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(回答先: ベトナム戦争下、「タイガーフォース」住民虐殺事件を暴露した米地方紙「ザ・ブレード」【毎日新聞;】 投稿者 ジャック・どんどん 日時 2004 年 10 月 19 日 16:06:46)
この記事ですね。
ベトナム戦争:住民虐殺を暴いた米地方紙「ザ・ブレード」 隠ぺいは許さない
毎日新聞10月19日
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/vietnam/news/20041019ddm012030002000c.html
ベトナム戦争中の1967年、ベトナム中部で米陸軍の特殊部隊「タイガーフォース」による大規模な虐殺事件があり、数百人の民間人が殺害されていたことが、米紙の調査報道で明らかにされた。隠ぺいされていた戦争犯罪を8カ月にわたる地道な取材で暴き出したのは、オハイオ州トレドの地方紙「ザ・ブレード」で、04年のピュリツァー賞(調査報道部門)を受賞した。一方で、イラク派兵が続く米国でこのスクープは「非愛国的」とも受け取られ、新聞社には抗議が殺到した。記者たちは何を考え、どう行動したのか。【トレド(米オハイオ州)國枝すみれ】
◇「非愛国的」との抗議にも動じず
イラク開戦目前の03年初め、ワシントン近郊で陸軍犯罪捜査部(CID)の元高官が病死した。メディア嫌いで知られた人物だったが、ただ一人親しかったブレード紙のマイク・ウッド記者に古い書類が詰まった箱を残した。中身は、元高官が自宅で秘密裏に保管していた陸軍の犯罪記録だった。
◆玉ネギをむくように
同僚のマイク・セラー記者は少しずつ文書を調べ始め、膨大な文書に交じる22ページのファイルに目を留めた。タイガーフォースの兵士の名前と犯した罪だけが簡潔に記された一覧表だった。
調査報道には記者4人が投入された。情報公開法を使ってCIDから1000以上の文書を入手し、米国とベトナムで100人以上にインタビューを重ね、証言を集めた。
8カ月間の取材活動について、取材班のジョー・マー記者(32)は「玉ネギをむいているようだった。核心に近づくため一枚一枚、皮をはいでいった」と振り返る。
突破口はタイガーフォースに所属していた元兵士への直接取材だった。ハロルド・フィッシャー元衛生兵は「村に行って手当たり次第に殺した。理由は必要なかった」と告白した。ウィリアム・ドイル元3等軍曹は「唯一、後悔していることは、もっと大勢殺さなかったことだ」と言い放った。
ベトナム中部の町クアンガイ一帯で7カ月間にわたって繰り広げられた残虐行為は捕虜の虐殺に始まり、住民の虐殺、拷問、放火、レイプへと拡大していった。元3等軍曹は「4、5人の仲間だけで、誰も監視する人間がいないのだから、何でもできた」と明かした。
一方、ベトナムで現地取材したセラー記者らに、70歳の女性は「ガチョウを背負って帰ってくるはずだった伯父が殺された。遺体は銃撃で穴だらけだった」と証言した。日時も殺害状況も元米兵の証言と一致した。
◆誰も起訴されず
取材班はこの犯罪が闇に埋もれた理由の調査にも取り掛かる。CIDによる捜査は71〜75年まで4年半続き、18人について殺人、暴行、虐待などを犯したと認定したが、誰も起訴していない。中心的人物のジェームス・ホーキンス元中尉は取材に応じ、75年11月に国防総省に呼び出された際、陸軍少将(01年に死亡)から捜査終結を示唆する発言を聞いた、と証言した。
取材班はニクソン政権とフォード政権の幹部と国防長官らに報告が上がっていたことまで突き止めたが、隠ぺいの最終責任者を割り出すことはできなかった。
73年、米軍のベトナム撤退。74年、ウォーターゲート事件でニクソン大統領が辞任。75年、サイゴン陥落。マー記者は「時代は激変していた。もうスキャンダルは十分、傷を癒やそう、という機運が高まっていたのだろう」と推測する。
