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(回答先: Re: こちらも短絡的朝日批判で争点ずらしの典型例。NHKと同じく、最重要課題にはいっさい触れない批判。(本文なし) 投稿者 南青山 日時 2005 年 1 月 22 日 11:14:56)
証拠は問題解決の適切な唯一のものではない。
これは、メディアの伝える能力に関わる大きな問題である。メディアの伝える適切なことは、明白な証拠を出した明らかなことだけでなく、真実に至れるような情報なのである。
メディアの情報収集能力は、裁判の証拠能力とは異なる。裁判では、不法に得られた証拠は証拠にならない。強要された自白や不法な状況で得られたものである。しかし、これらのものが真実に迫る情報としての機能をもつことはある。反対に真実を隠すものであることも当然ある。
したがって、情報が真実であるかどうかは、いろいろな情報の収集により明らかにすべきことなのである。互いに虚報だといいあうことは適切であり、それらをめぐる我々がどう問題を捉えていくかということが大事である。
ご存知のように、核三原則等を巡って情報内容よりも情報の入手(情報の漏洩)が問題とされてしまったような毎日新聞の記者によるスクープの例もある。
メディアが守るものは、情報ソースであり記事の真実性であり、証拠や体面などではないはずだ。真実への迫り方が深く読者や購読者に共感を与えるのである。
とかく、政府等は犯人探しをしたがるのであり、次の漏洩を恐れた様様な手段や対策を案出しようとする。決して証拠や情報の入手プロセスを明らかにすることが、より良い道ではない。戦うべきところは、内容に迫ることであり、負けることもあればそれは致し方のないことなのである。
メデイア同士が犯人探しや情報入手プロセスの問題をうんぬんすることは、なんの利益にもならない。互いにこれが真実だということ、そのことで留めて十分であろう。