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http://blog.livedoor.jp/khideaki/archives/12587336.html
数学屋のメガネ
数理論理学を勉強してきました。そのメガネで世界を眺めてみたいと思います。
2005年01月19日
NHK問題への基本的な考え方・姿勢
今週のマル激では、目加田説子氏(中央大学教授)をゲストに迎えて「NGOは世界をどう変えるのか」というテーマを語っている。そして、後半には、最近の出来事を取り上げて話題にしているのだが、その中でやはり今回のNHKの番組改変問題にも触れている。
それが、僕とほぼ同じ認識と基本的なとらえ方だったので安心した。やはり論理が分かる人間は同じ結論に達するものだと感じた。それをちょっと聞き書きでここに記して、もう一度確認しておこう。
まず放送法に関して、宮台氏の次の発言があった。
「放送法には確かに二つ柱があって、<政府の介入を許さない>という側面と<バランスを欠いた政治的主張を認めない>という部分がある。どちらが本義かといえば、政治的介入を排除するということ。そして、政治的介入を排除した上で、価値観を主張してもらうということはかまわない。」
これは全く当たり前の判断だと思うのだが、今回「ゴミ」のような書き込みにあふれている判断は、その反対の「中立性・公正さ」の方が優先するかのような考え方だ。論理的にいえば、「中立性・公正さ」は、事前に判断が難しいものがある。それであれば、その判断を問う意味でも「言論の自由」を根拠に発表することが許されるべきで、事後に判断される場合もあると理解しなければならない。それがバランスを欠いた主張だと事前に判断できるなら、その根拠を正確に示さなければならない。それをするのはNHKの役目だろうということだ。政治家が判断するものではない。
その逆に「政治の介入」は、疑いをもたれるだけでもいけないのだ。安倍・中川両氏が、どうして放送前に放送の内容を知ることが出来るのか。知らないのであれば、どうして「公正さを欠く」というような判断が出来るのか。誰が情報を知らせたのか。このことだけでも疑いを持つには充分だ。NHKの側が権力の顔色を疑ったのだから、NHKの方にこそ問題があると考える人もいるかも知れないが、もしNHKの方が顔色をうかがってきても、まともな政治家だったらそれを拒否してしかるべきなのである。それがまともな政治家だというコンセンサスが日本社会に存在しなかったら、それは日本社会の民度が低いという問題なのだ。
神保哲生氏が、「政府に対抗しなくても、もう一つの公を立てるだけで、日本では反逆にされてしまう」という感想を語っているが、これが現状だとしたら、日本社会の民度は全くお粗末だ。政府批判をしただけで、もうそれが偏ったバランスを欠いたものだと言うのは、宮台氏に言わせれば幼稚園的発想だと言うことだ。批判されただけでおたおたするような政府など、全く信頼できない。自分の正しさに自信がないのだろう。僕は、いくら非難が来ようとも、それが「ゴミ」だったらちっとも堪えることはない。「ゴミ」の批判など、「それがどうした」となぜ構えられないのだろうか。
あの程度の批判をされるだけでおたおたする政治家など、政治家としての資質が疑われる。批判が正当でないと思うなら、弾圧して放送そのものを変えさせるという方向ではなく、正当な言論による反批判をすればいいだけのことだ。「ゴミ」だと思うなら一蹴してやればいい。それが出来ないでおたおたするということから、この問題を判断しなければならない。これは、日本の政治家の資質を問う問題でもあるのだ。
この問題のとらえ方の基本として、宮台氏は次のように語っていた。
「最大の問題は放送法上の問題で、もし安倍さんが当時の官房副長官の立場で、番組の情報を放送前に入手して、介入したのであれば放送法違反になる。これがもし事実だったら、安倍さんにとっては政治家生命に関わる致命傷になる。そして、NHKがそれを許していたのなら、NHKの問題としても致命的な大問題になる。
しかし、この問題は「もし」という仮定の問題で、実はこれを事実として証明することが難しい。実際には水掛け論に終わる可能性が高い。
だから、この問題は、事実がどうだったのかということに目を奪われる前に、どういう重要性を持つ問題であるかという問題意識を共通に持つことから始めないとならない。」
