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アスナール証言の概要とポイント(エル・ペリオディコ紙より)
先日(11月29日)のスペイン国会3.11調査委員会におけるアスナール証人喚問の内容は、昨日もお知らせしましたように、休憩時間を差し引いて10時間半を越える膨大なもので、とても一つの文章でまとめきれるようなものではありません。
昨日私は、とりあえず速報として各電網ニュースの即時情報の見出しをつづって、おおまかなことをお知らせしましたが、今回はエル・ペリオディコ紙(電子版:11月30日)の記事を全訳します。ただこれにしてもほんの要点だけをまとめた程度のものです。私は今からアスナールの詳しい発言内容を分析して、そこから大切なポイントをまとめていく予定でいますが、少し時間がかかるでしょう。
●彼の発言の要点は次の通りです。
(1)3.11は市民を殺すだけでなく選挙で国民党政権を倒し社労党を勝たせる目的で、ETAとイスラム過激派を使って、仕組まれたものだった。
(2)それを仕組んだ勢力はスペイン国内にいる。(明らかに社労党を指している。)
(3)いくつかの報道機関がその策謀に加担している。
(4)「イスラムテロの可能性を軽視していた」との指摘を否定する。
(5)3.11に関する国民党とアスナールの責任を否定し謝罪を拒否する
(6)イラク戦争と3.11の関係を否定する
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(2004年11月30日付エル・ペリオディコ)
http://www.elperiodico.com/default.asp?idpublicacio_PK=6&idioma=CAS&idnoticia_PK=167692&idseccio_PK=130&h=
【訳出開始】
『アスナールは、3.11の虐殺は「選挙での逆転」を狙ったものだ、と確信』
[前首相はテロ騒動の間にとった前政権の行動を弁護し、イスラム過激派とETAとの関連についてより良い捜査を要求する]
マドリッド----
前首相ホセ・マリア・アスナールは、3.11調査委員会で、彼の政府がマドリッドの襲撃の前後にとった行動を弁護したうえで、テロの実行者は選挙結果を「逆転させる」事を望み「それを利用した誰か」についての自らの確信を示した。
国会の委員会での国家首相による始めての証人喚問で、アスナールは、単に国民党前政権があの大量殺人の犯人について嘘をついたことを否定しただけではなく、「他の者たち」が嘘をついたと非難し、いくつかの報道機関に責任を負わせた。特にラジオ局SERであるが、初期捜査に関する情報を捏造した、とした。
各党代表の前での10時間40分の長きにわたる喚問で、アスナールはこの委員会がETAとイスラムテロリストとの間の関係を調査するように強く要求した。この関係は「ありそうにもない」と信じられていたもので最新のデータの内容からは「答えの出てこない事柄」である。
同時に彼の政府が先見の明を欠いたということを否定し、そのためにイスラムテロリストに対する戦いに成功していたことを強調して、3.11の前にこの脅威を「軽視していた」とする前野党側の主張に対抗した。
[政治的な意図]
アスナールはあの襲撃の持つ政治的な意図についての確信を示した。そしてもしも選挙が3月14日ではなくて3月7日であったとしても、爆弾が4日に仕掛けられていただろう、とまで述べた。
「私は真剣に、まさにあの日を決めて襲撃を考えて計画を立てた犯人がここから遠い砂漠や山の中を歩いている、などいうことは信じていない」このように委員会で証言した。
アスナールは、その「戦略的な計画」は犯人たちが「単に犠牲者を出すだけではなく同時に選挙の結果をひっくり返す」ほどに「緻密」であったことを強調し、「最もその恩恵に浴した者達がいた」と付け加えた。そしていずれ全員が知るようなことになるだろう、と彼の確信を誇示した。
その証言で彼は、国民党政府が3月11日から14日まで公明正大に振舞い、捜査に関して持っていたすべての情報を「リアルタイムに」提供した、と表明した。ただしその情報は治安当局からのものだけだったが。
それを示すために彼は、警察の意見に反してだが、3月13日にアルカイダがこの襲撃の犯人であることを宣言したビデオの言葉を知らせるように、彼自身が決定した、ということを打ち明けた。
[ETAの犯行]
前首相は、政府が嘘をついたことを強く否定し、先例でも治安当局とCNIがまとめた情報のすべてでも、ETAが容疑者であることが示されていた、と説明した。
さらに彼は、11日当日に他の国々の報道機関が国際テロ組織の犯行を示す何らのデータも手に入れていなかったし、そのバスク集団よるものとする傾向があったことを明らかにした。
