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英語と米語のつづりや発音の違いを引き合いに、英国人はしばしば「我々は異なる言語で引き裂かれた一つの国だ」と笑う。ジョークにまぶし、英米がいかに一体かを言っているのである。【欧州総局・小松浩】
だが、同じアングロサクソン民族というきずなだけが連帯を支えているのではない。英国人や米国人の言葉のはしばしから感じるのは、世界のルールは変えられるという意識、歴史を作る感覚といったものだ。
「我々は第二次大戦で米国と一緒にフランスを解放した。彼らはその劣等感を克服したくて我々に対抗するのだよ」。英国の元外交官は胸を張り、イラク派兵を拒む仏を皮肉った。そこにあるのは、自由世界の安定を米国とともに主導してきたという自負心だ。
この話を耳にした時、日本の外交官OBのあるセリフが頭に浮かんだ。「戦前の国家主義を繰り返してはならない」と口にしていたリベラルな大先達は、米国が本音で日本をどう思っているかという話になると、唐突に吐き捨てた。「あの国は日本人を大量殺りくした国なんだよ……」
東京大空襲や原爆投下のことだった。かつて対米外交の総元締めだった戦中派外交官の、思いもよらぬ激しい語調に、私はたじろいだ。戦後日本の意識にオリのように沈殿する、愛憎半ばの対米感情の塊を踏んだような気がした。
英日2人の老外交官のエピソードは、英米と日米が180度異なった地点から出発し、今日の同盟関係を築いてきたことを思い起こさせる。日本人はともすれば、日米同盟を英米同盟になぞらえ、自分たちが「太平洋の英国」であるかのような錯覚を持つが、これは歴史を見ない空論だ。
そして、英米同盟と日米同盟の相違を一層感じさせるのは、日英両国の外交戦略や政治的リーダーシップである。二つの同盟がいかに「似て非なる」ものかを考えてみたい。
まず、英国は米国と同様に、必要なら自ら進んで戦争をする国である。99年の旧ユーゴスラビア・コソボ紛争での北大西洋条約機構(NATO)によるユーゴ空爆は、当初慎重だったクリントン米政権(当時)の背中をブレア英首相が後押ししたもので、米側からは「あれはブレアの戦争だった」と言われた。
イラクでも、武装勢力との戦いで実力部隊を動員する力を持っているのは、事実上英米だけだ。「ともに血を流す」同盟を前提にした英国の振る舞いが、日本の自衛隊派遣延長論議の参考になるはずもない。
次に、英国外交には仏独など欧州大陸諸国との協調が絶妙なバランサーとなっている。英仏独3国の「アメとムチ」戦術で対話解決に道を開いたイランの核問題は、その好例だ。欧州連合(EU)の共通外交政策作り、地球温暖化問題への取り組みなど、英米より英仏独の距離の方が近いテーマは少なくない。
ロンドン−パリは鉄道でわずか3時間。双方の市民は日帰りで買い物や観光を楽しみ、英国民の10万人が仏に別荘を持つという。東京−ソウルや東京−北京でこんな日常風景は想像できない。対米同盟を最優先させつつも、濃密な人的交流を背景に大陸欧州とも手を組み、時に米国との摩擦を恐れない。選択肢のある英国外交の強みだ。
三つ目は「ブッシュ米大統領のプードル」と揶揄(やゆ)されながらも、なぜ米国との同盟関係が重要かを懸命に説くブレア首相と、対米追従批判には冷笑と開き直りで反論するばかりの小泉純一郎首相との対照である。
ブッシュ大統領再選後の11月中旬、ブレア首相はロンドンで外交政策について長いスピーチをした。2000字に及ぶ演説のすべてを同盟論にさき、唯一の超大国が孤立主義に陥った時の危うさ、中国やインドの勃興(ぼっこう)などあらゆる理由を挙げて英米同盟、米欧同盟の重要さを指摘。「大西洋の両側の懸け橋になること」が英国外交の役割だと語った。それでも、国内のブレア批判はやまないが。
英国の外交は、以上のように、日本が(1)やるべきではない(2)やりたくてもできない(3)やれるのにやらない−−ことの組み合わせでできている。日本が欧米の橋渡し役など申し出たところで、いらぬ世話と思われるのがオチだろう。
英米関係から学ぶものがあるとすれば、米国と敵対するのは大変だが、ついていくのも相当な覚悟がいるということだ。何のための自衛隊イラク派遣延長か、何のための日米同盟か、卑屈でも居丈高でもない「忠犬の哲学」を日本の政治家からも聞きたい。
毎日新聞 2004年12月2日 0時43分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20041202k0000m070161000c.html