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軍侵攻への怒り、過激派支持に ガザ難民キャンプ
9月末から10月半ばまで17日間続いたイスラエル軍のガザ北部への大規模侵攻は、118人の死者と200軒近い住宅破壊など、大きな傷を残した。最大の激戦地だったジャバリヤ難民キャンプを訪れた。猛攻にさらされたパレスチナ人の怒りは侵攻の口実を与えた過激派ではなくイスラエルに向かい、武装闘争に疑問を投げかける穏健派の声はかき消されてしまっていた。
キャンプでは、侵攻終了から1週間たった22日もまだ、がれきの山になった我が家の跡で住民が家財道具を引っ張り出す作業を続けていた。
ジェマー・アブゲディアンさん(45)宅に軍の戦車とブルドーザーが迫ったのは9月30日朝。3階建ての家は1階部分の壁が大きく崩され、壁一面に弾痕が残る。
「子供3人がパニックを起こして意識を失い、救急車を呼んでようやく脱出した」。隣のサハール家ではブルドーザーに押しつぶされた家の中で家族3人が死んだという。ジェマーさんは、兵士の1人が戦車から拡声機で「今日はおまえたちをやっつけに来たぞ」と叫んだと証言する。
「彼ら(イスラエル兵)は過激派も一般人も区別なんてしない。何人殺されてもパレスチナ人はどんどん子供を産んで、過激派を増やしていく。ロケット弾攻撃だって大賛成だ」
過激派と軍の戦車部隊が交戦したキャンプ中心部では、細い路地の頭上を覆うビニールシートが残されていた。住宅の間を動き回る過激派が空からの偵察の目にさらされないよう、住民が自主的に張ったものだ。キャンプ在住のジャーナリスト、ファイエズ・アクラ氏によると、活動家に紅茶を振る舞う住民の姿があちこちで見られたという。住民と過激派は、ほとんど一体化していた。
今回の侵攻作戦は、ガザからのロケット弾攻撃でイスラエル人の子供2人が死亡した事件への報復として行われたが、戦略目標の一つが「過激派と民衆の分断」だった。圧倒的な軍事力を投入した報復作戦で、「武装闘争は無益」との厭戦(えんせん)ムードを広げるねらいだった。
侵攻が終わった今、街の空気は逆方向を向いている。ロケット弾攻撃の中止を叫ぶクレイ自治政府首相の呼びかけは完全に黙殺された。アクラ氏は「過激派が攻撃すればするほどイスラエルに侵攻の口実を与え、パレスチナ人が行き場を失う。大きなジレンマだが、民衆は痛い目に遭えば遭うほど絶望し、テロ支持に走る。民衆を過激な方向に追いやっているのはイスラエルだ」と話す。
イスラエルでは25日、ガザ撤退計画の国会審議が始まった。しかし、シャロン首相は、撤退後も必要な過激派対策を続けると明言している。 (10/27 00:37)
http://www.asahi.com/international/update/1027/002.html