全包囲」のもとで、あらゆる方角から市内のレジスタンス戦士を攻撃してきたと語った。彼はイスラム・メモに、これまでにない最大の激戦に突入するので、すべてのイスラム教徒に祈りのなかで市内住民のことを思ってくれるよう伝えてほしいと要求した。
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2004年12月17日 金曜
Friday,17December2004
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http://www.albasrah.net/moqawama/english/1204/iraqiresistancereport_171204.htm
★ファルージャ Al-Fallujah
●米軍が愚かなトリック=心理作戦を採用し、総じて平穏
CalmprevailsasAmericanstrysillypsychologicalwarfaretricks.
前日とはうってかわって、17日のファルージャ市内と周辺は極端に平穏だった−−イスラム・メモは17日夜の速報でこう伝えてきた。
市内全域が平穏だった。戦闘も空襲も報告されなかった。17日午前11時、米軍はファルージャ南部のレジスタンス戦士に呼びかけをおこなって、大音量のマイクを使って次のように放送した。「市内南部に潜むすべての武装者に告げる。われわれは諸君に降参するよう進言する。君たちは厚遇されるだろう。われわれは君たちが血を流すことなく、イラクの法にしたがって公正な裁きを受けることを保証する」。
レジスタンス戦士は、市内の幾つかのモスクの拡声器からみずからの声明をもって返答した以外には、アメリカ軍の呼びかけに何の注意も払わなかった。レジスタンス側の声明は、次のように述べた。
「誰であれ導きに従う者には平和が訪れる。占領軍および類人猿とブタの子らよ、われわれは君たちに降伏することを進言する。われわれは海を渡った(=他国を侵略した)ことはない。われわれはまた誰も惨殺(ざんさつ)したことはないし、この戦闘もわれわれが始めたわけではない。したがって、君たちが降伏すれば、その罰は死に値するだろう。また、もし君たちが降伏しなければ、その罪も死に値するだろう。われわれは言われるままに死に赴くつもりはないので、君たちは自分たちの呼びかけを引っ込めて、ポケットに押し込むことができる」。 ・・・
愚かな呼びかけに加えて、アメリカ軍は「呼びかけ」への対応を「考慮する」ために、レジスタンスに3時間の猶予(ゆうよ)を与えた。レジスタンス側はその最終期限が来ると、ファルージャ北部地域および北東の農作地帯に位置するアメリカ兵集結地に、60ミリ迫撃砲弾32発を発射した。レジスタンス勢はまた、市東部の米軍集結地に82ミリおよび120ミリ迫撃砲弾54発を発射した。 ・・・
●レジスタンスは大量の米軍から武器を捕獲、16日の衝突後
ResistanceseizesgreatquantitiesofUSweaponsaftercrushingThursday’s
USassaultonal-Fallujah.
ファルージャ内のイラク・レジスタンスの公認スポークスマンであるドレイミ師はイスラム・メモに、レジスタンス勢がひじょうに膨大な米軍の装備を入手したと告げた。16日の米軍によるファルージャ攻撃が挫折したあと、米軍が放棄したものである。
レジスタンス勢力は、軽火器、中程度のもの、そして重機関銃あわせて181丁を獲得した。近代戦法では最も重用視されるポンプアクション式の連射銃もアメリカ軍から奪ったなかにあった。
レジスタンス勢はまた、戦闘で死亡したアメリカ兵から、194着の防弾着を手に入れた。その一部はレジスタンス戦士の弾丸が貫通していた。 ・・・
ドレイミ師は、レジスタンス勢が63両のエイブラムス戦車とブラッドリー戦闘車両、他にもハンビー、兵員輸送車を含む50台の各種車両を捕獲したと発表した。レジスタンスはまた、米軍ヘリ・ブラックホークをファルージャ南方のヌアイミヤで撃墜した。
レジスタンス側の被害では、レジスタンス戦士21人が殉教し、42人が負傷した。ロケット弾発射装置3台、120ミリ迫撃砲4基、82ミリ迫撃砲1基が破壊された。
ファルージャのイスラム・メモ通信員は、レジスタンス指揮官の一人が17日は「大勝利の日」だったと話しているのを聞いたという地元住民の声を伝えた。「昨日はわれわれは集中していた」と彼は言い、さらに「昨日夜の米軍死者数はそれまでの死亡者数を上回るか、それと大差ないものだったろう」と話していたという。
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