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【週刊現代 2005 1/22号】
ジャーナリスト 松田賢弥 さんが興味深いルポを書いてられます。
小見出し
「思う通りにやってくれればいい」。北朝鮮に強硬な姿勢を見せる安部晋三自民党幹事長(当時)に対し、首相秘書官の飯島勲はこう指示したという。
尊大、懐疑的、閉鎖的、巧みなメディア操作・・・。この男について我々が抱くイメージは、虚像なのか、それとも実像なのか―。
第1回
≪どうしても観たい『隠し剣〜』≫
(省略します。一部だけ紹介)
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スマトラ沖の地震に直面しても、小泉の緊張感のなさはまるで変わらなかった。翌12月27日行われた政治部記者との懇談の席で、
「総理が映画を観ようとすると、でかいことが起きますね」
と話を向けられた小泉は、
「新潟地震のときは、引き返したよなぁ」
などと苦笑いしながら答えた。しかし、小泉はある事実に触れないようにしている。たしかに小泉は引き返したが、新潟地震発生当日、首相官邸に戻って、人命救助の指揮を執らなかったのだ。
「ダメです、ダメ。首相官邸に行っちゃ。まっすぐ公邸に向かってください。記者のぶら下がり(取材)にも応じないでください」
10月23日、六本木から専用車に乗り込んだ小泉に対し、矢継ぎ早に指示が下された。発言者は、首相秘書官の飯島勲(59歳)だった。
結局、この日のうちに首相官邸に「非常災害対策本部」は設置されなかった。
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≪首相が割った湯のみ茶碗≫
72年(昭和47年)に小泉事務所に入って以来、30年以上にわたり小泉の「使用人」として仕えてきた飯島。しかし、その事実上の主従関係は、逆転してきている。
日本政府は、北朝鮮から横田めぐみさん、松木薫さんのものとされる遺骨を持ち帰った。だが、04年12月8日、DNA鑑定の結果、別人のものと判明した。
それを知った数日後、「主人」である小泉は取り乱し、「使用人」に無様な姿を見せた。
ガチャーン!
湯飲み茶碗が、砕け散って派手な音を立てた。場所は首相公邸、投げつけたのは小泉だった。
ワイシャツ姿の首相の顔には、能面と見間違うほど、何の表情も浮かんでいなかった。
そして蒼白だった。
金正日総書記は、拉致問題について「すべて白紙に戻して再調査する」と約束してくれたはずだった。なのにこの結果は何なんだ。オレの顔に泥を塗る気か―。イラクで日本人青年が首を切断されて殺害されようと何ら痛痒を感じた風でもない小泉が怒りに震えていた。
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飯島は陶器の破片を拾い集めると、小泉はさらに当り散らした。
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「何やってんだ。そんなもんほうっておけ!何でオレを独りにするんだ」
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「こんな世間が騒がしいときに、よく太っていられるな!」
100s近い巨体を直立させ、飯島は上目使いで、小泉の感情が鎮まるのをひたすら待った。
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藪中は北朝鮮から帰国後、小泉に、
「遺骨は間違いなく横田(めぐみ)さんのものです」などと報告していた。
「それにしても、薮中は間違いなく栄転ですね」
飯島は皮肉を込めてそう言ったが、小泉はそっけなく、
「そんなこと、好きにすりゃいいじゃないか」と答えた。
飯島は、苛立ち、弱気になっている小泉にこう切り出した。
「もう正規のルートだけで交渉しても、北はまともに応えようとしないじゃないですか」
「どうしたいんだ」
「消去法で言ったら、朝鮮総連ルートを使うこともかんがえなくてはないんじゃないですか」
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(後は省略します。偽の遺骨を持ち帰った藪中局長の運命はいかに?)
≪曽我夫妻の再会を「利用しろ」≫
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≪働かされ続ける「主人」≫
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詳しい内容は、直接週刊誌をご覧ください。
それにしても、こんな首相は・・・・・・・・・。