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パウエル辞任の背景
2004年11月17日 田中 宇
アメリカのパウエル国務長官が辞任することになったが、パウエルがこのタイミングで辞任を表明したことは、私にとっては意外だった。
「ブッシュが再選されてもパウエルは辞める」という見方は以前からあった。今年5月には、側近がそのような見方をマスコミに対して示していた。また、そもそも2001年に国務長官になるときにパウエルは、家族と過ごす時間が少なくなると懸念する妻のアルマさんに対し「1期だけしかやらないから」と約束しており、再任はあり得ないという見方もあった。(関連記事)
そうした経緯からすると、パウエルが辞めるのは不思議ではない。ブッシュが再選され、チェイニーやウォルフォウィッツらの強硬路線が米国民に支持されたのだから、もはや穏健派が政権内に存在することはできなくなった、という指摘ももっともだ。私も、ブッシュの再選を受けて11月7日の記事では「パウエルは辞めるだろう」と書いた。
しかしその後、11月11日にパレスチナのアラファト議長が死去し、状況が変化する可能性が見えた。中東和平のチャンスが到来し、イスラエルのシャロン首相も和平交渉をやる気になっている中で、2期目には「歴史に名を残す大統領」になりたいであろうブッシュは、パレスチナ和平をEUと共同で進める意欲を見せるのではないかと考えられた。
ブッシュが欧米協調をやろうと思えば、パウエルは不可欠な存在である。私は、アラファトの死の前日に書いた記事では、ニューヨークタイムスのコラムニスト、ウィリアム・サファイアの分析をもとに、パウエルは辞めないかもしれないと書いた。
しかし、11月12日にパレスチナ和平をやりましょうと提案しに訪米したイギリスのブレア首相に対し、ブッシュは曖昧な返事しかせず、和平交渉に消極的な従来の姿勢を変えなかった。そしてその3日後に、パウエルが辞表を提出した。
さらに、私が「パウエルは続投しそう」と考える根拠にしたウィリアム・サファイアも、パウエルの辞表提出と同じ日に、ニューヨークタイムスのコラムニストを辞めることを明らかにした。(関連記事)
▼背景にブレアの中東和平提案の失敗
11月12日のブッシュ・ブレア会談では、2009年にブッシュの2期目が終わるまでにパレスチナ国家を樹立するという目標を打ち出しており、これをもって「ブッシュは和平をやる気だ」とする見方もある。しかし、会談の中身をよく見ると、ブレアはロンドンで早急に和平会議を開きたいと提案し、和平特使を任命してロンドン会議に派遣してほしいとブッシュに要請したのに対し、ブッシュは色よい返事をせず、事実上断ってしまった。(関連記事)
アラファトの死から日にちが過ぎるほど、パレスチナは不安定になって和平の可能性が減ると予測される中、和平を進めるつもりなら、早急に開始する必要がある。目標の期日を自らの任期中に定めただけでは意味がなく、マスコミ対策でしかない。
ブレアがパレスチナ和平に積極的なのは、この問題が、イラク侵攻以来悪化したアメリカとヨーロッパの関係を元に戻すきっかけにできるからだった。イギリスは地理的・歴史的にアメリカとヨーロッパ大陸の間に存在し、両者の架け橋となることでイギリスの外交的な存在基盤を確立できると考えたブレアは、独仏が望むパレスチナ問題の解決にアメリカが協力する代わりに、アメリカが困っているイラク占領に独仏が協力するというバーターを成立させ、欧米関係を再強化しようとした。
だが、イラクでは米軍がファルージャに侵攻したものの、標的にしていたゲリラの多くはファルージャから逃げて他の諸都市でゲリラ活動を再開している。米軍のこの失敗により、イラク情勢は悪化に拍車がかかり、今や独仏が協力してもあまり意味がない状態で、独仏とも協力には消極的なままだ。これに加えてブッシュがブレアのパレスチナ和平提案に消極的だったため、ブレアの構想は失敗した。
