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http://www.asahi.com/international/update/1121/002.html
「紛争地に自分の銃、悲しい」自動小銃AK47の開発者
自動小銃AK47の開発者、ミハイル・カラシニコフ氏は10日、85歳の誕生日を迎えた。ロシアの軍事産業都市、イジェフスクで盛大なパーティーが開かれたが、それに先だって同氏は朝日新聞と会見し、「中国などがライセンス切れにもかかわらず、AKの製造を続けている。それが紛争地に出回り、AKの評価を落としているのは悲しいことだ」と語った。
1919年にシベリアのアルタイ地方で生まれた。第2次大戦では、ソ連軍の戦車兵だったが、ドイツ軍の自動銃の威力に衝撃を受け、自動小銃の開発に加わる。AK47が完成したのは、47年、28歳のときだった。
それから半世紀以上たったが、かくしゃくとしている。車の乗り降りは一人でするし、階段の上り下りにも手すりを使わない。ただ、第2次大戦時の負傷で右手がときどきしびれる。
「ウオツカを1杯飲むとしびれはおさまる。あまりやると癖になるので一日1杯だけにしているが、それが健康の秘訣(ひけつ)かもしれない」
第2次大戦、東西冷戦、冷戦後と三つの時代を生きた。なかでも冷戦時代のソ連が自分に一番あっていたと思う。激務だったが、その努力が評価された時代だったからだ。
ただ、最も記憶に残る仕事は、やはりAK47の開発だ。「子供を大勢産んだ母親でも、最初のお産を一番よく覚えているものだ」
(11/21 07:30)