彼が伝えたところによると、捜査当局がETAよりイスラムテロリストがもっと有力であることを示す確信が持てたのは、3月14日直前の土曜日の夜から日曜日にかけてである、と念を押した。
前首相は、当初はETAが容疑者であるということとその後コーランのテープが見つかったバンが発見された後で別の線の見方も取り入れ始めたことを知らせる決定を、さらにこの第2の線の捜査を開始する決定を、アンヘル・アセベス内相の承認の元に同様に取り入れた、と明言した。
さらに、初期捜査の段階で2度にわたって報道機関の編集長に圧力をかけたことを否定した。
[SERの「嘘」]
この報道機関への行動に関して彼は、「浅ましく卑しい」と彼が判断するところの、ラジオ局SERからもたらされた「嘘」の報道を非難した。
彼が強調したところによると、このラジオ局は、自爆したテロリストがいたという偽の情報を流し、犯行声明ビデオの存在が13日の朝から隠されていたと確信させるに至った。そのビデオは13日の午後に入手される直前に録画されたもので公表が不可能だったものだ。
同時に彼は、そのラジオ局が、バンの存在が隠されていたとか閣僚がバスクの自立と選挙を中止させようとした、というように「わざと」嘘をついた、と考えている。また国民党本部に対して喪に服する日(3月13日)の間中起こったデモを扇動した者が誰なのかを確かめることができない、と嘆いた。
ホセ・マリア・アスナールは、ETAがあの襲撃に関与したかどうかについての「説」は今日提示することはできないことを認めたが、しかしそのように考える者は彼一人ではないことを強調し、委員会にETAとイスラム組織とのつながりの可能性を調査するように要求した。
彼は、この国会の調査委員会が十分な調査を行っていないことを何度も主張した。そして「利益に見合う」結論を導きかねないとして社労党に対して最後まで調査をさせるように強く求めた。
証言者であるアスナールは、調査委員たちの質問に応じて結論を引き出した。そのようにして彼は「政府が嘘をついていたと言うことはできず」ただ捜査の一つの可能性にかけていたのだ、ということに注意を向けさせた。
[反テロの戦いでの成功]
彼の返答の一部は、彼の政府がとった反テロの戦いでの成功を強調することに集中された。特に120名ものイスラム過激派の逮捕を取り上げ先見の明の無さを否定し、彼の強調するところによると、彼はイスラム過激派の危険性を繰り返し警告した。
この900名以上のテロによる死者を出している国で、どんな場合でも、先見の明の無さを言う事は「軽率」かつ「無責任」である、と彼は述べた。
彼は、かつてはイスラム過激派の脅威を軽視したのに現在になって国民党政権の先見の明の無さを非難する者たちを批判した。彼は首相ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロをその中で名指しし、また一般的には、現在収監中のDixanコマンドのメンバーとされているカタルーニャにあった集団の逮捕に関して嫌味な評論を書いた批評家たちを取り上げた。
アスナールは現在の政府に対して「言い訳の効かないもの」と指摘し、すでにスペインがイラクから立ち去った現在、最近逮捕されたイスラム過激派の計画に関して「どんな説明を」することができるのか、と尋ねた。
その一方で彼は、「サダム・フセイン抜きでより良く生きよう」と弁護したイラク戦争へのスペインの加担がマドリッドの襲撃を関係あることをきっぱりと否定した。
彼の判断によると、イラク戦争に加担したことで「アスナールに責任がある」という理屈は、2003年のカサブランカでのテロの後で、サパテロとIU指導者のリャマサレスが、スペインが目標にされたと彼を非難した時から始まっていたのだ。
同時にまた彼は、このカサブランカ事件に対して「警戒心」を緩めていたことを彼が認識したときに、彼は、スペイン社会がETAと比べてイスラム過激派を重要視していなかったことについての「幅広い」反省を作りつつあった、ということを明らかにするために、彼の戦争参加への説明を使った。
個人的な見解としてホセ・マリア・アスナールは、ETAの殺人の意図を含めて、3.11事件が彼の人生の中で「最も厳しい」瞬間を与えたことを認めた。そしてサパテロが彼に捜査の情報を与えるために声をかけたことがないことを嘆いた。
また彼は今後も今までと同様の行動をとることを表明し、かれの「義務」を果たしたと考えているため謝罪を拒否した。そして彼の政策の目的の一つがテロリズムを終わらせることにあった、と弁護した。その脅威はまだ続いていると指摘したが。
3.11以前の捜査に関して、失敗があったかもしれないことは認めた。第一のものはアストゥリアスでのダイナマイト密売に関するものである。しかしいずれの場合でもグアルディア・シビルと警察の作業をはっきりと擁護した。
【訳出終わり】