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□イラク・レジスタンス・レポート 10月3日,10月4日 日本語版
・以下の記事は2004年10月3日と10月4日付けの『イラク・レジスタンス・レポート』の日本語訳です。
http://www.geocities.jp/urknews/resistance_report_2004Oct4.html
2004年10月3日 日曜日 Sunday, 3 October 2004
最近のレジスタンスの評価 Assessment
毎日90件を超えるレジスタンスの攻撃にアメリカ侵略軍が悩まされているのは、イラクのレジスタンス作戦に質的な飛躍が起こっているからだ。
イラクにいるイスラム・メモの通信員は、今後、占領軍に対してイラク・レジスタンスが展開する作戦には質的な変化が見られるだろうと考えている。
先週、通信員たちは国内50ヶ所以上の地でレジスタンスの活動を観察しており、レジスタンスの攻撃が1日平均で合計約87件にのぼるほど顕著に増えたことに注目した。
通信員自身が個人的に目撃したか、目撃者からの報告あるいは他の方法で確認した先週の状況は、次の通りである。
9月25日土曜日 レジスタンス作戦87件。
9月26日日曜日 レジスタンス作戦75件。
9月27日月曜日 レジスタンス作戦81件。
9月28日火曜日 レジスタンス作戦89件。
9月29日水曜日 レジスタンス作戦90件。
9月30日木曜日 レジスタンス作戦92件。
10月1日金曜日 レジスタンス作戦95件。
通信員はまた、レジスタンスの作戦が、攻撃すると同時に逃げる戦術から、比較的に素早い急襲戦術へと、戦略的に明白な転換があることを観察してきた。
新戦術には2時間から6時間継続する攻撃も含まれている。自動車爆弾もふたたび強力かつ威嚇的戦術として使用されてきている。
バグダッド西部のカルマ地区での爆発は、破壊力においても標的の選定においても効果的な新しい戦術をレジスタンスが採用した、最近の好例である。
そのような作戦例として、9月26日には、いわゆる民間防衛部隊なる傀儡(かいらい)軍の司令部で発生した自動車爆弾がある。アメリカ占領軍兵士が警備を交替しているとき、多くの兵士が広場で爆発にさらされた。
米軍兵士35人がこの攻撃で死亡し、8台のハンビー、2台の兵員輸送車、1台のブラッドリー戦闘車両が破壊された。
2日には、イラク・レジスタンスの自動車爆弾が海兵隊の列に割り込んで、13人の海兵隊員を殺した。
最近になってさらに洗練された戦術に加えて、イデオロギー的に異なる見解を持つレジスタンスのグループ間で、ひじょうに連携がとれてきていることも注目される。このことは、彼らが攻撃時間を調節したり、共同声明を発表する方法のなかに確認することができる。
バグダッドのハイファ通り、ラマディ、サマッラ、タル・アファル、モスルといったところでレジスタンス戦士がとった作戦行動では、明白に連携がとられていることに通信員は注目した。例えばラマディでは、合計6つの異なる組織が全面協力し、互いに防衛しあっていた。
アンバル州では、レジスタンス勢は敵を一掃する戦術を追求しており、米軍や傀儡軍の小さなパトロール部隊を全滅させることに力を集中させている。彼らは列になった小部隊を分断する攻撃をしかけ、その後は、さらに小さい方の部分を完全に一掃することに集中する。
通信員たちは、この40日のあいだに、レジスタンスの軍事戦略が大きく変化したことに注目した。それがもたらされた理由は、旧イラク軍出身の多くのスペシャリストの持つ経験を、レジスタンスが引き出せるようになったことにあると見られていて、彼らはアメリカの占領前から放置されていた既存の兵器を調節できるようになり、国内で戦われているタイプの戦況にあわせて、米軍に対していっそう有効に、いっそう殺傷力のあるものにしてきたのである。
中距離、短距離の多くのロケットが、これらスペシャリストの助けによって改良された。例えばC5Kは空対地ロケットから改良されて、地上で使えるし、対空兵器としても使えるようになった。通信員たちは、やがてそれらが高度の破壊力を持つようになると、イラク・レジスタンスの作戦に質的な飛躍があるだろうと信じている。
※訳註: 英文におけるミサイルとロケットは、日本語で使用される場合の両者の区別を意識していないことがしばしばある。ミサイルも動力にロケットを使ったり、ロケット弾も飛び道具という意味ではミサイルである。日本語では誘導型のものをミサイルと呼ぶことが多い。
2004年10月4日 月曜日 Monday, 4 October 2004
レジスタンスの自動車爆弾がバグダッドのCIA本部を攻撃
Iraqi Resistance car bomber strikes CIA headquarters in Baghdad
大爆発でCIA工作員12人が死亡
Twelve CIA agents killed in massive explosion
イスラム・メモの現地通信員は4日朝、バグダッドから、現地時間午前10時にイラクのレジスタンス殉教戦士がバグダッドにある米中央情報部(CIA)の最大の拠点の一つを攻撃したと伝えた。
