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朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った!現代に生き続ける731部隊の亡霊 (森 正孝)
http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/996.html
投稿者 愚民党 日時 2005 年 1 月 25 日 15:18:12:ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: ダレス国務長官が38度線の塹壕から望遠鏡で北を見ている写真が「証拠」として使われた。 投稿者 木村愛二 日時 2005 年 1 月 25 日 12:25:12)

●USアメリカ軍は2015年体制戦争として、空から
鳥インフルエンザ・ウィルスを散布するのであろうか・・・

アメリカ国家を自滅させるのがイルミナティ「沈黙の兵器プログラム」である。
このプログラムは細菌戦と同期化している社会オートメーション・プログラムである。

ブッシュの911世界革命戦争とは
アメリカを自滅に追いこむことである。
アメリカ国民を奴隷化することによって、オーナーという所有者による
地球人類支配コントールを完成。

他方の日本であるが
イルミナティNHKとイルミナティ朝日新聞によるメディア喧騒。
これはイルミナティの祭典である
反ファッシズム勝利60周年記念事業の一環であろう。

「USアメリカ・イギリス・イスラエル悪の帝国基軸同盟」こそが
21世紀ファッシズム帝国主義であることを、隠すための事業である。

600万のユダヤ人がホロコーストのガス室で虐殺されたと宣伝されているが
100万都市メガポリスが6都市ある勘定。
100万人口の都市を6都市、壊滅し虐殺した勘定であるが
600万巨大人口を収容し虐殺できる施設とは? 謎である。

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1945/08/06,昭和20/08/06
8時15分17秒、B29エノラ・ゲイは、広島の上空9600mで広島にウラニウム型の原爆「リトル・ボーイ」を投下する。原爆は高度580mで炸裂する。11月までに原爆で死亡した人は14万人、5年後の1950年までには24万7000人に達する。被爆者は36万人以上になると見られている。

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1945/08/09,昭和20/08/09
B29ボックス・カー号は、小倉市を目標として飛来したが、上空が曇天のため、午前11時2分、長崎市にプルトニウム型の原爆「ファット・マン」を投下する。原爆は地上503mで炸裂し、12月までの死者の数は8万人以上になる。

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1945/08/13,昭和20/08/13
ロンドンで、世界シオニスト会議が開かれ、ユダヤ人国家樹立を要求する。

1945/08/14,昭和20/08/14
御前会議でポツダム宣言受諾を改めて決定し、天皇が終戦詔書を発布する。

1945/08/14,昭和20/08/14
ベトナム全土で武装蜂起が開始される(8月革命)。

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1945/12/14,昭和20/12/14
ニュルンベルク国際軍事裁判で、元ドイツ秘密警察員がユダヤ人虐殺は600万人以上と証言する。


http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/333.html
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ロスチャイルドは国債を発明した偉大なる詐欺師であるが
「ユダヤ人虐殺は600万人以上と証言した」元ドイツ秘密警察員は
ロスチャイルドの代理人であったのであろうか?

ドイツ人ではなくオーストリア人であったヒトラーが何故
ドイツ総統になれたのであろうか? 謎である。


収容所にはナチス体制に反対していた人々が送りこまれていたという説がある。
アメリカも日系人を収容する施設をつくった。

ユダヤ人600万人口を虐殺できるガス室、そのような施設が本当に実在したのであろうか?
ユダヤ人映画監督による「ヒドラーのリスト」では
ドイツ軍将校による「快楽殺人」として映像化されていた。
90年代は「ホロコーストの物語」が支配した時代でもあった。


ドイツと日本は違う。


ヒロシマ・ナガサキへのUSアメリカ軍による原子爆弾実験、ウラニウム型とプルトニウム型
が投下されたのが事実であるように
日本帝国軍の731部隊は実在したのである。

アメリカ軍が空から爆弾と細菌を投下し散布するのは伝統がある。

さて朝鮮であるが、USアメリカ軍は朝鮮戦争で勝利していない。
ベトナム戦争でも敗北している。

戦争とは政治の延長であり、政治の破綻でもある。

朝鮮とベトナムとは、古代から中華帝国から独立を形成してきた
アジアでも強度の遺伝子を内包している民族である。

日本は豊臣秀吉軍による朝鮮侵略でも敗北した。
第2次世界大戦でも亜細亜において敗北した。

従軍慰安婦の問題であるが
1955年売春禁止法が発令されたとき、日本で職業売春婦は50万人いた。
「慰安婦」売春婦は古代以来、日本において職業として成立してきた。

