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Baghdad Burning
バグダードバーニング by リバーベンド
http://www.geocities.jp/riverbendblog/
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戦火の中のバグダッド、停電の合間をぬって書きつがれる24歳の女性の日記
『リバーベンド・ブログ』。イラクのふつうの人の暮らし、女性としての思い
・・・といっても、家宅捜索、爆撃、爆発、誘拐、検問が日常、女性は外を出
ることもできず、職はなくガソリンの行列と水汲みにあけくれする毎日。「イ
ラクのアンネ」として世界中で読まれています。すぐ傍らに、リバーベンドの
笑い、怒り、涙、ため息が感じられるようなこの日記、ぜひ読んでください。
(この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです)。
(TUP/池田真里)http://www.geocities.jp/riverbendblog/
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2004年11月1日(月)
テロリストたち
ここ数日、空はどんよりと曇っている。埃と煙と湿気がもやもやと混じりあった空だ。これっていろんな点で世の中の雰囲気にぴったりだと思う−どこか暗くて重い感じに。
私はずっとファルージャのことをとても心配している。心配で心配で、戦闘地域の状況がこれからどうなるか考えていて夜も眠れなくなったくらい。バグダッドの状況も悪いけど、ファルージャはもっとずっとひどい。この数週間というもの、ファルージャからは人々が続々と逃げ出してきている。みんな、バグダッドや周辺の地域に安全な避難場所をみつけようとしているのだ。
先週、ファルージャから避難してきた人たちに会った。私にとって初めてのことだった。おばの具合が悪く、彼女が住む地域の電話が通じなくなったので、私たちは、夕方断食が明けた後におばに会いに行くことにした。車を彼女の家の私道に入れたとき、聞きなれない子どもたちの声が庭でした。おばには8歳の女の子、Sが一人いるだけなので、私は隣人の子どもたちが遊びにきたんだろうと思った。
Sは車に走り寄り、ドアを開けてくれた。Sは、こんなにたくさんのお客が来たのがうれしく、興奮してとびはねていた。私は他の子どもたちがいるはずと思って庭に目をやった。けれども、大きなやしの木とばらの茂みのほかにはなにも見えなかった。「あなたのお友達はどこ?」。おばのために持ってきたイラク風お菓子を取り出しながら、私は尋ねた。 Sが振り返り、にっこり笑ってやしの木を指差したので、目をこらして庭の暗がりにある木を見た。小さな頭ときらきら光る目が二つ、ちらりと見えたと思ったら、あっという間に消えてしまった。
私はまじめくさって呼びかけた。「こんにちは、やしの木さん!」。やしの木が小声で「こんにちは」と答えると、Sはくすくす笑った。
「だいじょうぶよ」。Sは振り返り、庭に向かって呼びかけた。「出てらっしゃいよ。いとこといとこの親たちだけだから!」。私たちは家に向かって歩き、Sはおしゃべりを続けた。「ママはだいぶよくなってきたわ。今日お客さんが来てるの。ええと、お客さんが来たのは昨日だったわ。お友だちなの。パパの親戚。あの子たちは学校に行かなくてもいいのよ。でも私は行かなくちゃいけないの」
私たちが居間に入ろうとすると、中は大騒ぎだった。テレビは大音量でメロドラマをやっている。演じているエジプト人の俳優の叫び声に混じって赤ちゃんの泣き声と母親が「シィッ」と黙らせようとする声がする。おば夫妻はここ4日間通じない電話回線が今後どうなるやらと話しあっている。私たちが部屋に入った時、赤ちゃんを抱いた女性がふいに立ち上がり、玄関に続くドアから外へ出て行った。
挨拶をし、サラームを言うなり、おばは急いで部屋から飛び出し、いやいやながらといった様子の女性と赤ちゃんを連れて戻ってきた。「ウム・アフメドよ」。おばは私たちを紹介し、有無をいわせず女性をソファーに座らせた。「彼女はファルージャから来たの…」。
おばは事情を話し始めた。「夫の親戚なのよ。でも今まで会ったことはなかったわ」。彼女は向きを変え、ヘッドライトに照らし出されて立ちすくむ野生のシカのようにみえるウム・アフメドに微笑みかけた。
女性は背が高くて上品だった。やや長めの伝統的な「ディシュダシャ」(どっしりと重い、刺繍で飾られたナイトガウンのようなもの)を着ていて、頭には軽くて黒いショールをかぶっていたが、ショールが滑り落ちかかっていたので銀色の筋の混じった濃茶色の髪が見えた。年齢を推測するのはほとんど不可能だった。どことなく若い雰囲気だから、たぶん33か4ぐらいだろうと思った。でも、緊張と心配でやつれているのと白髪があるのとをあわせると、40歳のようにも見える。彼女はびくびくしたようすで私たちに会釈し、赤ちゃんをきつく抱きしめた。
