現在地 HOME > 掲示板 > 戦争63 > 339.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
3.11事件最初の公判:「ジプシー少年」は罪を認め6年間の服役を受け入れる(エル・ムンド)
裁判制度が日本とはまるで異なっているため、異様な感じすらします。日本でなら弁護士と検察官の丁々発止のやり合いが繰り広げられるところですが、検察の罪状説明を被告である16歳の「ジプシー少年」があっさりと認め、それでチョン、といったところです。詳しくは下のエル・ムンド紙(電子版:11月16日)の訳文をお読みください。
後でご説明しますが、この裁判は、判事フアン・デル・オルモとその背後にいる3.11の真の首謀者の、実に狡猾な策略に沿ってなされていることがわかります。
********************************************************************************
『「ジプシー少年」は罪を認め6年間の服役を受け入れる』エル・ムンド(11月16日)
http://www.elmundo.es/elmundo/2004/11/16/espana/1100622601.html
PALOMA D. SOTERO
マドリッド:3.11事件のテロリストによって使用されたGOMA2【ダイナマイトの一種:訳注】の20キログラムをアストゥリアスからマドリッドまで運んだ罪に問われている未成年者「ジプシー少年」は、爆発物を運んで武装勢力に協力した件で有罪を問われ、検察によって求められた刑を受け入れた。それは6年の拘束、その後5年の監視付き釈放、そしてさらに6年間の資格停止である。
予想に反して、3.11の最初の公判は「合意の下での裁判」となり、開始から20分で終了した。16歳の未成年者であり「ジプシー少年(El Gitanillo)」あるいは「Babi」「El Guaje」と呼ばれるG.V.M.【氏名の頭文字:訳注】に対する告訴状が読み上げられた後、少年はその罪状を認め検事ブランカ・ロドリゲスの求刑を受け入れた。
公判は最高裁の求刑室で大きな期待の中で行われた。被告は母親に付き添われ、ついたての後ろに傍聴者に背中を向けて座った。傍聴席には50名以上の報道関係者と数名の3.11犠牲者の遺族がいた。
当初はロドリゲスはG.M.V.に対して8年間の拘束を求刑する予定であったが、最終的に6年を求めた。なぜなら、8年の求刑なら少年刑務所の年齢制限を越してしまうからだ。6月15日に彼が逮捕されて以来収容されていた少年刑務所の職員の忠告を受けた上で、減刑がなされた。
その少年刑務所の所長は判事に、この少年の収監が「彼にとって良い結果とならない社会と家族からの隔離」をもたらしてきたこと、したがってこのような方法は「彼の罪にかけられるものではない」と説明した。しかし一般刑務所に入ることは「ふさわしくない」と告げた。
もしG.M.V.が8年の刑を受けたとしたら、23歳を過ぎたなら残りの期間は大人の刑務所に入ることになる。少年法によると、この方は実際には改定作業が続けられているが、刑期の半分を満たしたときに残りの期間は再検討できるようになっている。
被告が彼の罪状を認めたため、少年裁判所の判事ホセ・マリア・バスケス・オンルビアは口頭陳述の必要性を認めず、少年に6年間の拘束という刑を提示し2度にわたって彼はこれを受け入れた。最終判決は近日中に行われることになっている。
【後略】
********************************************************************************
この記事の後半には被告の「ジプシー少年」がどのように爆発物をマドリッドまで運んだのか、が説明されており、これは次の資料に詳しく書いてあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/890.html
「3.11捜査」の鍵を握る16歳の少年:怪しげな「重要証言」(エル・ムンドより)
http://www.asyura2.com/0406/war56/msg/891.html
↑の記事に対する私のコメント
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず最初に一番「落としやすい」少年を裁判にかける、それも実質審理無し、口頭弁論も弁護側による証人申請も何も行わず、最初から決まった筋書き通りに「罪状」を認めさせ、その上で、検察側の当初の予定である8年の求刑を6年に「減刑」して提示し、これを被告が受け入れて、わずか20分で裁判を終える、もう無茶苦茶としか言いようがありません。しかも彼が真っ先に「罪状」を認めたことにより、これから後の「被告」たちが決定的に不利になり、フアン・デル・オルモの筋書きが「事実」としてまかり通ることになるでしょう。
この少年は6月15日に逮捕されて以来、少年刑務所に収監されっぱなしで、その間何が彼に行われたのか、一切わかりません。上記の私の資料にも書いていますが、他の大量の逮捕者のうち、誰一人として詳しい供述内容が公表されたことはありません。ただこの少年が逮捕されたときだけは、そのわずか2〜3日後に、細部にわたって実に詳しく見事に「筋の通った」少年の供述が、新聞で発表されているわけです。
あたかもその内容がすでにそれ以前から新聞社に通告されていて、各新聞社で脚色がなされて発表されたかのようです。特にこのエル・ムンド紙は一貫してオルモやガルソンといった大法院判事の筋書きを支え続けています。(だから私はいつもこの新聞を中心に眼を通しているのですが。)何せエル・ムンド紙の経営陣は例のオプス・デイがコントロールしていますから。
オルモとそのスタッフの、事実と嘘の入り混じった作文を元にして、哀れな少年の脳みそに「罪状」を叩き込んで、洗脳技術を駆使してそれが事実と信じ込ませ、その上で「できるだけ刑を軽くするから『間違いありません』とたった一言だけ言ってくれよな。」と優しく肩でもたたきながらこの裁判にそなえた、こんな想像がむらむらと沸き起こってきます。
さすがにこのエル・ムンド紙のPALOMA D. SOTERO記者も、『予想に反して、3.11の最初の公判は「合意の下での裁判」となり、開始から20分で終了した。』と、その驚きと疑念を書かざるを得ないようです。
190余名は何のために殺されたのか。真実はどこまで殺されなくてはならないのか。