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『バグダッド・バーニング』(アートン社刊)は、占領下のバグダッドに住むイラク人女性の英文インターネット日記を邦訳出版したものだ。著者は「リバーベンド」とだけ名乗り、身元を秘匿している。身の安全を確保するためというよりは、むしろ言論のゲリラ戦法ではないかと思えるほど、政治的主張が鮮明で、痛快このうえない。
ブッシュ、ブレマー、チャラビ、アラウィなどをこきおろす毒舌はまだ序の口。それよりも、政治動向の読みの深さがただものではない。たとえば、サダム逮捕にさいしては、「これでイラクの人々は、自分たちの国の主権のために闘える。サダムのためでなく」という「学者」(おそらくクベイシ師)の発言を引用して、ゲリラの高揚を予測する。サダム裁判については、アメリカの妨害によって公開されないだろうとほのめかす。「80年代のアメリカとの政治的取引(ほら、あの)が公になるかもしれないでしょ」と。
反政府諸党派にたいする評価もシビアーだ。SCIRIはイラン追随勢力であるうえにアメリカとも取り引きする党派として酷評。シスターニ師は反占領の旗幟を鮮明にするときだけ支持する。サドル師については、最初はSCIRIにたいしてと同様に批判していたが、二〇〇四年四月の武装蜂起以後は、彼の悪口をぴたりとやめた。サダムについては、科学技術や教育に力を注ぎ女性の地位を向上させたことを評価し、専制体制は批判するというように是々非々の態度。独立を要求するクルド人組織にたいしては、これをはっきりと非難する。もしも独立を認めたら、「国を5つ以上に分割しなければならないだろう」と。
イラク愛国主義というべき右のような政治的立場は、スンナ派の「イラク・イスラム聖職者協会」、あるいはそれを中軸にしてシーア派やクルド人組織も加えた「イラク建設国民会議」のそれに近いといえる。特定の討論グループに属し、定期的に論議していないかぎり、これほどの政治的見解は表明できないであろう。
とはいえ、この日記は政治的プロパガンダではない。筆者が印税を受けとらない本として出版されたのも、政治的理由からではあるまい。二十四歳の女性の個性あふれる文章が、深い共感を呼んだからであろう。
「アミリヤ・シェルター大虐殺の記憶のために」と題された一章(三三〇〜三三九頁)は、短編小説の筆致で読者に語りかける。一九九一年の湾岸戦争のさいに、女性と子供だけを避難させていたシェルターを米軍がミサイルで狙い撃ちし、四百人以上が一瞬にして虐殺された。その情景を克明に描いたあとで、日記は、シェルターが自分の家になってしまった一人の女性を紹介する。日本人観光客にたどたどしい英語で必死に説明していたその人は、一瞬にして八人の子供を亡くしたのだった。事情を聞いて衝撃をうけたリバーベンドは、この場所を、「自分だけが生き延びたことで苦しんでいる生者たちが憑依(ひょうい)している場所」と呼ぶ。
日記のなかで、「死より悪い運命に対する恐怖」がくりかえし語られる。侵略が始まった直後、死ぬときは一緒と思っていた彼女は、死に別れになる覚悟を母親から迫られてハッとする。生き残る苦しみ、目の前で肉親や知人を殺される苦しみ、目の前で拷問される苦しみ……。死ぬ以上の苦しみの具体的な姿が次々に暗示されていって、最後に、アブグレイブ刑務所でのおぞましい拷問の写真に直面したときの驚愕。そして叫ぶのだ。「彼らがしたことを、その子、孫たちがずっと背負い続けていくことを要求する」と。
死者を返せと求めても、死者は二度と生き返らない。その代償に死をもって償わせても、問題は解決しない。どうすればよいのか。リバーベンドは考えた。死よりも重く終わらない苦痛を、ともに苦しむことから始めよう、と。
〈共苦〉を求める熱情――日記が感動をよぶ理由が、ここにあると思う。安全圏にいると思いこまされているアメリカや日本の民衆でも、労働者であるかぎり、ともに苦しむことは可能だという確信が、日記にはみなぎっている。弾劾の言葉は激しいが、つきはなすのではなく引きつける。同じ喜怒哀楽を味わわせ、心をつなごうとする。
★書籍情報
『バグダッド・バーニング―イラク女性の占領下日記』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4901006754/qid%3D1098359633/250-2481489-8988226