ブレアの中東和平提案をブッシュが事実上断ったことにより、アメリカとヨーロッパとの関係は、最終的に改善しない方向で固まった観がある。欧米間に協調関係の復活することは当面ないと確定したため、ブッシュ政権の中枢で唯一、協調関係を復活させる試みを担当していたパウエルは、自分の役割は終わったと考えて辞表を提出したのだろう。
▼イスラエル・アメリカ関係の変質
和平への積極参加をブッシュが断ったことで注目すべき点は、ブッシュと非常に親密な関係を持っていると言われてきたイスラエルのシャロンが和平を望んでいるにもかかわらず、ブッシュが断ったことである。アラファトの死後、シャロン政権は、パレスチナ側に安定した政権を作り、それを和平交渉の相手方にしようとする動きをすでに始めている。
その一つは、これまでイスラエルは「テロ資金に流用されている」という理由でパレスチナ自治政府の財政資金(税収入)の預金口座を封鎖していたが、アラファトの死の数日前、そのうち4000万ドルについて封鎖を解除したことだ。(関連記事)
またイスラエルは、ガザとエジプトの境界線に割って入り込むかたちでイスラエル軍が駐屯している「フィラデルフィ回廊」から撤退し、パレスチナとエジプトの共同管轄下に委譲することも検討している。イスラエル軍は、エジプトからガザへパレスチナ人のゲリラが使う武器の密輸が行われていると指摘し、密輸を止めるためと称してフィラデルフィ回廊に駐屯し、回廊に隣接するガザの町ラッファに攻撃を加え続けてきた。イスラエルが回廊を手放すとしたら、それは劇的な変化である。(関連記事)
イスラエル政府内では、テロ関連罪で終身刑を受け、イスラエルの獄中にいるパレスチナ人の若手指導者マルワン・バルグーティを釈放することも検討され、イスラエル政界内で大議論となっている。バルグーティは、特に西岸地区で人気の高い若手のカリスマで、アラファトの後継大統領を決めるパレスチナの選挙に出馬することを表明している。(関連記事)
ブッシュが和平に消極的なのに、シャロンが積極的なのは、シャロンは今年始め以来、それまでのタカ派的な政策ではもはやイスラエルが持たないと考えたのか、中道的な政策に転換したことと関係している。シャロンは、国際的な反発を受けているイスラエル人入植地とイスラエル軍をガザから撤退させる政策を進めている。撤退案に対し、シャロンが率いる与党リクード内では、入植者たちを中心とした右派勢力が猛反発し、シャロンに対して「ラビンと同じように暗殺するぞ」という脅しもかけているが、シャロンは右派と対決してもガザから撤退する姿勢を貫いている。
ブッシュ政権内のネオコンは、政権に就く前からリクード右派と強いつながりを持っている。アメリカのキリスト教原理主義勢力は「イスラエルが破壊された後にキリストが再臨する」という聖書のシナリオを信じており、彼らもまた破壊的なリクード右派との相性がよい。そのため、シャロンが和平に積極的なのに対し、ネオコンとキリスト教原理主義の影響を受けているブッシュ大統領は和平に消極的だという新状況が生まれている。(関連記事)
▼ブレアの断末魔
パウエルが辞表を提出した後も、一人あきらめがつかないブレア首相は、ワシントンからロンドンに戻り、今度はEUに向かって「アメリカと仲良くすべきだ」と訴える演説を行った。ブレアは「悪い国々」に侵攻して「強制民主化」する新機能を国連に持たせ、タカ派路線をアメリカ単独のお家芸ではなく国際社会で共有することで、アメリカの単独覇権化を防ぐことを提案したりした。(関連記事その1、その2)
しかし、こうしたブレアの発言は、ほとんど断末魔のようにしか聞こえず、これに対するEU側の反応は冷たいものだった。フランスのシラク大統領は「イギリスはこの3年間、アメリカの味方をし続けたが、その見返りにアメリカから得たものは何もない」と揶揄的なコメントをした。(関連記事)
