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(回答先: 東京音頭さんへ、日本の長距離機の航空技術とか帝国主義の末路とかについて。 投稿者 新世紀人 日時 2005 年 1 月 12 日 13:22:30)
大切な事を書いておく必要が有ると思いました。
「地球」と「人間の中の反自然分子達」の戦いは「地球」の勝利に終わります。
反自然分子達は自然秩序への反乱分子であり、犯罪者でありますから、罰を自然から受けると言う事なのです。
人間が自然(地球)に勝てるわけが無いではありませんか。
何故かと言うと、自然と人間は対等ではないないからです。
自然と人間は「お隣同士の対等な人同士」とは違うのです。
他人や他民族を見下すと、自分達を何らかの高い「神」に近いものとしてしまって、自然をも見下す事になります。
自然も他人も他民族も「神への従属物」と看做すようになるのです。
自分の欲望の幻を「神」と看做すのです。
そのように「自滅へと向う迷路の袋小路」に誘い込まれてゆくのです。
しかし、「神」は本来は「自然の背後に在って隠れているもの」なのです。
ですから、「神」の声を聞きたいのならば、「あくまでも自然(地球)に従わなければ神の声を聞く事が出来ない」のです。
「人は自分と対等ではない自然に従い、その動き・法則に従う事により、初めて神の声を聞けるのです。」
ですから、ドグマ(教義)をそのままに解釈していては神の声に従う事は出来ません。
ユダヤ人が現在において自分達の国を建てたいと考えるならば、「旧約聖書の記述」にそのままに従っていたのでは、神に従う事にはならないと考えるのです。
「パレスチナ人が先住している所に自分達の国を建てる事が出来るだろうか? 自分達は出来る限り『故郷』に近いところに住みたい。であれば、パレスチナ人たちとどの様に交われば良いのだろうか?」と考える事が、
自然(現況)にしたがって考える事になり、それにより「平和的な解決法」が考え出されたならば、それが、
「神の声」なのです。
このように自然(社会・現況)に従い、背景の神を探ると言う姿勢は、イスラム教徒であれ、キリスト教徒であれ、採るべき行いである筈です。
尤も、そうすれば「宗教」は無くなってしまうかも知れません。
例えば、人間が大量の核兵器を地球上で爆発させて地球を痛めつけてしまえば、人間は生存出来なくなりますが、
地球の方は、重傷を負っても自分で傷を治して活き続けて行くのです。
たとえ地球が1ミリ程度の塵になっても、太陽系は自身のバランスを保つ為に、星の間の距離を変えて、また質を変えて活き続けて行くのです。
尤も、自滅する者達は限られていて、一部の戦争と破壊により彼らと彼らのシステムが崩壊してしまうだけのことになると考えています。
地球と仲の良い人間達が沢山いるからです。
地球はその人間達と仲良く活きてゆく事を願っておられるからです。
このように大きく見てゆけば、「自然と人間の簡単な秩序の構造」が子供でも学歴が無くても判るではありませんか。
このような簡単な事も判らなくなっているのが現在の人間社会なのですが、
それは、生活の総ての『動機』が「商売と金儲け」になってしまっているからです。
それを進めてゆけば「自滅」します。
従って、生活の「動機」を様々に分ける努力を、先ず行なうべきであると考えています。その事は、今でも出来る事なのです。
少しは、お役にたつでしょうか?
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