おばは「ウム・アフメドとかわいい子どもたちはファルージャの状況がよくなるまでここにいるのよ」と宣言した。それから私の小さないとこに向かって「サマとハリスを連れてらっしゃい」と言った。やしの木陰に隠れていた子どもたちがサマとハリスなんだなと私は思った。それからすぐ、サマとハリスがに連れられて居間に入ってきた。サマは10歳くらいの華奢な少女で、ハリスは6,7歳くらいの丸々太った男の子だった。彼らは私たちと目をあわせようとせず、大急ぎで母親のもとに駆け寄った。
ウム・アフメドは静かに「『こんにちは』を言いなさい」とさとした。サマは進み出て握手をしたが、ハリスは母親の後ろに隠れてしまった。
母は「まあ、いい子ねえ!」とほほえみ、サマにキスをした。「サマ、あなたは幾つ?」
「11歳です」。サマは自分の母親のとなりに腰掛けようとしながら、小さな声で答えた。
父は「ファルージャの状況はどうですか?」と尋ねた。私たちはみんな答えを知っている。ファルージャは恐ろしいことになっていて、状況は日ましにひどくなるばかりだ。ミサイルと爆弾が絶え間なく降り注ぎ、町は廃墟になった。どの家族もできるだけのものをかき集めて逃げ出している。家々は戦車と爆撃機に破壊されている。…それでもこの質問をしなくてはならなかった。
ウム・アフメドは不安なようすでつばを飲み込んだ。眉間のしわが深くなった。「とてもひどい状況です。私たちは2日前に町を出ました。アメリカ人たちが町を包囲していて、主要道路を使わせてくれないので、私たちは他の道を使ってこっそりと出なくてはなりませんでした…」。赤ちゃんがぐずりはじめた。彼女はそっと揺すり、寝かそうとする。
「私たちは逃げなくてはならなかったのです。私には子どもたちといっしょにあそこにとどまることはできませんでした。」彼女は弁解するかのように言った。
「もちろんとどまってなんかいられなかったわよ」おばが強い調子で答えた。「とんでもないわ。そんなこと自殺行為よ。あのならず者たちは誰一人生かしておこうとしないんだから」
「みなさんに何事もないといいですね…」。私はおずおずと言った。ウム・アフメドは少し私を見て、首を振った。「私たちは、先週、隣に住んでいたウム・ナジブと2人のお嬢さんを埋葬しました。寝ているときにミサイルが庭に落ちて家が破壊されたのです」
「うちの窓も割れたんだよ…」。ハリスが興奮したようすで割り込み、それからまた母親のかげに隠れてしまった。
「窓が割れ、玄関のドアは爆風で壊れました。私たちは全員無事でした。戦闘がはじまってからずっと私たちみんな居間で寝るようにしてましたから」。ウム・アフメドは表情を変えずに語った。もう何百回も同じ話をしてきたかのようだった。彼女が話している間、赤ちゃんはこぶしをふりまわし、少し泣き声を立てた。これはありがたい音だった−つらい話題を変えることができる。「この子がアフメドちゃん?」身を起こして赤ちゃんを見ながら私は尋ねた。おばは彼女を「ウム・アフメド」と呼んでいる。これは「アフメドの母」という意味だ。ふだん子どもを持つ親たちと話をするときには、一番上の子どもの名前を使うのがふつうだ。「アブ・アフメド」は「アフメドの父」という意味。彼女がどうしてウム・ハリスでもウム・サマでもないのか、わからなかったけれど、子どもはこの3人だけだから、この赤ちゃんが「アフメド」に違いないと私は思った。
「いいえ。この子はマジドよ」。サマが私の質問に静かに答える。赤ちゃんは4ヶ月くらい。黒い髪の毛がもじゃもじゃしていて、一見小さな白い帽子のように見えるものを被っている。目は母親と同じハシバミ色だ。私はマジドに微笑みかけ、頭に被った白いものが帽子でないことに気づいた。それは白い包帯だった。「この包帯は?」と私は尋ねた。これが彼の頭を暖かくするためだけのものであってほしいと願いつつ。
「ファルージャから逃げる時、ほかの2家族といっしょに小型トラックに乗りました。そのときマジドは頭をなにかにぶつけ、かすり傷ができました。感染しないために包帯で保護しなくてはいけないとお医者さまがおっしゃったのです」。赤ちゃんを見ているうち、彼女の眼に涙がいっぱいになった。彼女は少しあらく赤ちゃんを揺すった。
「でも、少なくともみんな無事だったのね…あなたがここにいらしたのはとても賢明だったわ」。母が言った。「お子さんたちは元気だし−それがなにより大事なことですものね」
この言葉は、私たちが期待したのとはまったく違う効果をもたらした。ウム・アフメドの眼から突然涙が溢れ出た。一瞬の後、彼女は号泣しはじめた。サマは顔をしかめ、母親の腕から赤ちゃんをやさしく抱き上げ、赤ちゃんをあやしながら廊下を歩きまわった。おばはすばやくコップに水を注いでウム・アフメドに手渡して、私たちに言った。「アフメドは14歳の息子さんで、お父様といっしょにまだファルージャにいるのよ」