しかし、おのれの民族の女が侵略軍兵士によって犯される行為を
男はけして許さない。
人間とはどうおのれの遺伝子を残すかをめぐって生存する。
人の性行動とは遺伝子の性戦略でもある。
おのれの性戦略が頓挫し
おのれの民族の女が侵略軍に快楽略奪されたとき
男は武装蜂起する。
侵略軍への憎悪は「恨」となって地底に蓄積する。
女は死ぬまで死んでも地獄から帝国侵略軍兵士の男どもを恨み続ける。

こうして誕生したのが亜細亜復讐の女神である。


植民地とされたアジア各国の民族は帝国侵略軍への憎悪がある。

その憎悪を忘却することは帝国市民の自由であるが
憎悪にそそぐ兆発の油となれば、日本の自殺となるであろう。

自己否定という痛苦な経験、歴史との自己対話の経験が皆無な人間は
いつでも兆発の油をそそぐのだが
それは小泉純一郎がイルミナティの代理人として
北東アジアに緊張を生成するべく
明治維新神社靖国に参拝する行為と同期化している。

他者への畏怖なき者は無防備な人間である。
無防備な人間は自己完結しているのだが、近所世間様の生贄とされる。

日本帝国軍が多民族の女を従軍慰安婦とさせたのは
日本の売春制度の延長でもあったのだが、戦争計画においては失敗であった。
近隣諸国民族の憎悪を蓄積したからである。
朝鮮を植民地にしたとき帝国は、日本語と日本氏姓を朝鮮民族に強制した。
これも戦争計画において失敗であった。
他者の遺伝子である「性」と「姓」は、けして犯してはならないのである。
日本帝国戦争計画は他者の畏怖に無自覚であったのである。

自己完結したシステムこそ「日本の自殺」であった。
アジア復讐の女神を甘くみることは帝国市民の自由であるが
帝国戦争計画の失敗を総括できぬ者はいつでも陥穽という落とし穴に入る。


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現代に生き続ける731部隊の亡霊

朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った!

〜米軍細菌戦現地調査報告〜
明かにする会事務局長・森 正孝

http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/beigunsaikinsenzittai.htm


◆はじめに…米国は今、イラク、イランそして朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)に対し
て、大量破壊兵器を所持・開発していると断定し、イラクにたいしては、今にも武力攻撃を行おうと
している。
 しかし、この米国こそ、第二次世界大戦直後から、大量破壊兵器すなわち生物兵器(細菌兵器)
の研究・開発を行い、そして、その「成果」を実際の戦場で展開したのだ。朝鮮戦争における細菌
戦の実施である。
 すでに、この米軍の細菌戦実施については、1952年2月〜8月にかけて世界的にも高名な学
者たちによって組織された二つの国際NGO調査団(国際民主法律家協会・国際科学委員会)が、
現地調査を行い、「北朝鮮と中国で発生している伝染病の原因は米軍による細菌戦である」と結
論ずけ、さらに「米軍による細菌戦は、旧日本軍731部隊の研究・成果を引き継いで行われた」
と断じている。
 しかし、米国政府は当時から今日までこれを「共産主義国のプロパガンダ・政治宣伝」と黙殺・
否定してきた。そのため、西側ではこの事実は明らかにされず、真相の究明さえ行われてこなかっ
た。まさに「現代史の闇」とされてきたのである。
 私たちはこの「闇」に光を当て、真相を明るみ引き出すべく「米軍細菌戦史実調査団」を組織し、
中国東北部と共和国を訪れ、現地調査を実施した。国際NGO調査団の調査から丁度50年目に
して行われた西側からの初めての調査団である。以下、この現地調査の一部を簡単に報告させ
ていただく。

(1)中国東北・丹東の被害状況
(2)共和国の被害状況
(3)歴史の隠蔽・偽造を許すな!

(1)中国東北・丹東の被害状況
@「中国東北では、72回の細菌弾、10余種類の細菌が投下された」
  …中国の被害概況

 私たちの調査は、中国東北の丹東から始まった。丹東は、抗米援朝戦争(朝鮮戦争の中国名)
で、義勇軍(志願兵)を送り出す拠点となった。
 そのため、米軍の攻撃も激烈であった。爆弾やナバーム弾のほか、細菌弾の投下にさらされた。
 1952年2月28日に始まった中国東北への細菌攻撃は、丹東、寛旬、洛陽、瀋陽、通化、本渓、
撫順、長白、鞍山などの地域へ計72回の細菌攻撃があったが、その内、丹東(寛旬・龍王廟)地
域だけで攻撃は28回に及んでいる。(「抗米援朝記念館」館長・張忠勇)
 攻撃の方法の多くは、内部が四層にわかれた部屋を持つ細菌弾(各層にそれぞれ細菌で汚染
されたノミ、シラミ、ハエ、カ、クモなどの昆虫を入れ、着弾の寸前に容器が二つに割れて、中から
昆虫が飛び出すしかけになっている)や、汚染した昆虫やネズミを缶に入れ、パラシュートで投下
するというもの、汚染した食品、木の葉、綿花、羽毛、ビラなどを直接撒くというものであった。


