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2004年 11月 06日
Prisoners for "Freedom"
「次の大統領選の時は、ブッシュ以外に投票するんだな。じゃなきゃ、また戦場で会うことになるぜ」
「ハハ、そうすることにするよ。ブッシュの野郎にはもうウンザリだ」
昨年6月、イラク中西部アル・バグダーディの捕虜収容所で私と米軍兵士"スキン"はこんな会話を交わしていた。
フセイン政権崩壊後のイラクを取材していた私は、住民と米兵が連日激しい衝突を繰り返していたファルージャとラマディに入った。
ところが、ラマディ大学を取材中、手違いで拘束されてしまったのである。大学内は立ち入り禁止地区だったのに、門番の米兵がボケててそのことを伝えてくれなかったことがトラブルの原因だったが、実は、大学敷地内にラマディ掃討作戦のための秘密の米軍キャンプがあったため、ことがややこしくなった。「同盟国」の国民であるハズの私は、スパイ容疑で尋問を受け、アル・バグダーディの捕虜収容所に"ジェームズ・ボンド from トーキョー"・・・じゃなくて、"Enemy prisoner of war(敵捕虜)"として8日間過ごすハメになったのである。
収容所はイラク空軍基地跡の格納庫で、私がいた格納庫には、有刺鉄線に囲まれて50人程のイラク人達が、両手を縛られたまま、打ちっぱなしのコンクリートの床の上に座っていた。捕虜の中には、12歳の少年や、松葉杖をついた老人もいた。捕虜達は立つことも、私語も許されず、規則を守らなかった場合は頭に袋をかぶせられたり、エビぞりのような苦しい姿勢で両手足を縛られたりした。
米兵達はことあるごとに捕虜達に罵声を浴びせていたが、中でも一際、凶暴そうな顔をしていたスキンヘッドの米兵は、執拗に捕虜達に汚い言葉を投げつけていた。彼が"スキン"だった。
収容所にいる内に、私は奇妙なことに気が付いた。夜になると、"スキン"はまるで人格が変わったかのように親切になるのである。コンクリートの床は硬く寝づらい。私が靴を枕にして寝ていると、「ヘイ、ジャッキー・チェン、これでも使え」とマットを放り込んでくれた。さらに「トイレ」の名目で、私を格納庫の外に連れ出してくれ、タバコも勧めてくれた。
"スキン"は言った。「俺はこんな仕事はもう嫌だ。だけど、上官が見ている間は、俺達は捕虜達に厳しくしないといけない。そうしなきゃ、自分が酷い目にあわされるんだ」。満天の星の下、毎晩のように"スキン"は、俺はもう帰りたい、故郷に残した彼女が恋しい、と愚痴っていた。私が縛られたままの両手を見せ、「アンタも俺と同じだな。ここに囚われている」と言うと、"スキン"は「ああ、そうなんだ」と何度もうなづいていた。今にも泣き出しそうな顔で。
8日目になって、やっと誤解が解け、私は解放された。だが、恐らく、"スキン"は捕虜達と共に収容所に囚われたままなのだろう。或いは、スンニ・トライアングルの激戦地へと駆り出されてしまったのかもしれない。
…なあ"スキン"、まだ生きてるかい?またブッシュが4年やることになっちまったな。残念ながら、テロに怯えるヒトビトにとって、アンタらの生き死にはどうでもいいことのようだ。妊娠中絶や同性愛結婚に反対するキリスト教右派や、減税を期待する大金持ち達は、アンタらがどんな思いでイラクにいるのかなんて知ったことじゃないらしい。アンタがくれたタバコ、うまかったぜ。いずれまた戦場で会おう。
画像は、バグダッド中心部ハイファ通りでの掃討作戦中、熱射病に倒れた米兵。今年7月、撮影。
P.S. 今回の選挙がいかに怪しいものだったのか、名著「金で買えるアメリカ民主主義」の著者グレッグ・パラスト氏が報告している。暗いニュースリンクで日本語訳されているので、このブログの読者の皆さんにも是非、読んでいただきたい。
*「腐り果てた選挙」 *「ケリーは勝っていた」
# by rei_shiva | 2004-11-06 00:45