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10月8日 ◇◆ 一つの歴史が終わり、あらたな歴史が始まるということだ ◆◇米軍移転受け入れを拒否する日本政府の不可解さ ◆◇これこそイチローの本当の快挙だ ◆◇
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□★□ 天木直人 10月8日 メディア裏読み □
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◇◆ 一つの歴史が終わり、あらたな歴史が始まるということだ ◆◇
イラクの大量破壊兵器の捜索の為に米政権が派遣した調査団が、6日最終報告
書を公表した。イラクには当時大量破壊兵器の備蓄も開発計画も存在しなかっ
たことが最終的に確認されたのだ。昨年6月から1年4ヶ月、CIA要員ら千数百
人を動員して調べたこの調査結果の持つ意味は重い。
今度の米国のイラク攻撃とその後のイラク情勢について、「自分には何の関係
もない。だから関心もない」と思っている人たちにとってはどうでもよいこと
かもしれない。しかし米国とイスラエルによって殺され続けるパレスチナやイ
ラクの人々の悲しみと怒りをまじかに見てきた私にとって、そして米国追従の
小泉外交を批判して人生をリセットした私にとっては、この報告書は歴史的な
重要性を持つのだ。
思えば昨年一月、ブッシュ政権の重要閣僚であったオニール財務長官の暴露
本から、「大義なき戦争」の論議が始まった。オニール前長官はこの本で「はじ
めにイラク攻撃ありき」のブッシュ政権の実態を世界に知らしめたのだ。その
後相次いで重要関係者の告発が始まった。ほぼ時を同じくして、デビッド・ケ
イ初代米調査団団長が「大量破壊兵器があったとは思わない」と言って辞任し
た。3月はじめには国連監視検証査察委員会の前委員長であるブリッグス氏が回
顧録を発刊し、査察活動に対し米国の圧力があったことを明らかにした。同じ
く3月末にリチャード・クラーク前大統領特別顧問が米独立調査委員会の公聴
会で「ブッシュ大統領はオサマ・ビン・ラデンが指導する国際テロ組織アルカ
イダとの戦いを最優先すべきであったのに、米国を攻撃すると言う脅威も能力
もないサダム・フセインを排除することで頭が一杯だった」と批判した。その
後もあらゆる情報が大量破壊兵器の存在に疑義を投げかけた。そして9月13日
に米上院でパウエル国務長官が「いかなる備蓄も発見されておらず、われわれ
が発見する事はないだろう」と発言するに至ったのである。
ついにブッシュ大統領は6日、大量破壊兵器の存在に関する情報が間違って
いたことを認め謝罪した。ブレア首相も既に労働党大会や英国議会で同様の謝
罪をしている。もうこれ以上大量破壊兵器の有無をめぐる論争はする必要が無
くなった。一つの歴史が終わったという意味はここにある。
しかし我々は直ちに次の歴史をつくる作業に入らなくてはならない。すなわ
ち米・英がイラク攻撃を始めた事の当否について結論を出さなければならない。
後世長きにわたって語り継がれるであろう今回の米・英のイラク攻撃とは一体
何であったのか。生き証人である我々が論議を尽くし、その評価を後世の人々
に残す事は最低限の責務であろう。
ブッシュ大統領もブレア首相も、大量破壊兵器が存在しなかったことについ
ての自らの情報の誤りを認め、謝罪はしたものの、「イラク攻撃」そのものは正
しかったと言い張っている。彼らとしてはそういい続けるしかない。あの攻撃
が誤りであったと認める事は、自らの政治生命を終わらせることになるのみな
らず、戦争犯罪人にまで追い込まれかねないからである。
だからこそ第三者による客観的な判断が下されねばならないのだ。先制攻撃
を正当化した「差し迫った脅威」がなかった今となって、どういう理由であの
戦争を正当化出来るのか、容認できるのか。
「サダム・フセイン自身がイラク国民にとって脅威であった」、「大量破壊兵
器の廃棄を立証しなかったフセインが悪い」、「イラクは民主化され、イラク国
民は解放されたではないか」、「国連決議を遵守しなかったサダム・フセインが
悪いのだ」、「イラク攻撃は国連決議に従って行われた」など、などの言い分に
ついては、それらの主張を、政治的正当性、人道的許容性、国際法的違法性な
どの見地から一つ一つ検証していかなければならない。そしてブッシュ大統領
ほかの戦争責任の有無に決着をつけなければならない。
なぜならば戦争と言う国際政治の極限状態に関して、それを引き起こした者
の責任を不問にするならば、さらなる戦争を将来にわたって助長する危険があ
るからである。それよりもなによりも、戦争で傷つき犠牲になっていった多く
の罪なき人々を、誰がどうやって償っていくというのか。人間の良心にかけて、
もう一つの歴史的作業はこれから始まるのである。
それにしても小泉外交のおそまつさはどうだ。首相と外務官僚の対応は目を
覆うべきである。「(日本の立場に影響は)与えない。・・・(判断を誤ったと言う
事は)米国としてはある。米国の立場と日本の立場とは違う」(7日ハノイで同
行記者団に)。
「そういうもの(大量破壊兵器)がないということは非常に結構ではないか
と思う。・・・米政府は現時点でなかったことで(開戦の)正当性は否定されない
と言う立場をとっているが、日本政府も同じだ」
「米国支持に今でも何のためらいもない」(外務省幹部)。
彼らが何を言おうが勝手であるが、来るべき国会でその発言の一つ一つにつ
いて徹底した審議を行い、説明責任を果たしてもらう必要がある。その結果国
