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陸自を早期撤収し「追従」脱した支援を 布施 広
91年の湾岸戦争を指揮した米軍のシュワルツコフ司令官(当時)は「回想録」の中で、もし米軍が91年にイラク全土を占領していれば、「タールの穴に落ち込んだ恐竜同然」になっていたと語っている。主に占領経費の観点からだが、今の駐留米軍の難渋は予想外ではなかった。イラク戦争はつくづく浅慮の戦争だったと思う。
それでもイラク復興は支援すべきである。湾岸戦争後のバグダッドの病院には、栄養失調で死にそうな幼児たちが粘土の塊のように横たわっていたことを思い出す。独裁政権と国連制裁のはざまで苦しんだ人々は救われるべきだ。言うまでもなく、陸上自衛隊の派遣だけが救済の手段ではない。
10月6日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、陸自の活動に失望するサマワ市民の声を報じ、ある大学教授は給水作業より「発電所や下水道設備、地下鉄の建設」を日本に求めた。日本人として愉快ではないが、陸自に不満を持つ構造はあるだろう。支援が限定的だとして、または「イラク支援に名を借りた対米支援だ」として。
人的貢献や対米協力の象徴として陸自が先遣的に働く時期は過ぎ、イラク人の要望に沿った支援に移行する時期に入ったと思う。12月14日の期限を節目として陸自の早期撤収を図るべきである。
21日付の本欄で、陸自派遣は対米協力とする見方に対し「国連決議をきちんと読み返せ、と言いたい」という指摘があった。決議が定める任務に「人道復興支援」が含まれたのは日本の外交努力の結果だから簡単に撤収できないという理屈は分かる。だが、この論法では、その外交努力こそ対米協力のプロセスではないのか、という問題提起に答えられない。
「人生いろいろ」に代表されるように、言葉が軽い時代である。「差し迫った脅威」を理由にイラク戦争を始め、大量破壊兵器がないと分かると「世界は安全になった」と言い募る。見え透いた言い訳やレトリックがまかり通り、議論のレベルを落としている。「非戦闘地域」での「人道復興支援」というレトリックの陰で、陸自隊員は命懸けで働いているのだ。
誰もが気づいている。直視すべきは、日本の「対米追従」問題である。米国自身が奇妙に思っているのではないか。「追従こそ日本のさだめ」といった精神傾向が日本の社会に、ことに知識階層に存在し、こうした人々が日本を「普通の国」にしようなどと言っていることを。付和雷同する人間ほど米国が軽蔑(けいべつ)するものはないのに。
背筋の伸びた国でありたい。湾岸戦争時、日本は計130億ドルの財政支援をしたのに「遅過ぎて少な過ぎる」と酷評された。国民一人一人が100ドル札を差し出した支援がまるで生きなかった教訓を思い出そう。外交がしっかりしなければ、陸自がいくら駐留しても感謝されるとは限らない。
毎日新聞 2004年11月22日 0時16分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041122k0000m070143000c.html