現在地 HOME > 掲示板 > 戦争63 > 911.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: Re: グルジアと違って原油資源がないので「本気度」は低いだろう 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2004 年 11 月 25 日 02:16:58)
11/25 18:49 「東欧革命」に重ねる期待 ロ欧、背後で綱引き
大統領選で親ロシア派と親欧米派の候補がともに勝利宣言し、緊
迫した情勢が続くウクライナ。歴史的にポーランドとロシアの支配
を受け、大きな東西の溝を抱えてきたウクライナは、今回の選挙で
くっきりと〓(始めダブルミニュート)分断〓(終わりダブルミニ
ュート)され、ロシアと欧米が背後で激しい綱引きを繰り広げる「
代理戦争」の場ともなった。ロシアではなく欧州に親近感を抱く人
々は変革を求め、自らの抗議行動を一九八〇年代後半の「東欧民主
化革命」に重ね合わせている。
▽欧州国家
「美しいウクライナ、おまえに私の心をささげる」
首都キエフ中心部の独立広場での野党側集会では、愛国歌「ウク
ライナ」や国歌がよく歌われる。連日小雪が舞う氷点下の寒さの中
、参加者は朝から晩まで立ち通しだ。
地元の政治学者ポドゴルナ氏は「今のキエフは『東欧民主化』の
雰囲気そのもの。ウクライナにも市民社会が現れたのだ」と指摘す
る。
「平和的変革を目指す行動を支持する」。チェコスロバキアの「
ビロード革命」を指導したハベル元大統領からの連帯のメッセージ
を親欧米の野党候補ユシチェンコ元首相が読み上げると会場が「ウ
ォー!」とどよめいた。
「ウクライナは文明的な欧州の国。暴力なしに勝つことが重要な
んだ」と男性会社員(45)。言葉の裏に、東の大国ロシアに対す
る強烈な自意識が見え隠れする。
▽分断の歴史
九世紀に成立したキエフ公国はロシア文明発祥の地。しかし十六
世紀に西のポーランドに併合された後、ウクライナはロシア皇帝に
保護を申し入れ、ロシアに併合。ポーランドとロシアとの戦いの結
果、ウクライナはドニエプル川を境に西はポーランド、東はロシア
領となる。
このため東ではロシア語が話され、宗教もロシア正教が中心。西
はポーランド語に近いウクライナ語で、ローマ教皇の権威を認める
東方帰一教会が強いという「分断」状態が生まれた。
今回の大統領選では与野党の有力候補がそれぞれ東西の利害を背
に激突。さらに「欧米流民主主義」か「旧ソ連流中央集権」かの政
治的対立が加わり、事態をさらに先鋭化させた。
▽「ロシアの一部」
ソ連崩壊による独立後、ウクライナ人には「ロシア人に兄貴面さ
れるのはもうごめん」との気持ちが強い。「ウクライナは欧州。ロ
シアとは違う」との意識だ。
一般のロシア人にとってウクライナは今も「ロシアの一部」。民
族的、文化的親近感とともに「かつて併合を望んだのに、今になっ
て独立とは身勝手」との感情も絡む。
「ウクライナ、ベラルーシがロシアの一部じゃないというのはロ
シアの政治家にとって禁句。日本の首相が『北方領土はいらない』
と言うようなもの」。あるロシア人記者はこう説明する。
ロシアのプーチン政権が親ロシア派のヤヌコビッチ首相を強力に
支援した主な理由は、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)
加盟阻止だ。
しかし、プーチン大統領が自ら選挙直前に何度もヤヌコビッチ首
相と会談するなど、露骨なてこ入れがウクライナ人の民族意識を逆
なでした。改革派政党ウクライナ・ヤブロコのブロツキー党首は「
プーチンはヤヌコビッチを使ってウクライナを支配する気だ」と怒
りをあらわにした。(キエフ共同=佐藤親賢)
20041125 1849
[2004-11-25-18:49]