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http://www.okinawatimes.co.jp/day/200410091300.html#no_1
10月9日
沖国大ヘリ墜落事故について、米側は八日、事故調査報告書(英文二百十ページ)を公開した。報告書から事故を起こしたCH53D大型ヘリは通常の訓練飛行ではなく、部品を取り外して着装するなど整備後の機能点検飛行中だったことが分かった。機体の配備は一九七〇年で、総飛行時間は七千二百九十五時間と老朽化が進んでいたことも新たに分かった。
「イラクの自由作戦」配備に間に合わせるため、過激な勤務を強いられた整備士が「睡眠不足のため後部回転翼を調整中、手が震えた」などと劣悪な労働条件を伝える生々しい証言もある。
事故翌日の八月十四日に予定されていたイラク派遣に間に合わせるため、規則上、一日八時間の睡眠が定められているにもかかわらず、三日連続で十七時間勤務を行った整備クルーもあった。一方、整備士同士の申し送りが口答で行われるなど、ずさんな整備体制も明らかになった。
また事故機が離陸時のホバーリング点検飛行をした際に、普天間飛行場内に尾部を覆う部品を落下させていたことも記載されている。
墜落事故は、後部回転翼の接続ボルトに装着する「コッターピン」(くさび状のピン)を付け忘れたため起きた。報告書では「整備に不正行為があったことが原因だ」と結論づけている。
航空評論家の青木潤一氏は「ジェット戦闘機の耐久飛行時間が八千時間とされており、飛行時間が短いヘリで七千時間を超えるというのは驚きだ。整備点検に相当の労力をつぎ込まなければならないことが、推測できる」と話している。
墜落時の状況は、ヘリからの異常を示す最初の無線から大学ビルへの衝突まで三十秒以内。操縦していた大尉は、沖国大のサッカー場で子供が遊んでいるのを見て、着陸可能な場所を変更したと記されている。
第一海兵航空団のティーセン司令官(准将)は「地上の犠牲を最小限にした」と乗員を称賛する一方、調査に積極的に協力した関係者に対しても「現在の状況下、免責は適切ではない」と厳しい態度で責任を追及する姿勢を示している。
「プライバシーを守る米国法令がある」として、関係者の氏名は伏せられた。国は報告書を県や宜野湾市、沖国大などに配布した。宜野湾市や県は「内容を検証して対応を検討したい」としている。
◇ ◇ ◇
米軍ヘリ墜落調査報告書要旨
米側の米軍ヘリ墜落事故調査報告書は、原因を「整備の不正行為」と断定し、ずさんな作業を批判した。事故の直接の原因となった後部回転翼の脱落のほか、後部を覆う部品も飛行中に落下していたことを指摘。証言しないように部下に指示した妨害行為や、整備員同士が互いに責任転嫁する様子も描かれており、海兵隊の倫理観の欠如が浮き彫りになっている。報告書の要旨をまとめた。
●結論
この災難は整備の不正行為によって引き起こされた。整備員が定められた手順に従わなかった。また、整備部門は長時間働きすぎていた。整備マニュアルがあいまいだったことも一因となった。
●妨害行為
コッター・ピンがナットに取り付けられていなかったことが事故原因となったが、整備員の伍長と兵長は互いに相手が外したと話している。二等軍曹は部下に誰にも事故のことを話さないように命令し、調査を妨害しようとした。
●別の落下物
後部を覆う部品などが正しく取り付けられておらず、離陸直後に滑走路に落ちた。見せかけの不完全な整備を示すが、事故の原因ではない。
●乗員
乗員は機長の大尉(30)、副操縦士の中尉(26)、伍長(22)の三人。部品を装着する整備の後に要求される機能点検飛行中だった。麻薬やアルコールの影響はなく、後部回転翼の落下に適切に対応することで民間人と乗員自身の生命を救った。
●勧告
(1)整備員の労働時間の指針を直ちに策定すること(2)整備手順に従わず、事故を引き起こした隊員たちを懲戒、行政処分すること(3)乗員の飛行前点検のチェックリストにコッター・ピン部分を加えること(4)整備マニュアルの不明確な部分を取り除くこと(5)被害者の正当な損害賠償要求には全額を支払うこと(6)CH53とCH46の座席を緩衝式に交換すること
●ティーセン第一海兵航空団司令官の回答
(1)整備員の適切な労働時間を策定するよう部下に指示した(2)隊員たちに責任があることに同意するが、彼らは派遣されており私の管理下にはない(3)チェックリストに追加する(4)海軍航空システム司令部に伝達する(5)在日米軍司令部などに報告書を提出する(6)海軍航空システム司令部に伝達する
【事実隠し疑惑】
「何かを隠そうとしている」。調査官は海兵隊員による事実隠しがあったとの疑念を報告書に記している。
調査官は墜落事故二日後の八月十五日に、事故機の後部回転翼からボルトが紛失しているとの証言を得た。事故直後に現場に急行した中佐がそう話していた。
十六日に調査官が事故機の写真撮影した際、ボルトは確認できなかった。翌十七日、調査官が大尉に尋ねると、格納庫へ案内し、小さな箱を指さした。ねじ山がややへこんだボルトと損傷がないナットが入っていた。大尉によると、それらは垂直尾翼のエンジンカバーの中から見つかったという。
伍長は調査に対し、黙秘権の放棄に同意しなかった。その理由を聞くと、軍曹が「事故については何も言うな」と指示したという。
同軍曹は「同僚の間で、この話は控えよう、との意図だった」と語り、伍長が誤解していると説明した。調査官は、軍曹に対し、調査協力するよう伍長への指示を頼んだ。再び調査官の前に現れた伍長は、軍曹からは特に支持はなかった、と語った。
調査官は「一連の出来事は、軍曹が何かを隠そうとしている、という印象を与える」と報告している。
【激務】
夜勤の整備員は事故調査官のインタビューで、三日連続十七時間の激務を説明している。
調査官「整備中にナットを後部回転翼のボルトから外したことを昼勤要員に引き継ぎしたか」
整備員「覚えていない。十七時間勤務が続いた三日目だった」
整備員「ある夜勤の作業員は、昼勤要員に引き継ぐ時、後部回転翼の羽を調整する作業を手伝ってもらった。彼は睡眠不足のため手の震えが止まらなかったからだ」
調査官「勤務体制をかいつまんで説明してほしい」
整備員「火曜日(八月十日)にスタートした。当初は十二時間の昼夜勤交代のはずだった。夜勤は午後三時三十分に仕事を始め、水曜日の午前七時半まで働いた。同日午後二時に職場に戻り、木曜日の朝七時半まで。再び同じ日の午後二時に職場に入り、(事故発生の)八月十三日の午前七時まで仕事が続いた」
調査官「事故を知ったのはいつ」
整備員「基地内のバス停にいた時に事故を耳にした。兵舎に戻ってから、三等軍曹が私たちに整備を担当していたヘリであることを告げた。二等軍曹の指示で血液検査を受けた」