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Falluja 2004/11/03
http://usaterror.tripod.com/fal031104.htm
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Falluja, April 2004 - the book
http://teanotwar.blogtribe.org/entry-c8e1d74d4fd239b246c627c340cdac13.html
ファルージャの祈りと涙:包囲されたファルージャより(2)
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10月16日にBBCオンラインに「包囲されたファルージャより」という記事が出ました。11月5日,再びBBCオンラインにファルージャ内部からのレポートが届いています。
ファルージャの祈りと涙
Prayers and tears in Falluja
Last Updated: Friday, 5 November, 2004, 14:48 GMT
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/3986085.stm
イラク,ファルージャは外周部に集まった米軍による攻撃を前に,緊迫感に包まれている。
BBC Newウェブサイトは,ファルージャ市内の記者と電話で話をした。記者は,町に残った人々が包囲と爆撃の中をどのように生きているのかを説明してくれた。なお,記者の名前は,安全のために伏せる。
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私の住む地区の周囲に爆弾が落ちる音を聞くと,いつも思います――今にも来る,殺されるかもしれない,と。
夜間が一番ひどいです。夜間は爆撃が最も激しいからです。
大きな爆弾が近くのどこかに落ちると,その後で叫び声や嘆く声が聞こえてきます。
とても変な感じがします。叫び声の合間に,ミサイルがもっとたくさん飛んでくる音がするんです。
その時に思うんです――次は自分かもしれない,と。
爆撃の間に聞こえる音はほかにもあります。祈りの声です。あまりに恐ろしいので,大声を上げて祈るのです。
ときどき,人が何か普通ではないことを言っているのも聞こえます――即興で作っているんです,自分だけのお祈りを。
米大統領選
ファルージャからも米国の大統領選挙は追っていました。
生きるか死ぬかの問題でしたから。ジョン・ケリー候補が勝つことを望んでいた人が多かったです。ケリーなら,私たちの町がこんなふうに攻撃されることは許さなかったかもしれませんから。
もちろん,大きく見れば,(ブッシュでもケリーでも)米国のイラク政策は変わらないっていうことはわかっています。ジョージ・ブッシュとジョン・ケリーが同じコインの裏と表だということは,忘れていません。
それでも,今の私たちの町に関する限り,ケリーの勝利なら,多少の希望はもたらされたかもしれないのです。
道路封鎖
1ヶ月前に,市の北部にある前の家を出てきました。アメリカ軍があの地域を四六時中爆撃するようになったからです。
今は何人かの友人たちと,ファルージャの中心部の近くに住んでいます。
ここにいるのは男だけです。妻や子どもたちはファルージャから出て行っています――バグダードに送った者もいます。あるいは近場の,ここよりは平穏な地域に送りました。
みなで料理をして食事をし,ほとんどずっと家にいます。
家を出たい場合は,朝の7時からお昼の1時の間が最も安全です。アメリカ軍の攻撃がこの時間帯は一休みするのです。
ファルージャ中心部のスーク(市場)は朝からお昼までやっています。幸運なことに,まだ今のところ,食料は尽きていません。
けれどもいつまで持つことやら,わかりません――2日前,政府はファルージャから(東の)バグダードへの道と(西の)ラマディへの道を封鎖すると言っていました。
そうなったら,何を食べればいいのやら。
でもまだ肉はいくらか手に入るのではないかと思います――ファルージャではたくさんのヤギを見かけましたから。
町から出る道路でまだ通れるものは,1本しかありません。けれどその道路も,米軍兵士のいる検問所を通るんです。
この道路もじき閉鎖されるだろうと,みんな思ってます。
病院
多くの人がファルージャを離れました。残っているのはだいたい男だけです。
ここはかつて50万の人口がありました。
ですが,今ここにいるのは,10万くらいではないかと私は思います。
もっと前に町を出ていこうとした人たちもいたんですが,家を離れて生きていくことはできなくて,戻ってくるよりありませんでした。
今,イラクは生活することが困難な場所となっています。(仕事などの)機会はそんなに多くはありません。
私が見た病院は,人であふれていますが,物資も薬もまるでありません。電気も不安定で,病院の運営は難しいです。
毎日,10から18の新たな患者が運び込まれています。
怪我人は,たいした手当ては受けられないとわかっています。ただ,医者の側にいたくて病院に来るんです。医者が話しかけてくれるのを聞くために。