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2004年11月11日(木)
萬晩報通信員 飯田 亮介
イタリアにいると中東が日本より近いせいか、イスラムの移民の姿が目に入るせいか、はたまた自分も彼らと同じ、非欧米の外国人であるためか、または反ブッシュ政権が大半のヨーロッパにいるせいか、イラクのニュースに敏感になります。
ひどいことが続いています。そして、ひどいことの一端を日本も担いでいます。残念です。何とかしたい、そう思います。
イタリア在住の私が今日たまたま眼にしたNHKの衛星ニュースでは、ファルージャ攻撃の特集をやっていた。キャスターと軍事アナリストの間にはファルージャの衛星拡大写真が拡がっている。まるで「川中島の陣」か何かを分析するかのように、淡々と語られるウォー・ゲーム。「戦略」を知ることで、視聴者にどんな思考を展開させようと言うのか。
センチメンタルな「感情論」と非難されるかもしれない。だが、そこには流されることになる「血」も「涙」も見えなかった。「理屈じゃない」無惨な戦争の姿が見えない。
以下にPeaceReporter.netに11月8日、クリスティアン・エリアが書いたレポート「ファルージャの呪われた人々」の翻訳を転載します。
http://www.peacereporter.net/dettaglio_articolo.php?idc=0&idart=329
■ファルージャの呪われた人々
「情況はますます悪化してます。ファルージャから20キロの距離にあるAmiryaの町を見れば、疎開者たちの困難はたちどころに理解できます。10月26日の時点では、スンニ派の町(ファルージャ)からやって来た150家族の疎開者を迎え入れていましたが、今ではそれが、ほぼ1万7000家族になっています」。
イタリア連帯協会(Consorzio Italiano di Solidarieta'=ICS)の責任者、ダウニア・パヴォーネはヨルダンのアンマンからそう答えた。パヴォーネはアンマンから、同NGOのために働くイラク人7人の活動をコーディネートしている。
「わたしたちはファルージャとラマディのあるアンバール県全域の難民の情況の把握を試みています。飲用水から医薬品、マットレスから毛布まで、足りないものばかりです」。
2004年4月の攻撃を受けるまでファルージャの人口は30万人ほどもあった。その時期から多くの住人たちが脱出を始めたが、当時はまだそれほど絶望的なものではなく、近隣地区の親族や友人たちをたよっての避難だった。疎開者の流出は漸増しつづけ、今では、地元の医療関係や報道関係者の情報によると、ファルージャの町には総人口の20%以下が残るのみだと言う。
「疎開した家族たちは最低限の避難場所になりうるあらゆる建物を占拠しはじめました」パヴォーネは語る「公共施設、学校にモスクです。ここでは、アラウィ政権の支配は全く機能していません、行政者すらいないのです。悲劇的なのは、食糧配給を受けるためには役所が発行する居住証明カードが必要だという事実です。彼ら避難民には食糧を手にする権利が無く、ファルージャに残った人々には、食糧運搬上のリスクから食糧が供給されないのです」。
ファルージャにいる報道関係者は、眼を疑うばかりに家財道具を満載した、途切れることの無い自動車の長い列のことを語った。それはファルージャに残った約2000の家族たちだ。合衆国空軍が投下する爆弾の数々と、まもなくやって来る寒さから彼らは逃げようとしている。物資供給の不在から医療施設は機能せず、人々は病と餓えを抱えて逃げてくる。
かつてはツーリスト向けのレジデンスだったHebbaniyaの施設を占拠した、1万2000のファルージャの家族たちもそうだ。ファルージャの重要な宗教指導者の一人、Khaled Hammud長老は数日前、ないものだらけの彼らのために声明を発表した。
今回の同盟軍の軍事作戦は、数日前にファルージャの町にばらまかれたビラと拡声器を通じて伝えられた宣告によって先触れが行われた。その宣告は女性と子供たちに町を出て行くように促すものだった。さらに、45才未満の男性はすべて戦闘員であると見做されること、武装した男性はその年齢にかかわらず逮捕されるであろうことを強調していた。
町に午後6時から翌朝6時までの戒厳令がしかれ、ファルージャの住民たちはテロリストの逮捕のために米軍への協力が要請された。今回の攻撃の目的はつまり、イラク反抗勢力の本拠地と見做され、ヨルダン人テロリスト、ムサブ・アル・ザラウィが隠れているとされているファルージャを奪還することにある。