◆イラクの米兵にこそ
03年10月、連載が始まると、数百の電話やメールが殺到した。半分は「イラクで戦っている時になぜ軍の恥部を暴くのか」「ベトナム帰還兵のほおをひっぱたくような記事だ」などの抗議だった。
ブレード紙は社説で答えた。「もし、陸軍がこの犯罪を厳しく調べていれば、(翌68年のソンミ村)ミライ地区の住民大量虐殺事件は起きなかっただろう。暗い秘密に光を当てなければ、我々は国民への責任を放棄したことになる」。編集主幹も「戦争犯罪が起きたことを知りながら、記事を書かなければ、新聞社も隠ぺいに加担したことになる」と記事で主張した。
元兵士の中には、加害者意識に苦しみ、不眠症、アルコール依存症に陥った人もいる。マー記者は「イラクにいる米兵にこそ読んでもらいたい。戦場では誰もが敵に見える。恐れ、怒りなどから民間人を射殺する状況が起きるのだと知ってほしい」と訴えている。
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◇「タイガーフォース」住民虐殺事件
ブレード紙が報じた米陸軍特殊部隊「タイガーフォース」による住民虐殺事件の概要は次の通り。(03年10月19〜22日の特集記事から抜粋)
◇ ◇
タイガーフォースによるクアンガイ近郊での戦争犯罪は1967年5月、ベトナム人捕虜の虐殺から始まった。部隊は捕虜を拷問にかけたうえ、「自由にしてやるから走れ」と命令し、後ろから射殺した。この処刑方法はその後、数カ月間続けられた。捕虜ののどを切り裂いたり、頭皮をはいだりすることもあった。
6月、虐殺は一般市民にも及ぶようになった。兵士らは老人を虐殺し、遺体に手りゅう弾を持たせてべトコン(南ベトナム解放民族戦線メンバー)の遺体のように見せかけた。2等兵がテニスシューズを奪うため15歳の少年を射殺し、遺体から耳を切り取ってカバンの飾りにした。部隊の全員がベトナム人の遺体から切り取った耳で作った首飾りをしていた時期もあった。
7月、ジェームス・ホーキンス中尉は、ガチョウを入れたかごを抱えて歩いていた68歳の大工の顔を撃ち抜いた。また、耕作中の農民10人への射撃を部下に命じ、4人を殺害させた。残虐行為を止めようとした兵士は違う部隊に移動させられた。8月、部隊は女性や子どもが避難していた地下ごう三つに手りゅう弾を投げ込んだ。2人の兵士が13歳の少女をレイプした後で殺害した。11月には2等兵が幼児の首を切り落とした。
別の兵士は新しく手に入れた38口径の銃の性能を試すため、老人を射殺した。
陸軍犯罪捜査部は、少なくとも81人の殺害を確認した。リオン・コーシー元衛生兵は、部隊は1カ月で120人を殺害したこともあると証言した。元兵士やベトナム人の証言から、虐殺された住民は数百人に及ぶとみられる。
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◇ザ・ブレード(TheBlade)
オハイオ州トレドで1835年に設立された日刊紙。発行部数は14万部。ウェブサイトは、http://www.toledoblade.com
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■ことば
◇タイガーフォース
米陸軍第101空てい師団所属の偵察小隊。1965年、ゲリラ戦に対応するため設立された。通常約45人で編成され、ベトナムでは偵察から掃討作戦までさまざまな活動に従事した。
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■ことば
◇ソンミ村住民大量虐殺事件
1968年3月、ベトナム中部のソンミ村ミライ地区で米陸軍兵士約100人が住民約500人を無差別に虐殺した事件。ベトナムでの米軍の戦争犯罪の象徴的な事件とされる。
毎日新聞 2004年10月19日 東京朝刊