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ビンラディン一派が、パキスタン軍に掃討され、幹部を激減させて“指揮系統が壊滅的”と報道されたようですが、それは暫く“冬眠”という宣言ですかね。
他方、ザルカウィはといえば“確かにそこに存在した”ことを示す物品が続々と挙がってきていますね。
しかし、たとえ(ザルカウィのアジトとされる)ビルの壁に「アラーの他に神はなし」と大書されていたとしても、それぐらいのことはアラビア語圏の(便乗する誘拐ビジネス集団も含めて)特に男性ならば多くが綴ることのできる文言であって、また“別の世界の人たち”にも真似ることができるはずのものです。それなのに、そうした演出効果のある文字列が、まさにザルカウィの居た証拠の1つと言わんばかりでしょう。
なぜ、そのようなことを持ち出すかというと、いまさら本当に“神はアラーだけ”だ、なんて“過激派”が、日頃から唱えているのだろうか、と思うからです。
むしろ第3者的にイスラムを見ているような距離感というか、つまり現地の感覚に同化できていないというのか、突っ込んだ(切実な)表現ではないような気がするわけです。(どうせなら「万歳」みたいに、いわば“掛け声”だけのほうが、まだ理解はしやすいでしょう)
そもそも「アルカイダ」という“前衛集団”のイラク細胞(支部)として「イラクの聖戦」と“飾った”上、そこに「アルカイダ組織」などと“組織”(機構)を付けてあるセンスからして、何とも意気込みの感じられない無難なネーミングに思え、何かしら違和感を覚えた(主観ですが)のです。単に「アラビア半島アルカイダ機構」などというのとは微妙に違う気がするわけです。
(アルカイダには、例の“マドリード予告”や、合衆国の大停電でも犯行声明を出した「とされる」アブ・ハフス・アルマスリ軍団という名の“分隊”もあるわけですね)
なので、もっと「イスラム怒りの旅団」「イスラム報復運動」「イラク殉教旅団」のごときの悲壮感は無いのか、と。
いうなれば“勇猛なまでにストレートに掲げられた誇り高き重い命名”が複数存在するわけですから、つい比べてしまって見劣りする、とでもいえばよいのでしょうかね。
いずれにせよ、結局のところは“ザルカウィという危険人物が居たには居たんだが、勢力はクモの子を散らすようにして逃げた”とされ、続きは“また来週”ということなのでしょう。まるで安手の連続アニメを観(せられ)ているかのようです。
「消えてしまった」ザルカウィは、もともと謎の多い人物らしいですが、そもそも文字が書けないとも囁かれるザルカウィが、アルカイダに内戦を企図する書簡を送ったことになっていて、そのアルカイダから、ザルカウィが指示を受けていると指摘したのはブッシュ大統領自身だった、ということでしょう。
そんな風に、ザルカウィやビンラディン、サドル師、チャラビも含め、タリバン・フセイン政権以下(ハタミとかキムまで)一連の「豪華」な“悪役メンバー”が「モグラ叩き」よろしく入れ替わり立ち代わりしつつ、終わったかと思うと、また次のステージへと進んで、永続的に“殺人ゲーム”をし続けなくてはならないようですね。
だとすると、早く混乱を終わらせようと息巻いて見せて“正義のアリバイ”をつくり、内実は“新たな脅威”を誘発させ、やはり自ら意識的(自滅的)に、どんどん終わりにくくしているのでしょうか。
たったいま“終わりそうもない”ように述べましたが、極端にいえば実のところ、ゆくゆくは反米気運の全国的な盛り上がりの機に乗じ、あたかも「中東大虐殺」によって、一気に叩いて果てようとする“役回り”であるかにも感じられてくるのです。