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http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/home2.htm
研究所で、現在作成中の労働運動資料集の編集会議がありました。私も担当部分の進行状況について報告しました。
これで、今年の研究所での業務は基本的に終了です。忘年会の帰り道、夜空を見上げてすぎ来し方を振り返りました。この一年、何をなしたのかと……。
研究所の閲覧業務は25日の土曜日まで行いますが、私は出勤しません。24日の金曜日が最後ということになります。
来年の年始も、業務が始まる1月8日は土曜日ですので、私は出勤しません。10日の月曜日が祭日ですから、初出勤は11日(火)です。
この年末年始、曜日の並び具合によって、休みを2日も得した勘定です。お陰で、長い休暇をノンビリと過ごせそうです。
このような、年も押し詰まってきたなか、改憲に向けての新たな動きが始まっています。昨日、自民党が党本部で新憲法制定推進本部の初会合を開いたからです。
この会合では、来年11月の結党50年に向けて党独自の憲法改正草案の策定作業を本格的に進める方針が確認されました。本部長に就任した小泉首相は、「国民の声を広く聞き、党内の意見や党憲法調査会の議論を踏まえ、時代にふさわしい立党の精神に沿った立派な憲法を作りたい」と述べたそうです。
「時代にふさわしい立派な憲法」とは、平和・民主理念を謳った現行憲法以外にはありません。それをどうして、変えなければならないのでしょうか。
そもそも、現職の首相が改憲の先頭に立つなどということは許されません。これは、憲法第99条の憲法尊重擁護義務違反にあたるからです。
この憲法第99条は、次のようになっています。
第99条[憲法尊重擁護義務] 天皇又は摂政及び確立された国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
この規定について、憲法学者の水島朝穂早稲田大学教授は、「国務大臣たる資格で憲法改正を主張することはできない」として、個人HPの「直言」で、次のように解説しています。まして、総理大臣たるもの、「憲法改正」の先頭に立つなど、決してあってはならないことでしょう。
……列挙された5つの職は、天皇(摂政)と三権(立法、司法、行政)を構成するそれぞれの担い手であって、それをあえて具体的に列挙することにより、「憲法を守らない可能性がある者」(山内元村長)に注意を喚起しようとしたものと言える。天皇については、もともと政治的権能を有しないから(第4条1項)、だめ押し的な確認の意味をもつ。なお、列挙された職を除く「その他の公務員」の射程は広く、国および地方の公務員すべてが含まれ、勤務形態を問わない。
「尊重義務」ではなく、「尊重擁護義務」になっていることから、単に憲法を守るだけでなく、憲法違反行為の予防から、違反行為が現実に発生した場合における抵抗、さらには憲法の規範力回復に至る積極的努力義務も含まれる。ただ、この義務は「倫理的・道徳的性質」のもので、刑事罰や処分・弾劾事由に直ちに連動しないとされる。
では、現行憲法の廃棄や破棄を主張することは許されるか。一般国民ならば、表現の自由の範囲内にある。だが、国務大臣がそのような主張をした場合はどうか。96条の改正手続以外の方法で憲法の変更を求める主張、あるいは憲法改正の限界を超える改憲主張(改正限界説をとった場合)は、この義務に抵触すると考えられる(樋口陽一『憲法T』など)。また、憲法改正の発議は国会が行うことから、改正の発案権は国会議員だけにあると考えれば、国務大臣たる資格で憲法改正を主張することはできないことになろう(樋口・同)。
第99条の規定には、「単に憲法を守るだけでなく、憲法違反行為の予防から、違反行為が現実に発生した場合における抵抗、さらには憲法の規範力回復に至る積極的努力義務も含まれる」というのが、水島さんの見解です。私もそう思います。
「憲法の規範力回復に至る積極的努力義務」を最も有しているはずの総理大臣が、このような「規範力」に疑問を呈し、弱めるかのような行動の先頭に立とうとしています。まことに、逆行政治の最たるものだというべきでしょう。
あの改憲論者の中曽根元首相でさえ、衆院予算委員会での質問に答えて、「私個人は議員としては憲法改正論をいってきたが、首相としての公の立場はおのずから別だ」(『朝日新聞』1982年12月13日付夕刊)と述べていました。小泉首相には「公の立場はおのずから別」だとするこのような憲法上の配慮は全くないようです。
「反憲法宰相」小泉首相は、自民党新憲法制定推進本部の本部長就任を直ちに撤回し、辞任するべきです。そうでなければ、いずれ憲法第99条違反として訴えられることになるでしょう。
しかし本来なら、それ以前にこのような暴挙は世論の大きな批判を受けるはずのものです。そうなっていないところに、現代日本の憲法をめぐる状況の一端が現れているということでしょうか……。
★たしかに、世論の盛り上がりがないというところがいちばん問題。