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パラオ それでも若者は米軍へ(東京新聞)
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投稿者 彗星 日時 2004 年 11 月 18 日 18:21:21:HZN1pv7x5vK0M
 

特報
2004.11.18

パラオ それでも若者は米軍へ
整備士や技術者… 『戦場だけじゃない』

 国民の十人に一人が米軍に入っているとされる西太平洋のパラオ共和国。豪快な海底景観にあこがれて訪れる年間約二万人の日本人にとってはダイビングパラダイスだが、ここでも米海兵隊に入った若者がイラク戦争で戦死している。多くの若者が目を輝かせて入隊を希望するのはなぜか。現地事情を追った。 (パラオで、蒲敏哉、写真も)

■娘の3歳の誕生日 父はイラクで死んだ

 「軍服を着ているといかめしいが、あの子は家では冗談ばかり言う楽しい子だった。今、この世にいないということ自体が実感できない」

 戦死したジェイジー・メルワットさん(24)は一九八〇年五月、パラオ共和国の本島バベルダオブ島で生まれた。十二人の兄弟姉妹の末っ子。「上の子たちはもう二十代だったから、みんなすごくかわいがったよ。名前も私から取ったんだ。三歳のころから休みのたびにボートで手釣りに連れて行き、バラクーダやハタを釣り上げた」と父親のジョナサンさん(69)は目を細める。実家は国際空港のほど近く。広い庭に駐車場。三角屋根の六十平方メートルほどの家はパラオの平均的住居スタイルだ。

 「勉強がすごくでき、いつもオール四(日本での五)だった。高校の時、姉と一緒にグアム島に移り勉強していたんだが、まさか海兵隊に入るなんて。私は弁護士になってほしかった。知っていれば止めたんだが…」と肩を落とす。

■親と口論『戦争止めるため』

 ジェイジーさんは高校卒業後、米海兵隊に。太平洋海兵隊部隊の強襲水陸両用部隊に配属された。

 「私の思いとは別に以前から海軍にあこがれていた。世界中を回っていろんな所を見るんだと。それがよりによって海兵隊とは。昔の日本軍の陸戦隊と同じ。厳しい訓練は優しい性格のあの子にはとても務まるまいと思ったよ」と振り返りながら、かつて息子と口論したエピソードをこう明かしてくれた。

 「どうして兵隊なんか行くんだ、パラオに戻ってこいという私に、彼はこう答えたよ。『平和のためなんだ。僕は人を殺そうとする人を殺すんだよ。それはいいことなんだ』と」

 ジェイジーさんは、沖縄や富士山ろくの米軍基地勤務を経てグアムへ。ここで会社秘書をしていた中国系のメラニーさん(23)と知り合い結婚。二〇〇一年、長女のミヤカイちゃん(3つ)が生まれた。

■クリスマスに幸せな写真が

 「あの子にそっくりなかわいい女の子。クリスマスには幸せいっぱいの写真を送ってくれた。今年八月、あの子から電話があった。『来月のいつか、イラクへ行くよ』と。私は毎日、無事を祈っていると答えるだけで精いっぱいだった」

 そして、九月十四日。ジェイジーさんはイラクの武装勢力の拠点ファルージャ近くで戦闘中に死亡した。パラオにとって、ベトナム戦争に次いで二人目の戦死者だった。

 ジョナサンさんはやり切れない表情で話す。

 「亡くなったのはミヤカイの三回目の誕生日だった。メラニーはちょうど、バースデーケーキの上にアイスクリームで飾り付けをしていた。そこへいつもとズボンの色が違う海兵隊員がやってきたんだ。海兵隊の喪装。彼女は見た瞬間、自分の身に何が起きたか分かってしまったんだよ」

 こうした遺族の思いをよそに、今月九日から十一日にかけパラオでは米陸軍の入隊試験が行われ、約百五十人の若者が受験した。
 
 受験生の多くが在学する首都コロールのパラオ・コミュニティー・カレッジ(PCC)を訪ねた。
 
 受験したジェシー・ヤイティさん(22)は「船の整備士を目指している。米軍ならただで資格が取れるし、親も頑張れと言ってくれている。軍隊にもオフィスワークがあり、すべての人が戦場に送られるわけではない。僕はオフィスが希望」と笑う。「コンピューター技術者になりたい。米軍で勉強できるだろう」と抱負を話すポール・ピエメルさん(18)は、パラオ出身者が戦死したことには「戦場に必ず行くとは限らないし、もし行ったら隠れるから大丈夫さ」と明るい表情だ。
 
■「戦死者出て怖いけれど」

 ビクター・ヤティルマンさん(23)は「電気技術者になりたいので米軍を目指しているが、戦死者が出たので正直怖い。親は反対すると思うから受験したことも黙っている。今合格したらイラクへ送られる可能性は高い。一刻も早く戦争が終わることを祈っている」と複雑な表情を見せた。
 
 多くのアルバイトを雇うホテル関係者は「入隊試験は十一月が恒例だが、イラク戦争が始まって間もなくの昨年五月ごろ、米軍からリクルート係が大勢来て約三百人の若者が面接を受けた。このときは、体に特別な問題がなければほとんど合格した。無事に帰ってきた若者は大金でボートを買い、羽振りがいい。あこがれるのはもっともだ。しかし、戦地では米国本土の人間と同じ扱いなのか。使い捨てでなければいいが…」と顔を曇らせる。
 
■“公務員志向”入隊の流れに

 国内の雇用問題などを所管する国務省のサルバドール・テラミス内務・情報通信局長(50)は入隊事情を説明する。「国連の信託統治時代も米軍に入る若者はおり、一九九四年の独立以降も年三十−五十人ペースで入隊している。政府として米軍入りを支持しているわけではなく、自分で選択しているにすぎない」。米国が当初、開戦の理由とした大量破壊兵器がなかったことについては「大前提として、わが国は米国から安全保障を得ており、米国の戦略を支持せざるを得ない。しかし個人的にはもうイラク戦争は支持していない。わずかに認めるのはテロとの戦いという意味だけだ」と心中を明かしてくれた。
 
■事態分かって志願するのか

 さらに「実は、私の三番目の二十歳の坊主も三月に陸軍に入った。本人はイラクとかアフガンに行きたいと言っていたが、事態が分かっているのか。友人が行くのでつられているだけで困ったものだ」とやるせない様子だった。
 
 別の政府関係者は、パラオの雇用事情について、「パラオ人が望む職業は公務員か銀行員。ホテルやスーパーなどの従業員はほとんどがフィリピンからの出稼ぎだ。最低賃金制度も適用されない極めて低い賃金で働いており、パラオ人の雇用が進まない。パラオ人自身もこうした仕事に就くくらいなら米軍に入ったほうが体面が保てるという意識もあり、入隊の流れを下支えしている」と説明する。
 
 ジェイジーさんは戦死後、三階級特進して伍長になった。妻メラニーさんはミヤカイちゃんと今、米カリフォルニア州サンディエゴにある米海兵隊の用意した家に住む。
 
 ジョナサンさんは「私の親類に日本人のテルエさん(78)がおり、ハワイに住んでいる。ミヤカイは色が白いので日本人のこの名前に変えてほしいとメラニーに頼んだ」と話し、遠くへ目をやりながらその理由をこう明かした。
 
 「たぶんメラニーは向こうで生活する道を見つけるだろう。もう会えないかも知れない。しかし孫娘を日本名で呼ぶたびに思い出すだろう。パラオには父親の家族がいて見守っていることを」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20041118/mng_____tokuho__000.shtml

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