A「米軍機から白い容器が落とされ、雪の上に無数のハエ、クモが散乱していた」

 
                           【祖国解放戦争記念館、朝鮮戦争の詳細な
                            展示がされている(ピョンヤン)】

 私たちは、、丹東地域(寛旬県漏河)で最初に細菌弾を発見した李思倹さんの証言を得た。
 李さんは自宅(本渓県田師付鎮)で次のように語った。

 (要旨)当時寛旬中学の学生だった私は、米軍機が落とした落下物を目撃した。52年3月21
日午後1時ころのことだ。漏河のほとりの畑の中に、数十センチの丸い皿状の金属に鉄製の軸
が付いたもの、砕けた白い石灰質の破片、丸くなった金属製扉のようなものもあり、開くようにな
っていた。多分、白い石灰質のものは鉄製の容器のような物の中から落ちる時に外へ出てきた
のではないか。それらのあたりに無数の鳥の羽根やハヘやクモなどが散乱していた。まだ雪が
積もる寒い時期なのに、多くの昆虫が生きていた。不思議に思い、そのいくつかを箸でつまみ、
新聞紙にくるんで学校長に報告した。
 なお、寛旬県史研究者(尚振生)は「寛旬県内で12個の細菌弾が落とされた。結果23人が病
気となり、6人が死亡、48頭の馬、牛が死んだ」と報告している。

(2)共和国の被害状況

@おぴただしい米国戦争犯罪の一部としての細菌戦

 今回の調査で、私たちが改めて認識を深めることになった最大のことがらは、朝鮮戦争におけ
る米軍犯罪の深刻さであった。
 犯罪の残虐さは、日本軍の中国戦線における「殺し尽くす、奪い尽くす、焼きつくす(三光政策)」
や「南京虐殺」想起させるに充分である。とりわけ、無差別銃・爆撃は凄惨を極めた。
 ベトナム戦争で使用され有名になったナバーム弾の史上初めての大量使用が共和国に対して
であった。全国で1500万発のナパーム弾が投下され(その大半が日本の工場で日本人によって
作られた)、村や町を消し、山の形さえも変えた。すでに開戦5カ月後の50年11月には、主要戦
略目標を破壊し尽くしたため、「北朝鮮には、もう攻撃目標は残っていない」(米軍爆撃司令官・オド
ンネル)と言われるほどであった。それでもなお、米軍は52年8月「北朝鮮の都市78を地上から
消しさる」計画(プラン・ストライク)を発表し実施、「地上に動くものはすべて撃て」の指示が出され
た。当時、国連救済復興委員会のキングスレ氏−は「朝鮮における完全なる破壊は、世界史上か
ってなかったこと」と語り、米軍は「北朝鮮は今後100年は立ち上がれない」と豪語するほどであっ
た。
 こうした事実を前に、いみじくも、私たちの団員の南守夫氏は(愛知教育大学教投)はこう語った。
「歴史上の無差別爆撃の典型として、今まで学生たち「東京空襲、重慶爆撃、ゲルニカ」の3つを教
えてきた。そしてそれが常識ともされてきた。しかし今、私たちの認識を改めねばならない。「ピョン
ヤン爆撃」をさらに加えなければならない」と。

A「2カ月間に804名の細菌弾を投下」…共和国の被害概況

 共和国では限られた日程ではあったが、一つの現場調査、そして二人の研究者と四人の細菌戦
体験者・目撃者からの聞き取り調査を行うことができた。それらを総合すると以下のように、その被
害は中国のそれよりもはるかに甚大で深刻なものであった。
 50年の12月から51年1月、米軍は共和国内の占領地域からの撤退に際して、初めての細菌散
布作戦を行なった。撤退時に細菌を家屋や水源地などに散布する方法は、日本軍731部隊も中国
浙江省で多用した。占領から解放されて住み馴れた地域に再帰した人々を汚染するのである。これ
により、平壌、成川、高原、元山、咸興などは天然痘で、平安北道、平安南道、黄海道は発疹チフス
で汚染され、1000名以上の人が犠牲になった。
 細菌戦が細菌弾投下などの方法で、本格的・全面的に展開され始めたのは52年1月、中国への
細菌攻撃の1カ月前のことであった。この攻撃は約1年間続いた。被災地域は、共和国の全域に及
び、約200あった市・都の内169の市・郡が被災した。国際調査団『報告書』には、この時期、「52
年1月28日から3月31日までに、米軍の朝鮮北部に対する細菌を持った動物の散布は804回に
及んだ」と記されている。投下された昆虫・動物などは、蒼ハエ、カ、ノミ、クモ、ネズミ、ウサギ、鳥、
魚、貝、南京ムシ、トウモロコシ、木の葉、錦花、そして玩具なども落とされ、その種類は20余種。
 細菌は、ペスト、チフス、炭そ菌などを中心に10余種京にのぼっている。