この認識は、僕も全く同じだ。事実も大切だが、事実だけにこだわる問題ではない。日本社会の構造として、統治権力に都合の悪い問題は、統治権力の側が、明らかに「介入」というものをしなくても、その意図を忖度した人々によって排除されていく構造になっているかどうかの認識の問題だ。その構造があると認識するのか、それはないと認識するのかで、この問題を見る目が違ってくると言うことだ。
これは、構造があるから事実があるという主張をしているのではない。論理が分からない人間は、すぐにそう誤解して、事実でないものを事実としていると、とんちんかんな非難をしてくるものがいるから注意しておこう。構造があるという認識をしている人間の事実の追求と、その構造が見えない人間の事実の受け取り方は全く違うのだ。主体性を持って自分の判断を持ちたいと思うなら、構造に目を向けなければならない。構造を知らなければ、無意識のうちに構造に支配されてしまう。つまり、奴隷の主体性を身につけてしまうのだ。
事実関係について言えば、神保哲生氏が鋭い指摘をしている。安倍・中川両氏が前言を翻した問題について、誰が証明しなければならないかという問題をこのように考えている。世間では、朝日の誤報だから、朝日が証拠を提出しろという声が高いようだが、これは変だと言うことだ。
「朝日の最初の取材で、事実関係を一度は認めている。それを、あとでやばいと思ったのか、記憶違いだったり、記録になかったことにして翻している。それだったら、挙証責任は、それを翻した側にあるはずだ。証拠がないのだから、それを認めろと言うことではなく、前言が違っていたという証拠を安倍・中川両氏の側が提出しなければならないだろう。」
前言を翻した部分を、朝日の記事から拾ってきてみよう。
「一方、中川氏は朝日新聞社の取材に対し、NHK幹部と面談したことを認めた上で「疑似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことを言った」と説明。「やめてしまえ」という言葉も「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『だめだ』と言った。まあそういう(放送中止の)意味だ」と語った。
安倍氏は「偏った報道と知り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されねばならず、反対側の意見も紹介しなければならないし、時間的配分も中立性が必要だと言った。国会議員として言うべき意見を言った。政治的圧力をかけたこととは違う」としている。
番組内容を事前に知った経緯について両議員は「仲間から伝わってきた」などとし、具体的には明らかにしていない。」
(01/12 08:52)http://www.asahi.com/national/update/0112/006.html
「中川氏も同日夜、「NHKが説明に来たのは2月2日。放送内容の変更や放送中止に関しては一切言っていない」とのコメントを発表した。
安倍幹事長代理は、当時、番組を担当していたNHKのチーフ・プロデューサーが13日に記者会見したことを受け、「『NHKを呼びつけた』『番組内容を変更するよう圧力をかけた』との報道や発言は全くの誤りだ」との談話を発表した。
安倍氏は「NHKとの面会は『予算の説明に伺いたい』との要望に応じたもの」としたうえで、「NHK側から予算の説明後、自主的に番組内容の説明がなされた。『偏った内容だ』と指摘したり、番組内容に注文をつけた事実も全くない」と説明した。」
(01/14 02:43) http://www.asahi.com/national/update/0113/029.html
(安倍氏の発言に関する報道)
「 《1月10日、朝日新聞の取材に対するコメント》「偏っている報道と知るに至り、NHKから話を聞いた。中立的な立場で報道されなければならないのであり、反対側の立場の意見も当然、紹介しなければいけない。時間的な配分も中立性が保たれなければいけないと考えている、ということを申し上げた。NHK側も、中立な立場での報道を心がけていると考えている、ということだった。国会議員として当然、言うべき意見を言ったと思っている。政治的圧力をかけたこととは違う」
《1月12日の報道後》「この模擬裁判は、主催者側の意図通りの報道をしようとしているとの情報が寄せられたため、事実関係を聴いた。その結果、明確に偏った内容であることが分かり私は、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」
《1月12日の追加コメント》「先方から進んで説明に来たのであって、当方がNHK側を呼びつけた事実は全くない」