「あの子を残していきたくなかった…」。彼女の手の中でコップの水が震える。「でも、あの子は父親抜きで町を離れるのはいやだと言ったの。車が町から出て行こうというときになって、私たちは離れ離れになってしまった…」。おばはあわてて彼女の背中をやさしくたたき、彼女にティシュペーパーを手渡した。
「ウム・アフメドのご主人はね、ああ神様お守りください、モスクと協力してほかの家族の方々が逃げるのを助けてらっしゃるのよ」。おばは話しながらウム・アフメドの隣に座り、涙をいっぱい溜めたハリスを引き寄せ、膝に抱き上げた。「おふたりともきっと無事よ。もしかしたらもうバグダッドに着いてるかもしれないわ…」。おばはきっぱりと言った。誰もそんなことを思っていないのに・・・。ウム・アフメドは表情を変えずにうなずき、床の上のじゅうたんをぼんやりと見つめた。ハリスは目をこすり、母親のショールの端にしがみついた。「彼女に約束したのよ、私」とおばは私たちに向かって言う。「もしおふたりからの知らせがもうあと2日間なかったら、アブ・Sが車でファルージャまでおふたりを探しに行きますって。バグダードにいる避難民みんなが行くあのモスクに言付けてあるの」
女性を見つめていると、戦争の恐怖がよみがえってきた―爆撃と銃撃にさらされる日々―戦車が道で轟音を立て、ヘリコプターが頭上で威嚇するかのようにホバリングする。夫と息子からの知らせを待ちつつ、あと数日もの苦しい時を彼女がどうやって過ごすことができるだろうと思った。何がつらいといって、大切な人たちと離ればなれになり、その人たちの生死を思い悩むことほど耐え難いことはない。落ち着かない思いが心の内をがりがりとかじり、消耗しきった気持ちと駆り立てられる気持ちが一時に襲ってくる。頭の中で悲観的な声が死と破滅の物語を1000回もささやき続ける。すさまじい破壊に直面したときに感じるどうしようもない無力感。
で、ウム・アフメドは、ファルージャから逃げ出したテロリストの一人っていうわけだ。
もしも彼女の夫と息子が亡くなったら、彼らはアルカイダのリーダー、どころか、アブ・ムサブ・ザルカウィその人の親族ってことになるんだろう…アメリカではいつもそういうことになってしまうのだ。
ブッシュとアラウィがファルージャでの犠牲者について語り合っているのを見ると、頭がおかしくなる。あいつらによると、ファルージャにいる人はだれもかれもテロリストで、ふつうの家でなく、巣穴のような隠れ家に潜んでアメリカを破滅させるために計画を練っているらしい。
アラウィは最近「平和的交渉」が成功しそうもないため、大規模な軍事作戦を取る以外手段がないなどと語った。こうしたくず話やザルカウィに関するでたらめ話はアメリカ人やイギリス人や海外で快適に暮らしているイラク人のために作られたものだ。
アラウィは下劣なやつだ。恐ろしいのは、彼は米軍の支援なしにイラクで安全に暮らすことが「決して」できないということだ。彼が権力を握っているかぎり、米軍基地とアメリカの戦車がイラクの全土に存在し続けるだろう。占領軍がファルージャに襲い掛かると脅すことで、彼は支持を得られるなんて思えるのだろうか。イラクの人々はファルージャから逃げてくる人たちを英雄のように迎えている。自分たちの家の部屋を空けて彼らを泊め、食べ物やお金や救急物資を寄付している。イラクではだれもがアブ・ムサブ・ザルカウィがファルージャにいないと知っている。私たちの知る限り、彼はどこにもいない。彼は大量破壊兵器のようだ―大量破壊兵器を引き渡せ、さもなくば攻撃するぞ。さて攻撃が行われてみたら、どこにも兵器がなかったことが明らかになった。ザルカウィに関しても同じことになるだろう。次々と登場する政治家の誰かがザルカウィに言及するたびに、私たちは笑っている。彼は大量破壊兵器よりさらに都合がいい。なにしろ足があるから。ファルージャでの大失敗にけりがついたら、ザルカウィはタイミングよくイランやシリア、ひょっとしたら北朝鮮にでも移動することだろう。
ファルージャに関する「平和的交渉」についていえば、そんなものは一切存在しなかった。やつらはこの数週間ファルージャを爆撃しつづけている。爆撃はたいてい夜行われる。現場の惨状や多くの犠牲者のことはまったく報道されない。一家全員が生き埋めになったとか、路上で狙撃されて殺されたといったことを、私たちはずっと後になって耳にすることになるのだ。
ところで、アメリカ人よ、この1年半で10万人が亡くなった。その数は今も増え続けている。ブッシュをもう4年間在任させてごらん、そうしたら50万人という記録を達成できるかもよ。
リバーにより午後9時57分に掲示
(翻訳 いとうみよし)