民を納得させる事が出来なかったら、しかるべき形で戦争責任をとってもらう
ことだと思う。
◇◆ 米軍移転受け入れを拒否する日本政府の不可解さ ◆◇
10月8日付の産経新聞「正論」欄で、拓殖大学教授の森本敏氏が「米軍移転
受け入れは日米同盟強化の鍵」と題してつぎのような持論を展開している。
「米国は冷戦終焉と9・11テロに伴う環境変化に応じた戦略・戦術と、海外米
軍の見直し・再編(トランスフォーメーション)を進めている。・・・米国はグロ
ーバルな戦略展開拠点の中心を欧州では英国、アジアでは日本に置こうとして
いる。その日本における司令塔がワシントン州からキャンプ座間に移転される
予定の第一軍団司令部である。・・・(この米軍再編計画は)将来における日本の
防衛力や日米同盟の有り方など重要な問題を含んでおり日本の国家安全保障に
とっての根本問題でもある。・・・ところが日本政府は日米安保条約の適用される
範囲は極東に限られ、これを越える地域に指揮統制する第一軍団司令部の本土
移転は受け入れがたいという態度を示している。・・・しかし日本政府も在日米軍
が日本の基地から湾岸戦争やイラク戦争などに派遣されていることを認めてき
たのであり、今頃になって第一軍団司令部移転にのみ極東条項を持ち出すこと
は合理的ではない。・・・
(米軍の再編計画が)日本の安全に大きく寄与することは当然であり・・・
これを実現するためには日本としての基本戦略を構築した上で、米国に対し要
求すべき事と、日本として果たすべき役割を明確に区分する必要がある。・・・問
題処理を政府各省庁にのみ任せず、与党が中心になって取りまとめを行わねば
基地問題を解決することはできない。その為には、まず国民に米国提案と日本
側の方針について実態を示す事が先決である。国民の理解と協力なくして米軍
再編計画と将来の日米同盟強化を図ることはできないのである」
私の立場は在日米軍を縮小、削減し、日米友好関係を長期的には軍事関係中
心から経済、友好関係中心に変えていくことこそ重要であるというものである。
従ってここに述べられている森本氏の立場には賛成できない。しかし米国から
求められているトランスフォーメーションへの要求を正面から受け止め、国民
の理解と協力を得た日本側の提案を米国にぶつけていくべき時期に来ていると
の認識にはまったく同感である。
森本氏が指摘しているように、外務官僚は国民の反発をおそれるあまり、こ
の期に及んでも「安保条約第6条の極東条項は、憲法のように重く受けとめな
ければならない」(外務省幹部、10月6日付産経新聞)という態度を捨てきれな
いでいる。しかしこのような優柔不断な態度こそ事態をますます悪化させるの
である。もはや米国の要求は安保条約や憲法9条をはるかに超えるところまで
きている。これを従来のような安保再定義や周辺事態などという誤魔化しでは
乗り越えられないところまで来ているのだ。
政府が迫られている選択は二つに一つである。森本氏の言うように日米同盟
のさらなる強化が日本にとって好ましいと判断するのであれば、安保条約も憲
法も改正して正々堂々とこの国の安全保障政策を「テロとの戦い」にシフトし
ていけばよい。
しかし私のように、米国に言われるままに日米軍事同盟を強化していく事は
日本の安全保障にとっても世界の平和にとっても間違った道を歩む事になると
いう判断に立つのであれば、米国にはっきりとその立場を伝え、安全保障政策
についての立場の違いを認め合ったうえで、如何にして日米友好、協力関係を
維持していけるかをに外交努力を傾注すべきである。
今の政治家や官僚のように覚悟のない対日外交を繰り返すならばあらゆる意
味で日本は不幸になっていくであろう。もう誤魔化しは通用しない。国民を騙
すような外交は許されない。事態はそこまで深刻な所まで来ているのだ。
◇◆ これこそイチローの本当の快挙だ ◆◇
8日昼に行われた定例記者会見で、細田官房長官は「イチローに国民栄誉賞を
オファーしたがイチローがこれを辞退した」事を明らかにした。この記者会見
の模様を私はたまたまテレビのニュースで知った。思わず喝采をあげた。おそ
らく多くの国民が私と同じ想いであったに違いない。
何故私が喝采を叫んだか。それは国の権力にやたらに追従する風潮が強まっ
ている今日の日本にあって、国からの押しつけの栄誉を「ありがたい」と思っ
て飛びつくのではなく、「時期が来ればありがたく頂戴するが、発展途上の自分
としては今そのような賞を受け取ればモチベーション(さらに向上しようとす
る気力)が失われるから辞退したい」というメッセージを発する人間が現れた
ことを知ったからである。胸がすく思いだ。権力におもねらない個の自立、他
人の雑音に抗する個の強さ、これこそが閉塞した今日の日本を救うのである。
旧体制を打ち破るのである。
ただでさえ基準も目的もはっきりとしない、政治家の気まぐれでできた国民
栄誉賞であるが、それを自らのパフォーマンスの道具よろしく乱発する小泉首
相に私は不快感を持っていた。そしてイチローが世界記録を達成したら小泉首
相は直ちに電話をして国民栄誉賞を与えるというだろうなあと思っていた。
面目を潰された小泉首相はきっとハノイの地で苦虫を噛み潰した心境であろ
う。あの人の性格では、二度と国民栄誉賞をイチローにオファーしないであろ
う。しかしそんなことはもうどうでもよいことである。そのうち小泉首相は首
相の座を降りる事になる。そんなことは関係なくイチローはさらなる記録に向
かって励むことであろう。
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