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http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050118/mng_____tokuho__000.shtml
政治介入より怖いTV自主規制
政権配慮=無毒演出
NHK特集番組をめぐる「政治家の介入」の有無が取りざたされているが、番組制作の現場では「もっと根深い問題」がささやかれている。自主規制の問題だ。制作する側が意識的に政府批判を避ければ、介入されることはない。ただ、その分、問題はより深刻だ。「権力を監視する」という本分と「政府の認可事業であるテレビ」の相克は古くて新しい命題だが、実態はどうなっているのか−。
■『評論しても批判なし』
政治評論家の森田実氏はある民放の生放送番組での体験をこう振り返る。
発言を始めるや、唐突に撮影中のカメラの下から看板が出てきた。番組ディレクターが、司会者やほかの出演者に「バランス」と大書きした文字を示した。
「誰かが僕と反対の意見を言って、全体としては政権批判のトーンを弱めろという指示だった。反対意見はいいが、いかにテレビ局が政権批判に神経質になっているかが分かった」
別の局の番組責任者は、出演依頼のときに「わが社は小泉批判をしないと社の方針として決めているので従ってほしい」と注文してきたという。「僕が言論の自由に反するとして出演を断り、経緯を公表すると指摘したら翌日、局の幹部から『小泉批判はしない、との番組責任者の言は妄想です』と釈明電話がきた」
ただ、歯に衣(きぬ)着せぬ「森田節」の結果、生放送に出演する機会はめっきり減ったという。「番組の外部プロダクション社員から『最近、森田さんの生出演が減ったのは“あちら”がうるさいから。政府と与党からいろいろ言って来るそうなので』という話を何度か聞かされた」
ある“売れっ子”の経済評論家もこう訴える。
「テレビ番組に出演した際、『小泉内閣の経済政策はおかしい』と景気対策の無策ぶりや増税路線を批判した。放送後、番組スタッフから『どうしてあんな人物を出演させたのか、と財務省の役人が口出ししてきた』と聞かされた」
■出演者の本音は切られたくない
在京キー局の制作関係者は舞台裏をこう明かす。
「出演してもらうコメンテーターには、内々で番組ごとにランクがある。担当プロデューサーがコメントを聞いて採点し、上位の人は何回も出演依頼するし、逆ならすぐ切る。採点のポイントはしゃべりがうまいか、的確に答えているかなど。もちろん、論調が局の(政府寄り)方針と一致していることは大切だ」
さらにこう付け加えた。「コメンテーターの人たちも商売っ気があり、できるだけ切られたくないのが本音だろう。われわれの要望以前に自粛する場合が少なくない。いわば『評論はしても、(政権)批判はしない』という姿勢だ」
その一方、「発言内容について条件を付けられたことはない」とイラク事情に詳しいアジア経済研究所の酒井啓子参事は話す。
酒井氏は自衛隊のイラク派遣の一年延長について「短期的な延長にとどめ、撤退の準備を始めるべきだ」と政策を批判した。それでも「NHKの『視点・論点』などの番組も含め、事前に原稿をチェックされたことはなかった」と語る。
酒井氏のケースは「許容範囲」だったのかもしれない。というのも、前出の制作関係者はこう漏らす。
■ネタ選び段階で自然とボツに…
「同僚のあるディレクターがイラク戦争開戦前の反戦運動に中高年が参加している点に興味をひかれ、特集番組を作ろうとした。取材を終え、編集していた段階でボツになった。そういう話が社内で広まると、ネタ選びの段階で(政治的に批判的な内容は)自然に避けるようになる」
こうしたテレビ局の政権に対する「配慮」は歴史的なものなのだろうか。
元NHK芸能ディレクターで、放送作家の滝大作氏は「終戦直後にあった『日曜娯楽版』というラジオ番組は、風刺色が強く政治を冷やかしていた。四、五年続いた番組だが、吉田茂内閣(当時)につぶされた。それ以来、芸能番組といえど神経を使う」と話す。
「権力の介入を許さないためには反発するか、自主規制するかだが、NHKの場合は反発を強めたり、弱めたりしてきた。良識といっても立場による。どこでバランスをとるかは執行部の姿勢いかん。今はそれがマイナスに働いている」
■視聴者は『生テレビ』見たいのに…
ただ、視聴者の立場ではこうした「配慮」は無用に映る。テレビ朝日の深夜の討論番組「朝まで生テレビ!」は大みそかの夜でも4・3%とその時間帯にしては高い視聴率を稼いだ。
司会を務めるジャーナリストの田原総一朗氏は理由を「(政治問題について)何も規制しないで言っているから。視聴者もそれを期待している。視聴者は本当のことが知りたい。ただ、僕にしても、久米宏さん、筑紫哲也さんなんかも社員じゃないから言える、という面もある」と分析する。
「自主規制はどの局でもある。番組のバランスをとるために日常的。局の政治部の人間が永田町の空気を分かっていて、永田町の常識と違うと『直した方が良い』となるのだろう。それが悪いとは一概には言えない。ただ、局の上層部、管理職からくる自主規制は歓迎しない。バランスバランスと言って、毒にもならないのでは面白くない。とんがらないと面白くない」
さらにこう疑問を投げかける。「左への偏向は問題になるのに、右への偏向は問題にならない。例えば、北朝鮮問題で、ワイドショーで『経済制裁をやれ』と言っても、それが偏向だとはあまり言われない」
実際、前出の制作関係者も「『両論併記』ということは、現場でもよく言われる。ただ、それは反戦運動などを扱う際に強調されがちで、逆にイラク派遣での防衛庁側の姿勢などを描く際には無視されてしまうのが実情だ」とうなずく。
ちなみに米国では政治的な「自主規制」はあるのか。タレントのデーブ・スペクター氏は「米国のマスコミも保守的になっていて、反戦的なテーマでは国民感情を察知して自主規制しがちだ。でも、政治家に対する配慮というのはない。日本のテレビは自民党を過剰に意識しすぎ。自民党に怒られちゃうから、というのでは情けない」
立教大学社会学部の服部孝章教授(メディア法)も「政権政党への配慮というようなものはメディアの自殺行為。視聴者、読者の信頼を失いかねず、存立にかかわる問題だ」と憂える。
その自民党が“テレビは政治的に公平でない”と訴え始めたきっかけは、細川連立政権の誕生だった。日本民間放送連盟の会合で、椿貞良・テレビ朝日報道局長(当時)が「自民党を敗北させないといけない」と述べた発言が問題化。一九九三年十月の衆院証人喚問では、自民党議員が「放送法に違反するのではないか」と椿氏を問いつめた。
森田氏は「以来、放送は認可事業だからテレビ局は認可が取り消されかねないと震え上がり、自主規制に走っている」と前置きした上で、こう警鐘を鳴らす。
「ただ、これは戦前に軍部が新聞社に対し『紙を回さない』と脅したのと同じ。その結果、大新聞は『大本営発表』を無批判に流し続けた。また、同じ轍(てつ)を踏もうというのか」
■関連法の抜粋
憲法二一条(2) 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
放送法第三条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又(また)は規律されることがない。
第三条の二(1) 放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。