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━━▼私の視点━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私の視点 国際赤十字 ファルージャで800人の民間人が死亡
ファルージャへの大攻勢がほぼ終息し、米軍と暫定政府軍が全市を制圧しまし
た。それと共に、今回の戦闘の全容が少しずつですが、明らかになってきていま
す。
米軍と暫定政府の発表では、“反乱分子(欧米マスコミが何を基準に地元抵抗勢
力を「rebel」とか「insurgents」と呼ぶかは不可解です)”の死者の数字がそれ
ぞれ、1,200と1,500と食い違っています。しかし、戦死者数の違いはさして問題
ではありません。問題は、その戦死者が、果たして米軍や暫定政府が言うように、
反乱分子であったか、武装していたかどうかです。皆さん、現地映像を見て驚か
れませんでしたか?予想外に多くの子供を含む非戦闘員が市内に残っていたこと
に。約5万人が結果的に市内に留まった(留まらざるを得なかった)と言われてい
ます。という事は、私が予測したように、市内に残った人たちの大多数は、戦闘
員ではなかったのです。
国際赤十字(ICRC)幹部が、戦死者の内800人が民間人、つまりは非戦闘員であ
ったと発表しました。衝撃的な数字です。でも、日本のメディアもそうですが、
それを大きく取り上げる社はほとんどありません。これでは、マスコミにとって
は、国際人道救援機関の発表よりも、米軍の「大本営発表」やブッシュ政権の傀
儡であるイラク暫定政権の数字の方が重みがあると取られても仕方ありません。
ここに、19日付ニューヨーク・タイムズ紙に掲載されたある母娘の話をご紹介し
ます。これは、今回のファルージャ攻撃で起きたあまたある事件の一例にしか過
ぎませんが、「なぜ非戦闘員が犠牲になったか」を考えるには充分な情報です。
サハル・ムハンマド・アブダッラさん(23歳)は、自宅から家族と車に乗ってよ
り安全と思われるモスクの近くにある家に向かっていました。ところが、そのモ
スクはすでに米軍に占拠され、狙撃手や機関銃手が陣取っていたのです。それを
知らないサハルさんたちはモスクに近付きました。すると、その車に向けて米兵
の銃が一斉に火を噴きました。
サハルさんの母親が後部座席で血だらけになって斃れ、背中を撃たれたサハル
さんも母親の膝の上に打ち臥しました。同乗していた3人の男性(サハルさんのお
じ、その息子、そして隣人)は軽傷で済みました。
後にバグダッドの病院に運ばれたサハルさんは、未だに母親の死を知らされて
いません。先に父親を亡くし、兄弟(文章からは、兄か弟か不明)を米軍に拘束
された身には、あまりに辛い知らせだからです。3人の男性は、サハルさん母子を
心配して家に来てくれた人たちです。
危険を知らされていながら事前に避難しなかった理由について、サハルさんは4
月の米軍によるファルージャ攻撃を生き延びたことを挙げています。つまり、「あ
の時」以上に悪くはなるまいと思っていたようです。
一方、引き金を引いた米軍兵士達は、上官から「路上を動くもの全てを撃て。
動かぬものも全て撃て」と皆殺しの命令とも取れる指示を受けていました。先に
紹介した、司令官のアメフットの監督かと見紛うハッパの掛け方は、兵士達に異
常な興奮を与えたようです。また、実際に興奮剤などを服用した兵士も数多くい
たとの報道があります。
繰り返しになりますが、サハルさん母子の話は、特殊な例ではありません。こ
のような「ファルージャの悲劇」が今、イスラーム世界では異常な速さで伝わり、
反米感情の高まりにつながっています。やがて間違いなく、「ファルージャの報
復」が世界を驚かすことになるでしょう。ただしそれが、すぐに行なわれるか、
5年後になるかは分かりません。ビン・ラーディンの話が本当であればとの条件付
きですが、先日公表されたヴィデオで、彼は20年前のレバノン内戦を「9.11同時
多発テロ」に結び付けていました。また、以前、1990年のサウジアラビア(イス
ラーム教徒にとっては全土が聖地)への米英軍駐留もその理由に挙げていました。
つまり、アラブ社会では、「報復」に西側社会的な時間の感覚・制約はないので
す。
いずれにしても、後世に禍根を残す残忍な作戦でした。また一つ、「文明への
衝突」へ大きく駒が進められた気がします。
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浅井久仁臣の
「暇があったら、遊びにおいでよ『私の視点』」
http://www.asaikuniomi.com