B「石井四郎元731部隊長らが南朝鮮で米軍細菌戦を指揮した」

 金成重(キム・ソンジュン84歳)さんは、共和国における米軍細菌戦研究の第一人者である。
 当時、医学科学員の医師としてほとんどすべての被害現地に赴き、細菌の検出や防疫活動、診
断活動にあたった。氏は、次のように語った。

 49年当時、すでに米国は日本軍731部隊からの資料を独占することによって、世界最大の細
菌兵器大国になっていた。
 共和国に対する米軍細菌戦攻撃は、第一期(50年4月〜51年12月)と第二期(52年1月〜5
3年7月)に分けられる。
 第一期は、細菌の威力を試した時期で、特殊部隊を使って謀略的方法で天然痘ウイルスをばら
まいたり、ペスト、コレラ菌を使って捕虜への人体実験などを繰り返した。実はこの時期に、も石井
四郎、北野政治などが南朝鮮に現れ、米軍細菌戦の指揮をしている。この事実は、私が直接キム・
イルソン元帥から、軍事委員会情報として聞いている。(石井四郎らが朝鮮に現れたという情報は、
数多くの元731部隊員たちの証言のほか、1952年2月5日ソウル発「テレ・プレス」の至急電、当
時の「北京放送」、雑誌「真相」1952年5月号、1952年9月「国際科学委員会調査団報告書」な
どがあるが、未だ確証となるには至っていない・・・筆者)
 第二期は、細菌戦を本格的に実行に移した時期だ。この時期ま四段階に分けられる。
 第一段階(細菌弾を全面的に投下)、第二段階(汚染地帯の形成をめざした)、第三段階(共和国
の軍事拠点を汚染地帯にしようとした)、第四段階(捕虜交換時に謀略的に捕虜を感染させる)であ
る。米軍が最も熾烈に細菌戦をおこなったのは、第一段階と第二段階。航空連隊が、昆虫・小動物
を媒介にして、ペストや腸チフス、炭痘などの菌を主力に前線から後方の都市まで広範に撒いた。
 方法は細菌弾が最も多く使用されている。二つの国際調査団の調査は、ちょうどこの時期である。
 金成重氏は、続けて731部隊について次のような大変興味深い話をした。
 『731部隊はハルビンからの撤退時、朝鮮半島を経由して帰国したが、途中、平安北道の水力発
電所の倉庫に、実験道具・試薬などを運び込んだ。私は防疫局長(共和国随時人民委員会衛生防
疫局長)として伝染病研究所を設立するために試薬等を捜していたので、その情報を聞きすぐ倉庫
を訪れた。そこには、実験道具・試薬のほか石井式の陶器爆弾があった。
 実はその時見た陶器爆弾と同じ形のもの、米軍は共和国のあちこちに落としている。実際私は、
米軍が投下した陶器爆弾を見ている。こなごなになった状態のため現存はしていない。この事実か
らも、米軍細菌戦に日本が関与していることは間違いない。』

 
【左は当時看護婦として従軍し自身も発病したイン・ 【投下された細菌弾を調べる調査団】
ボクニョさん。右は細菌爆弾の大きさを示す当時保
安局長のキム・ホヨンさん】

 さらにつづいて、聞き取りをした金徳鎬(キム・トクホ76歳)さん。日本人にも知己者の多い氏は現
在、「従軍慰安婦」・太平洋戦争被害者補償対策委員会常務委員を務める歴史学者でもある。当時、
氏は共和国警備部隊指揮官として全国各地の細菌戦被害地区を確認するとともに部下の中からも
多くの犠牲者を出した。氏は、細菌戦被害の悲惨な状況を具体的に語った。あと、次のように続けた。
 「細菌戦は、朝鮮全人民の抹殺を狙った最大の戦争犯罪だ。昭和天皇ヒロヒトと共にアメリカに資
料提供を申し出て731部隊の免責をさせた日本国家は、まぎれもなく米国の共犯者だ」と。



http://www1.ocn.ne.jp/~sinryaku/beigunsaikinsenzittai.htm

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