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Falluja, April 2004 - the book
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-649f5e43e30f92849f584855d291909d.html
「薔薇は枯れ,手入れされた庭は墓場に」:イラク人ジャーナリストのレポート
在ファルージャのイラク人ジャーナリストのバドラニさんが,ついにファルージャを離れたそうです。以下,24日のBBC記事。
同じジャーナリストによる過去の記事もお読みください。
証言:ファルージャを去る
Eyewitness: Farewell to Falluja
Last Updated: Wednesday, 24 November, 2004, 16:38 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4038805.stm
【BBC NEWSによる前置き部分省略】
ぼろぼろになったファルージャの町を身を潜めながら6晩かけて通りぬけ,ここに到着しました――私は今,市の外側2キロのところにある難民キャンプにいます。
日があるうちは,屋外に出るのは危険すぎでできませんので,私たちはすべての移動を深夜から午前5時の間に行ないました。
非常に緊迫した瞬間もありました。友人たちと私は,クルアーンの章句を暗誦して正気を保ちました。
市の西の端の(ユーフラテス)川にたどり着くと,葦やヤシの木に隠れ,私たちの脱出を手配してくれたガイドが車を送ってくれるまで待ちました。
町はどこもかしこも廃墟でした。今ファルージャの中に数百人以上の一般市民が残されているというのには,私は疑問があります。
米軍の検問所を私たちが通りかかったとき,検問所は攻撃を受けていました。
戦士たちのロケット砲がそこらじゅうに着弾していましたが,アメリカ人はあまり気にしていなかったようです。反撃もしていませんでした。
さらに進むと,破壊された3台の装甲トラックがありました。
ここ数日は,ファルージャからの避難民が押し寄せているある村で過ごしています。
人々は,テントや間に合わせのシェルターで町を建設しました。家族たちが学校の廊下や教室にぎっしりです。
毎日,トラックが,アラブ諸国やイラク内の裕福な個人から寄付された食料や水を運んできます。
物資はすべて地元のモスクに到着し,そこでイマームやそのお弟子さんたちが責任者となって配給します。
数週間ぶりに,入浴し,まともに食事をすることができています。
避難民たちの中にいると前より安全を感じます――今私たちに爆弾を落としたい人がいるとは,まず考えられませんから。
ファルージャに戻るまでにどのくらい待つことになるのか,誰も知りません。米軍は,誰であれ戻るにはあと3週間はかかると言っていると聞いています。
遠くで,まだ米軍機から爆弾が落とされているのが聞こえます。でももう私はファルージャを出てしまっているので,どの区域で戦闘があるのかはわかりません。
この数ヶ月の間に死なずにすんだことは,本当に運がよかったんだと思っています。
今年のイードをどうお祝いしたかは忘れないでしょう――爆撃と銃撃の音と。
市に残された人たちがどれほど互いに助け合ったか,それを忘れることは決してないでしょう。
同じ家にいた人たちとは,非常に仲良くなりました。
誰もが,死が訪れるときは私たち全員に訪れるであろうということがわかっていました――今この瞬間にも,私たちは全員,同じ爆弾でやられてしまうかもしれないのだ,と。
ファルージャは,イラクの諸都市と比較して,貧しい都市ではありませんでした。
けれども,ファルージャの家屋の多くは今では土くれになってしまっています。戦争で傷を負わずにたっている家は,まずないでしょう。
どこを見ても,銃痕があり,焼けた痕があり,壁には大きな穴が空いています。
多くの人々が,庭に花を植えていたものでした。ですが薔薇は枯れ,庭は墓場となりました。
私の家は,鉄道の駅の近くにあるのですが,半壊です。家の片側にくっつけてオフィスを建ててあったのですが,書籍や書類,職業上の証明書や新聞などはすべてオフィスの書斎に収めてありました。
全部なくなってしまいました。私のオフィスは爆弾を受けたのです。
一番大切にしていた物も――イラクの昔の統治者,ファイサル王が所有していた礼拝用のビーズ(数珠)ですが――,その書斎に置いてありました。
けれども,少なくとも私の妻子は無事です。妻子は,攻撃が始まるずっと前に,ファルージャから送り出してありましたので。妻子との再会が楽しみです。
ニューヨークで高層ビルが崩落したとき,たまたま当日家の都合でオフィスに出勤していなかった人が,出勤してなかったから自分自身は死ななかったし怪我もしなかったけれど,何人かの友人や知人を亡くし,そして自分がこれまで何年も仕事をしてきた蓄積はすべて失われてしまった,ということを書いていました。
「テロ」であろうが「戦争」であろうが「攻撃」であろうが「武装闘争」であろうが,個々の人間に及ぼされることは,同じと言っていいかもしれません。
これまでの蓄積を,こんな暴力で奪い取られること。
投稿者:いけだ
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バドラニさんの目撃レポート
BBC Eyewitness シリーズの翻訳
10月16日:包囲されたファルージャ内部より
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-4d046c3149fc10d2efd3064f645eac67.html
11月5日:ファルージャの祈りと涙:包囲されたファルージャより(2)
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-c8e1d74d4fd239b246c627c340cdac13.html
11月8日、9日「私の町が,悲劇に飲みこまれてゆく」:包囲されたファルージャより(3)(4)
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-6305cdb86ca992ec02e07807feb4faa3.html
11月10日、11日、13日「この町は,爆発物と腐敗してゆく肉のにおいがします」:ファルージャ内部からのレポート
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-1c4ae9c82b9e6d216e569dfde5e6780f.html
11月16日:攻撃後のファルージャ:イラク人ジャーナリストのレポート
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-e232345b0045ae1377a8902ea56e833c.html
11月24日「薔薇は枯れ,手入れされた庭は墓場に」:イラク人ジャーナリストのレポート
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-649f5e43e30f92849f584855d291909d.html