ラシード・ホテルにもすぐ近いサドゥーン通り近くで大爆発が起こった。大きな本部施設から少なくとも3000人の米軍治安要員が出てきた。占領されたイラクにおける米国諜報機関の主要な拠点であることが察せられる。
米軍はただちに攻撃現場につながる道路を全面閉鎖し、イスラム・メモの通信員は被害の程度を調べたり、直接に犠牲者の情報を入手したりすることができなくされた。しかし、米軍機(ヘリ)は攻撃のあった道路から発着して、死傷したCIA要員を運搬していた。
アメリカのAP通信は、爆発は9時45分に発生し、「外国の契約企業の社員と報道陣が利用している大型ホテルの建物から出発する4輪駆動車の車列」を狙ったものだと報道した。APはさらに、米兵とイラクの傀儡軍が爆発のあと発砲したとも伝えたが、「兵士が誰にむかって発砲したのか判らない」と話す目撃者がいたことにも注目した。米軍は決まり切ったように四方八方に無差別の銃撃をおこない、たまたまその場に居あわせただけのイラク人市民を撃ち倒している。
APは、傀儡軍の「警備員」でアメリカ生まれのフライジが、「3台で構成された車列に突っこんできたとき、ピックアップ・トラックには時限爆弾が積まれていた」と話したと報道した。APはフライジが「車列のなかの1台は破壊され、近くのパレスチナ・ホテルやバグダッド・ホテルにまで破片が当たった」と話した言葉を引用していた。
「爆発物を積んでいたピックアップ・トラックはまっ二つになって、片方は通りの反対側にある店の看板からぶら下がっていた」とAPは報じた。
メッカ時間午後1時40分に掲載された速報では、イスラム・メモの通信員が、情報提供者の話とあわせて、あらためて事件の模様を伝えてきた。そこでは、2トン車を運転していたレジスタンス戦士は果物と野菜を積んで偽装し、現地時間の午前10時に車を爆発させたと書かれていた。通信員は、このトラックは1・5〜2トンの爆発物を積んでいたはずだと推測した。
目標とされたビルは、もともとイラク軍の工場に使われていた古い建物で、CIAに占拠されてからは、大きなコンクリート壁でとり囲まれていた。その周囲には監視所と多数の検問所が配置されている。大勢の米軍狙撃兵もビルの最も高いところに配備されている。
レジスタンスの運転手は、それほど多くの非常線を突破しなければならなかったのだ。運転手が正面ゲートに向かったのは、CIAの所有する多くの車両が施設への入場許可と身元確認のために待機しているときだった。レジスタンス攻撃者は米軍車両のすぐ後ろから進入してきた。
この攻撃でビルの正面は完全に破壊され、その部分は崩れ落ちた。ビル内の犠牲者数は不明だが、メリディエン・ホテルに続く道路から6台の米軍救急車が、そしてサドゥーン像の方角からも数台のイラクの救急車が現場に駆けつけるのを通信員は見ていた。さらに赤い十字のマークをつけた2機のブラック・ホーク(米軍ヘリ)も、死傷者を運搬するために攻撃現場に急行してきた。
通信員は、民間の車両5台が破壊されているのと、強力な爆発が近くのビルの壁に損害を与えているのも目撃した。
この攻撃のあと、米軍狙撃兵が近くのビルの頂上に配置され、検問所の数が増やされ、さらに多くの米兵とイラク傀儡(かいらい)軍が一帯に展開された。
それにもかかわらず、イスラム・メモの現地通信員によると、午前10時25分には、強力な2発のタリク型ロケットが付近のラシード・ホテルに命中した。
メッカ時間午前11時58分に掲載された速報で、イスラム・メモの通信員が攻撃の詳細を伝えた。
自動車爆弾はCIA本部を攻撃したもので、12人のCIA工作員を殺害したと彼は伝えた。通信員は、3台の車のなかにいた12人が殺されたと語る現地の目撃証言を伝えた。それに加えて、いわゆる「国家警備隊」のイラク人傀儡兵士5人が死んだ。彼らは最初の検問所に常駐していた。
(通信員は次のように説明した。米軍は概して施設の外に幾つかの検問所を設け、最初の検問所は有人だが、現地イラク人の傀儡軍兵士を配備している。それで彼らが多くレジスタンスの攻撃にさらされることになる。)
爆弾を積んだレジスタンスの車は、アメリカの車に続いて最初のゲートを突破し、内側のゲートで爆発した。内側ゲートでの犠牲者数は不明だが、現場に現れた救急車の数が多かったのは相当の犠牲者が出たことを示していると通信員が伝えた。
爆発事件後、CIAはイラクですべての電話を禁じた
イラクの電気通信事業で働く者からの情報を引用したイスラム・メモによると、CIA本部への攻撃のあと、アメリカ占領指令はイラクでの地上回線と携帯電話の両方とも全部の電話使用を禁止した。その日遅くには電話の全面禁止命令は国内北部地域では取り消されたが、携帯電話ネットワークが最悪で知られている国の南部では禁止がまだ続いている。
その結果、レジスタンスの拠点であるファルージャとバグダッドで軍事作戦を展開しているアメリカ占領軍の命令は、電話によって連絡をとることができなくなった。
通信員は、Resistance襲撃(死んでいて負傷した操り人形部隊のスコアを持ち去る準備ができている)の現場で、少なくとも15台の救急車を数えた。