シラクは11月18日、ロンドンを訪問してブレアと話し合うことになっている。そこでは、今後の欧米関係と英欧関係をどうすべきかということに加え、アメリカが消極的なパレスチナ和平を、EUだけの仲介で成功させることができるかということも話し合う予定になっている。今後、意外に短い期間のうちに、イギリスは欧米の掛け橋となる戦略をあきらめ、独仏に接近することになるかもしれない。(関連記事)
従来、パレスチナ和平はアメリカの協力がない限り成功しないと言われてきたが、それはアメリカの言うことしか聞かないイスラエルが和平に反対だったからで、イスラエルが和平を希望する一方でアメリカが和平に協力しないという新しい状況下で、EUが和平の仲介をして成功するかどうかが今後の注目点となっている。
▼多極化する世界
パウエルが辞任することで、アメリカの政権中枢には、欧米協調を軸に世界を安定させようとする国際協調主義者で力のある人がいなくなる。当然タカ派やネオコンが強くなり、イランやシリアに対して政権転覆を仕掛けようとする傾向が強まる。
だがその一方で、米軍はイラクの泥沼にはまっており、簡単に戦線を拡大できない。戦線を拡大すると、ますます泥沼にはまり、北朝鮮やその他の国々を攻撃できる余裕はなくなる。こんな状態では、アメリカは「単独覇権」であるとは言いがたく、むしろ世界はアメリカのほか、EU、ロシア、中国などが立ち並ぶ「多極化」の状態になる。北朝鮮はアメリカに侵攻されるのではなく、中国や韓国によってアメリカ抜きで安定化する方向に進むと私は予測している。
パウエルは今年初め「アメリカはロシアや中国を応援する」と宣言する論文をフォーリン・アフェアーズに載せているが、これは今から考えると多極化の状態を準備するという宣言だったようにも思われる。パウエルは、欧米協調体制を復活させることと、中露などを支援して多極化を実現することの両方を試み、欧米協調の復活が無理だと分かった時点で辞任し、自分がいなくなることで世界を多極化の方向に進ませることにしたのかもしれない。(関連記事)
パウエルと同時に側近のアーミテージ国務副長官も辞めることになったが、日本を含むアジアやオーストラリアなどとの同盟関係を重視してきたアーミテージの辞任によって、今後のブッシュ政権はアジアに対してきめ細やかな外交をやらなくなるのではないかと予測されている。
オーストラリアの記者は「アメリカの対オーストラリア外交は今後、国務省ではなく国防総省が決めるようになるだろうが、オーストラリアが軍をイラクに派遣して苦労しているというのに、国防総省は、グアンタナモのオーストラリア人の2人の囚人の釈放すら拒み、何の見返りも与えてくれていない。もはやアーミテージ時代の親密な関係は期待できない」という趣旨のことを書いている。日米関係も似たような展開になると懸念される。(関連記事)
パウエル辞任の直後、日本をめぐって2つの動きがあった。一つは、中国が原潜の日本領海侵犯問題を謝罪してきたことである。パウエルは最近中国を訪問した際、台湾は中国と統一すべきだと発言し、中国寄りの姿勢を見せた。この状態なら、日本に対しても強気の姿勢でいられるが、パウエルが辞めるとなると、アメリカは再び中国を敵視するようになるかもしれず、日本とはむしろ対立せず、味方につけておいた方が良い。そのような思惑から、中国は日本に謝罪してきたのかもしれない。(関連記事)
もう一つの動きは、ロシアのプーチン大統領が、北方領土の2島返還を軸に、日本との交渉を進める考えを示したことである。これは、ブッシュ再選やパウエル辞任で世界の多極化にはずみがつき、日本も対米従属一辺倒ではやっていけないことに気づき、日露関係を改善する気になるのではないか、という読みからの発言かもしれないと思われる。(関連記事)
http://tanakanews.com/e1117powell.htm