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イラク邦人殺害:
過去の邦人人質事件、日本政府の対応
香田証生さん誘拐事件で、日本政府は犯人側の要求を拒否する立場を貫いた。海外で起きた日本人誘拐・人質事件で、これまで政府に要求を突きつけたケースは、過激派による場合が大半だ。政府が犯人グループから要求を突きつけられてそれに応じず、人質が殺害される結果を招いた事件は、初めてとなる。
70年の日航機「よど号」乗っ取り事件では、赤軍派が北朝鮮行きを要求し、日本政府と駆け引きが続いた。平壌と称して韓国・金浦空港に着陸したが見破られ、乗客・乗員のうち103人解放の身代わりに山村新治郎運輸政務次官(当時)がなって、同機は北朝鮮に飛んだ。犯人グループは北朝鮮に残り、山村次官は乗員らと羽田に戻った。
77年の日本赤軍による日航機乗っ取り事件は、犯人側が日本政府に対し、拘置・服役中の過激派ら9人の釈放と身代金600万ドルを要求。政府は拒否した3人を除く6人を「超法規的措置」で釈放し、同機が着陸していたバングラデシュ・ダッカ空港に身代金とともに送った。代わりに乗客・乗員の多くが解放され、最終的にアルジェリアで全員が無事解放された。
イスラム系テロリストによる日本人人質事件は74年2月にも起きた。アラブゲリラがクウェートの日本大使館を占拠し、大使館員や商社マンら日本人22人を含む29人を人質にした。この1週間前に日本人を含む別グループが、シンガポールの製油所を襲撃してフェリーを乗っ取って5人を人質にしており、クウェート事件のグループは、シンガポール事件のグループの逃亡を要求。日本政府は要求をのみ、逃亡用の日航機を用意して両事件の犯人グループを乗せ、南イエメンに送った。人質は全員解放された。
日本人以外が人質になったケースでは、75年8月、マレーシアのクアラルンプールで、日本赤軍を名乗るゲリラが米国とスウェーデンの両大使館を占拠し、米領事ら53人を人質にした。犯人側は、浅間山荘事件や連続企業爆破事件で逮捕された計7人の釈放を要求。日本政府は、拒否した2人を除く5人をゲリラ側に引き渡し、人質は解放された。【窪田弘由記】
毎日新聞 2004年10月31日 19時39分
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20041101k0000m040063000c.html