昨夜、ファルージャはひどい爆撃の標的となった。町の手前で宿営している2万の米兵とイラク兵に、入城のための道を開くことが爆撃の実質的な目的だった。爆弾は医療物資の大倉庫に命中し、日の出からまもなく、兵士たちはユーフラテス川にかかる2本の橋を確保し、ファルージャの最も重要な病院を確保した。同病院の上には、少し前からイラクの国旗が翻っている。
ファントム・フューリ(Phantom Fury)と名付けられたこの作戦による戦闘の最初の報告は、地元の医療関係者によれば、民間人の死者が12人ということである。そのうち数人は爆撃によって崩れ落ちた建物の下敷きとなり、その他の死者は町の殉教者墓地での葬式に参列中に死亡した。攻撃側には2人の死者が出た。米兵2人が、ユーフラテス川に落ちた軍用車のなかでおぼれ死んだのだ。
ファルージャにいる報道記者たちによれば、同盟軍の兵士たちも日の出の頃はさしたる抵抗を受けずにいたが、時を追うに従い、戦闘が激しさを増していったということだ。町の到るところで、幽霊じみた廃虚と破壊を背景に、戦火が交えられている。
ファルージャ奪還のために派遣された舞台は米軍の特殊部隊とShahwanisと呼ばれるイラク軍の一大隊で編成されている。Shahwanis大隊は解体されたサダム・フセインの軍隊で兵役を務めていた兵士たちからなるエリート部隊だ。同大隊は市街戦向けに八月から訓練されてきていて、ペンタゴン(米国防総省)から直接に給料をもらっている。数日前、米軍の訓練官の一人、マイケル・アップルゲイト軍曹は、同大隊のうち138名がファルージャで戦うことを拒否したと報告した。
彼らに対し、今日、ムスリム聖職者協会(Muslim Clerics Association)のウラマー(導師)たちが発した声明は、「イラク軍とあらゆるムスリムは、イスラム教も人権も尊重することの無い軍隊の旗印のもとにファルージャを侵略するという大きな過ちを犯してはならない」と呼びかけている。
ファルージャのムジャヒディンのシューラ(戦士議会)は以前に声明を発し、そのなかで、「イスラムに対する十字軍遠征の証人となるために、そしてアメリカの本当の顔を見るためにファルージャに入るメディアには、誰にでも許可証を与えよう」と明言していた。こうした声明の数々に、今日、より総合的な聖戦への参加をすすめる一つの声明が加えられた。それはザルカウィとつながりを持つとされるグループが出した声明である。
爆弾と言葉たちの数々からなる戦争、その狭間には、今もファルージャに閉じこめられたままの人々がいる。ファルージャから遠ざかることの出来た人々も、決してましな情況にはいない。11月6日ヨルダン紙のAlarab Alyawmが、ヨルダン国境を越えたイラク人たちは恐らく7000人以上にのぼると報告している。
今日アラウィ政権は、60日間にわたりイラク全国にしかれた戒厳令の処置の一つがまさに、その国境とシリアとの国境を閉鎖するものであることを明らかにした。それは、ファルージャの呪われた人々の目の前で閉ざされるもう一つの扉である。(了)
この翻訳文は「反戦翻訳団」に掲載予定です。
反戦翻訳団:http://blog.livedoor.jp/awtbrigade/
i 飯田さんへメールは mailto:info@ryosukal.com
飯田亮介のホームページ http://www.ryosukal.com
http://www.yorozubp.com/0411/041111.htm
なぜ不祥事が続発しはじめたのか。
その要因としてまず挙げられるのが、旧田中派から続く旧橋本派の自民党内での弱体である。海老沢会長と旧田中派は彼が政治部記者時代からの旧知の仲。日本歯科医師連盟からの政治家献金問題が持ち上がらなくても、とくに野中広務n議員辞職は、政界からの圧力を防ぐ盾だっただけに、海老沢会長にとってはショックだったに違いないと言われている。
もう一つ大きな要因としては、球界のドンと言われた渡辺恒雄・巨人オーナーの辞任である。海老沢会長は知る人ぞ知る“狂”の字がつくほどの巨人ファン。
「その縁で、巨人戦をNHKで放送することに成功したのですが、彼は読売と手を結んで有事法制などを何の批判もせずに垂れ流す。反戦デモは放送しない。日本を戦争の道へ導く張本人ですよ。今回の不祥事でもう『NHKは死んだも同然』です」(元NHK政治部関係者)
<中略>
責任をとって海老沢会長は辞任すべきのはずが、態度は一貫して強気である。それを可能にしているのが、小泉政権・森善郎前首相との関係強化である。
「もともと、森派とは縁がなかった海老沢会長は、服心中の腹心である“O記者”に命じて、小泉や森と関係を結ぶことに成功した。その功労賞的意味合いで、政治部を追われていたO記者を今年7月、政治部に復帰させたわけです。これでは、NHK政治報道は、ますます骨抜きになりますよ」(前出元NHK政治部関係者)
時の権力と手を組んだメディアがどうなるか、すでに歴史は証明している。
<後略>