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通常国会が開幕、小泉純一郎首相の施政方針演説に対する代表質問が始まった途端、信じ難い光景に直面した。首相の答弁は不誠実だと抗議して民主、社民両党議員が議場を退席したからだ。
本会議は二時間後に再開された。しかし、言論の府である国会、しかも今年一年の政治の在り方を問う本会議場で与野党の論議が消えた異常事態。混乱は一時的で終わったから大した問題ではないということにはならない。重大な国会軽視ととらえ、一層厳しい目で今後の国会のありようを見つめたい。
事の起こりは民主党の岡田克也代表の質問に対する小泉首相の答弁。その経緯を振り返ると、何ともむなしい。両党議員が退場した異様な中で自民党議員による質疑が続けられたが、重要な国会だと注視している国民がまるで眼中にないかのように見えた。
岡田氏は被災者支援、年金改革、郵政民営化、イラク問題など九項目について首相が正面から答えていないと再質問。しかし首相は「明確に答えている」と具体的な答弁を拒んだ。このため岡田氏は「答弁になっていない」と態度を硬化、審議が中断した。議場騒然の中、首相は補足答弁に立ったが、ここでも「漏れなく答弁した」と突っぱねたため、この事態になった。
これについて見方、考え方はいろいろあろう。まず民主、社民両党が政党や議員にとって生命線の議論を一方的に放棄したのは自己否定につながる。本当にそうするしかなかったのか、全員で厳しく問いかけてもらいたい。
しかし一方で、首相はなぜあんな木で鼻をくくったような答弁しかできないのかと強く思う。答弁ともいえない再答弁と補足答弁。苦々しく聞く以外になかった。多くの国民もあきれ返ったのではないか。
施政方針や所信表明演説に対する代表質問では、往々にしてお互いが主張を前面に出すだけで、細かいことにも触れない。従って、言いっ放し聞きっ放しになりがちで議論がかみ合わないことが多い。「そうしたものだ」とする冷めた見方もある。しかし、それに安住しすぎたため政治から国民を遠ざけたことを政治家は自戒する必要がある。
つまり質問には首相は誠意を持って答えることだ。それが一国のリーダーとしての重い責任である。岡田氏の質問は特段、微に入り細をうがったものでもなかったが、年金改革や消費税、「政治とカネ」問題など首相には答えにくかったり、言質を取られたくないものがあったかもしれない。それでも問答無用的な答弁では無責任になる。
首相には、自分にとって具合の悪い質問には素っ気なく突き放す傾向がある。加えて言葉が軽く乱暴でさえある。昨年の代表質問、予算委員会などでも目立った。
いわば「詭弁(きべん)」に「まやかし」「すり替え」答弁である。与党席や閣僚は手を打って面白がり、野党側がいきり立つうちに質問の時間切れになる―そんな寒々した光景を何度目にしたことか。首相独特の「答弁術」かもしれないが、結局は政治を空虚なものにしている。
★地方新聞は元気がいい。「詭弁(きべん)」に「まやかし」「すり替え」とは、まさに小泉自公政権の本質をついている。岡田民主党がどこまで追求できるか。自民党の田舎芝居にだまされないように、真摯で愚直な追求を期待したい。