《1月13日のコメント》「面会は、NHK側の『NHK予算の説明に伺いたい』との要望に応じたもので、こちらからNHKを呼んだ事実は全くない。NHK側から、自主的に番組内容に対する説明がなされたものであって、こちらから『偏った内容だ』などと指摘した事実も全くなく、番組内容を変更するように申し入れたり、注文をつけたりした事実もない」 」(01/18 03:05) http://www.asahi.com/national/update/0118/006.html
やばいということの理由は、NHKが安倍氏に呼び出されたということにすると、何のために呼び出されたのか、ということが問題になるし、NHKが番組説明のためにわざわざ出向いたとすると、これも何のために、ということが問題になる。さらに、番組に対して何か意見を述べたと言うこともやばいことになる。それだけで「介入」という判断が出来るからだ。前言を翻したい気持ちはよく分かる。とにかく、なぜ前言を翻したのかという説明責任が安倍・中川両氏にはあるし、前言が間違いであるという証明をしなければならない。
さらに、目加田説子氏は次の点を指摘している。
「安倍・中川両氏が、前言を翻しているということは事実だ。この事実だけを見ても、(他の事実を全く知らなくても)そのような政治家が政治家として、判断力があるかどうかということは、個人の判断として出来るだろう。」
政治家というものが、自分の言葉に責任を持たずに、簡単に前言を翻すというだけで、政治家としての資質を疑うということだ。宮台氏にいわせると、我々国民がヘタレているために、相対的にこのようにヘタレた政治家が登場してしまうという因果関係もあるというようなことを語っていた。最後に、安倍氏のホームページに載せられている次の文章に対する宮台氏たちの感想を紹介しよう。
「投稿者: webmaster 投稿日時: 2005-1-12 17:04:09 (237 ヒット)
朝日新聞の記事『NHK番組に中川昭・安倍氏「内容偏り」 幹部呼び指摘』に関し、
朝日新聞らしい、偏向した記事である。
この模擬裁判は、傍聴希望者は「法廷の趣旨に賛同する」という誓約書に署名しなければならないなど主催者側の意図通りの報道をしようとしているとの心ある関係者からの情報が寄せられたため、事実関係を聴いた。その結果、裁判官役と検事役はいても弁護士証人はいないなど、明確に偏って内容であることが分かり私は、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。これは拉致問題に対する鎮静化を図り北朝鮮が被害者としての立場をアピールする工作宣伝活動の一翼も担っていると睨んでいた。告発している人物と朝日新聞とその背景にある体制の薄汚い意図を感じる。
今までも北朝鮮問題への取り組みをはじめとし、誹謗中傷にあってきたが、私は負けない。
安倍晋三」
http://newleader.s-abe.or.jp/modules/news/article.php?storyid=11
宮台氏:普通の人が読んだら爆笑するんじゃないでしょうか。安倍さんの肩を持つんだったら、朝日新聞のHさんを代表する左翼イデオローグと戦っているつもりじゃないんでしょうか。これは、安倍さん個人の問題ではなくて、若手政治家が抱えている問題なのですが、以前の政治家よりもキャラクターが2チャンネラー化している。不安ベースをもとにして腹をくくっていない、どっしりとしていない、人の不安をあおる、という感じ。これはとても根が深い問題。不安になると、最もヘタレたヤツから「断固たる処置をとれ」という言葉が出てくる。ハッキリ言えばみっともないんですけれどね。
神保氏:この問題が明るみに出ると、安倍さんにとってはそうとうやばい問題になるということが分かっているんじゃないかなという感じがする。言論介入とか弾圧とかいうと、政治生命にまで関わってくると分かっているんじゃないだろうか。だから、拉致問題までも持ち出して、何とか問題の沈静化を図っているんじゃないか。これは、普通の人には考えられない。左翼の陰謀説でもあるんだろうか。
目加田氏:「睨んでいた」とか「薄汚い」とか「私は負けない」という表現を、普通の人が見た時に、これほど感情的になり取り乱した政治家に、未来を託そうとか、この国の将来を託すとか、そういう気になるかどうか。
まともにものを考える人間は、やはり真っ当なことをいうものだ。神保氏が最後に語っていたが、この安倍氏の文章を見せれば、分かる人には分かるだろうと言っていた。僕のページで、この文章を見て分かった人は、宮台氏や神保氏と同じセンスを持っていると言うことを喜んで欲しい。僕も、同じセンスを持っていることを喜んでいる。