現在地 HOME > 掲示板 > 政治・選挙7 > 423.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
がします。世の中には感情論が溢れ、少し論理的に考えればさして問題でないことや解決するにはたった一つの方法しか無いことに、引きずり回され過ぎている。筋道立てて周りにも目を配りながら論理的に考えることを封印して「自分が快か不快か」だけで感情を撒き散らしていると、起こった出来事に対しての理解力・判断力が失われてしまいます。
マスコミの力も強烈で、ニュースに感情論は不要なはずですが思考を止めるような音楽やキャスターのコメントで「悲劇」「感動」が作られています。それをよく考えずに吸い込んでしまうと、本当に思考力が無くなり読解力も同時に低下してしまいます。最終的にできるのは「少し待って意味を考える」読解力を失った人たちです。
子どもなら周りの人が叱ればいいことですが、今は大人でもネットで悪感情を匿名で撒き散らせるので笑い事ではありません。(この辺は、小林よしのりがゴーマニズム宣言の最新刊でなかなか面白いことを書いていました。興味のある方は一読を。信奉者ではありませんが、一つの意見として読む価値はあるでしょう)社会全体が「理解力・読解力」を封印し始めているので、消費者に迎合する広告業界ひいてはマスコミは「アホでもわからなきゃ売れない」とばかりにレベルを落としていき、ますます日本に蔓延する言葉は稚拙なモノになっていくわけです。(マーケティングも仕事にしているので、私も加担していると言えばしています)
もちろん、感情がダメというわけではありません。何かに感動する思いや「感性」を育てることは必要です。感性が枯れたら人間は終わりです。映画や音楽や本や日々の喜びに感情を揺すぶられて言葉に出すことも人間の特権です。その潤いを守ることと、思考停止の感情論だけで生きることは別モノです。
偉そうに書きましたが、読解力の問題は学校や教育の問題だけじゃないと言いたかっただけです。だが商業主義に乗っかってるマスコミには期待できない。家庭や社会全体で意識的に鍛えることが必要。具体的な方法に関しては、「簡単に答えを出さない」習慣を作るということでしょうか。こういう点で、数学の困難な問題を解く子が国語に目覚めると凄いところがあります。もともと「頭の粘り」があるので、引っかかる言葉や文章を思考で突破してきます。
ほんで、お前は何ができるねん、と聞かれたら「受験を通してタフな子どもを鍛える」手伝いをすることと答えるしかありません。論説文