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中日新聞:社説 2004.12.05
http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20041205/col_____sha_____000.shtml
■憲法論のホログラム
週のはじめに考える
偽造防止のため新紙幣に使われたホログラムは、物体に複数の光を当て本質を立体的に浮かび上がらせます。憲法問題にもさまざまな角度で光を当てましょう。
「政権党が使い勝手が悪いと考えているのなら、憲法が正しく機能しているのです。現行憲法に存在意義がある証拠です」
憲法、アメリカ法を研究している大学教授の発言に、聞き手の多くは分かったような分からないような表情でした。きょとんとした顔つきもありました。
法律家ではありませんが、ある社会科学系研究者の集まりです。それでこうですから一般の国民にしてみればなおさらかもしれません。
「権力の限界」を決める
ここに今の憲法改正論議の大きな“勘違い”が浮かんでいます。
憲法は統治機構の権限とその配分を定める法典です。日本国憲法前文に「国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が享受する」と明確に表明されています。
近代国家の憲法は「権力はほっておけば肥大化し暴走する」という歴史的教訓から生まれました。「権力にできること」を限定し、「これから先はやってはいけない」限界を決めるのが役割です。教授はこの原理を裏返しに説明しただけなのです。
さまざまな人権規定は、自由や権利の保障なしには統治機構が正常に機能しなかったり、統治側による侵害の恐れが強いという、幾多の経験に基づいて設けられました。
憲法を守ることを期待されるのは公務員、権力者であり国民ではありません。日本国憲法第九九条もすべての公務員に憲法を尊重し擁護する義務を課しています。
その意味では、政権の行動を制約するブレーキである憲法の改定を、政権党自ら言いだすだけでも「要注意」です。
■異なる視点で点検する
いま日本で盛んな改憲論議ではこの点が抜け落ちて、憲法を国民の方
が守らなければならないもののように思わされてしまっています。
自民党は憲法を国民の行為規範と位置づけており、先に明らかになった憲法改正大綱の原案には、国民の義務、責務をいろいろ盛り込んでいます。憲法で国民を教育、指導しようとしているかのようです。
環境権、名誉権、プライバシー権など新しい人権論議も盛んです。他方で戦争放棄と戦力不保持を決めた第九条が揺らいでいます。
国民の意思に沿う統治のために必要不可欠か、公権力に踏みにじられてきたものか−こんな視点で新しい人権なるものを考えると、導入論者の思惑が透けて見えるでしょう。これは冒頭に紹介した教授の提案ですが、まさにホログラムです。
自民党の改憲論のもう一つの特徴は、日本人としての誇り、心のよりどころを示そうとしていることです。改憲大綱原案には、日本人としてのアイデンティティー(自己認識、一体感)や歴史、伝統の尊重、愛国心、郷土愛などが並んでおり、個人の精神世界にまで踏み込んでいます。家庭が「公共の基本」だとも言っています。
これには、国家による特定の価値観押しつけは許されない、という法律論を離れても疑問があります。
「ベトナムに平和を!市民連合」などの平和運動で活躍した哲学者、鶴見俊輔さんは、幼いころ自分を殴ってしつけようとする母親に強く反発しました。長じてから政敵を大量粛清した旧ソ連の独裁者スターリンを知り、母のイメージを重ねました。二人に道徳を暴力で押し付ける共通性を感じたというのです。
イラクの民主化、治安安定のためと称し、千人以上ともされる民間人犠牲者を出した、米軍のファルージャ攻撃を連想させます。軍事力で国際貢献できるよう九条を改正するのは、平和や民主主義を武力で説く矛盾に陥りかねません。
小学校卒業直後に米国に渡った鶴見さんは、日米開戦から間もない一九四二年六月、自分の意思で帰国船に乗りました。二十歳になる直前でした。「日本は必ず負ける」と考えましたが、「負ける時は負ける側にいたい」と思ったのだそうです。
鶴見さんは八十二歳になった今も「愛国心」という言葉を決して口にはしません。でも、「負けるにしても負ける側にいたい」という気持ちは、国家と正面から向き合ったことのない政治家、特に平和な日本の恵まれた家庭でぬくぬくと育った世襲議員たちが安易に持ち出す愛国心や「日本人としての一体感」より、多くの人の心を打つでしょう。
国民が主体的に決める
国民にあれこれおせっかいを焼いて価値の押し売りをする憲法に変えるのか、今まで通り権力抑制が主な役割で統治者に使い勝手が悪いと思わせる憲法を持ち続けるか。近代的憲法観が転機を迎えています。
この国と社会のあり方を、国民一人ひとりが今後も主体的に決めてゆけるのか否か、試されています。