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翼戦報道コントロール下のモデルケース・・・
米軍もプレスも赤新月社も点と線・・・
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終日外出禁止のファルージャ 市民も赤新月社も移動できず
2004.12.01
Web posted at: 12:25 JST - CNN
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200412010007.html
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イラク・ファルージャ(CNN) 米軍とイラク治安部隊による総攻撃を受けた中部ファルージャでは、大規模な戦闘の終結とともにいったんは短縮された外出禁止令が、再び終日に戻されてしまった。避難先から市内に戻った住民は救援物資を受け取れず、市外に非難していた住民は市内に戻れず、救援活動を展開したい赤新月社は米海兵隊の護衛がなければ、身動きがとれない状態が続いている。
ファルージャ市民マハムード・ズバリさんと家族は、イラク駐留米軍によるファルージャ侵攻で、自宅を爆撃され、13歳の息子を失った。
ズバリさんと妻、そして2歳から16歳になる残る8人の子供と友人の家に身を寄せ、続く20日間、武装勢力制圧をねらった米軍の総攻撃に耐えた。
11月半ばすぎ、一家はイラク赤新月社に保護され、米海兵隊の護衛のもと、ファルージャ郊外に設けられた赤新月社の避難所に移った。そして11月30日、再び市内の友人の家に戻ってきた。
ズバリさんの妻セルマさんは言う。「何をどうしても息子は戻ってこない。それにほかの子供たちの将来のことを考えないと。私たちはいったいどうなるのでしょう」
がれきの山となったファルージャでは、多くの市民が同じように嘆いている。市内には未だに24時間の外出禁止令が敷かれ、散発的だが激しい戦闘があちこちで続いている。米軍による攻撃を恐れ、「中には家族がいます」と英語とアラビア語の両方で書いた張り紙を自宅の外に貼る住民も増えてきた。
赤新月社の避難所には現在、約100人が留まっている。米軍が布告する市内の外出禁止令が、以前は午後3時から午前7時までだったのに、先週いきなり24時間禁止に戻ってしまったため、市内に戻れなくなってしまった人たちだ。
避難所で暮らすフアド・クバイシさんは「ファルージャでは、想像を絶するほど無惨なことが起きた。もうたくさんだ。欲しい連中にくれてやる。もう二度と、この町を我が家と呼ぶことはできない」と話す。
赤新月社のボランティア、サブリ・アブド・アルマレクさんは、米海兵隊による外出禁止令のせいで、市内に留まる住民に救援物資を届けることができないでいると不満をもらす。
「ここから動けない。人々を助け、病人を治療するためにやってきたのに、海兵隊の許可を得ないとここを離れられないのです」とアルマレクさんは言う。
長くファルージャの外で足止めされていた赤新月社の救援車両は26日、ようやく市内に入り、食糧や医薬品など救援物資の配給を開始した。しかし終日の外出禁止令のせいで、活動は著しく制約されている。
海兵隊のタッカー大佐は、終日外出禁止措置を復活させたのは、ファルージャ東部で散発的な戦闘が再燃しているからだと説明。市民の安全確保が目的だとしている。
このため赤新月社の活動には常に海兵隊員が同行。市内で援助を必要としている市民を特定し、必要な物資を届ける作業に協力しているという。
ファルージャを出たいと希望する女性や子供は、海兵隊の護衛付きで市外に移動することができる。戦闘員になれる年齢の男性は、ファルージャに入るにしても、ファルージャから出るにしても、いったん米軍の事情聴取を受ける必要がある。
ファルージャ北東部で海兵隊大隊を指揮するラモス中佐は、同地区に留まる20世帯をすでに特定したが、実際には約50世帯が残っているようだと話す。戦闘を逃れてファルージャを脱出した市民が市内に戻りたい場合は、海兵隊がいったん自宅の建物を捜索し、武装勢力がアジトにしていないか確認する。確認後に住民が自宅に戻ってからは、海兵隊がその家に定期的に食糧や水を配給するようになるという。
13歳の息子を失ったズバリさんは、破壊された家の補償金を約束されたと話している。