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http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/12/cia.html
12/19/2004
CIAとコカイン密売の関係を暴露したジャーナリストが「自殺」
「いいか、ジョージ。私は捕虜達を捜し続けるが、米国政府が世界中に麻薬を流通させて、違法な武器取引をしているという件をなんとしても暴いてやるぞ。私が捕虜達を助けられないとしたら、わが国の工作員達が堕落しているおかげだ」
("Well George, I go in looking for prisoners, but I spend my time discovering the government has been moving drugs around the world ands is involved in illegal arms deals. I can't get at our prisoners because of the corruption of our own covert people.")
-- --1987年、当時副大統領のジョージ・H・W・ブッシュが、テキサスの大富豪ロス・ペロー氏に、ベトナム戦争捕虜の調査の進行具合を尋ねた際、ロス・ペロー氏が怒って父ブッシュに言い放った言葉(ペロー氏は私費を投じてベトナム戦争捕虜の救出活動をした異色の大統領候補)
事件を最初に警察に通報した引越し業者の証言では、ウェッブ氏の自宅玄関ドアには「どうか中に入らないでください。911へ連絡して救急車を呼んでください」と書かれたメモが貼り付けられていたという。
ゲイリー・ウェッブ氏(享年49)をジャーナリストとして最も有名にしたのは、『80年代の米国で、ニカラグアの反政府組織コントラが資金調達のため米国内のドラッグ密売ルートを開拓し、CIAはそうしたコントラの犯罪活動(コカイン密売)を極秘裏に支援していた結果、コカインが米国で大流行することになった』という一連の調査報道であった。この衝撃的なレポートは1996年にサンノゼ・マーキュリーニュース紙上で連載され、米国内は騒然となった。
しかし、NYタイムズ、LAタイムズ、ワシントンポスト他アメリカの大手メディアはウェッブ氏の調査報道を「信頼性に欠ける」として一斉攻撃し、米政府もCIAに対する疑惑を否定した。ついには記事を掲載したサンノゼ・マーキュリーニュース紙自らウェッブ氏の報道の信頼性を否定し、ウェッブ氏を追い出しにかかった。
政府・同業者・同僚からの攻撃に逃げ場を失ったゲイリー・ウェッブ氏は調査を中止してサンノゼ紙を辞職、その後主要メディア上での活躍の場を失った。(後にウェッブ氏は一連の調査を書籍「Dark Alliance: The CIA, the Contras and the Crack Cocaine Explosion(影の同盟:CIA、コントラとクラック・コカイン大流行)にまとめあげた。)
ところが、1998年3月に行われた下院情報調査委員会で、CIA監査官フレッド・P・ヒッツ氏は、米国内でドラッグ密売に関わっているコントラメンバーとCIA工作員の関係を証言し、議員達は仰天することになる。さらに委員会で問題となったのは、1982年から1995年の間、CIAと司法省の間で、「お互いの不正を調査しない」密約が交わされていたという事実であった。FBI、CIA他政府機関は、コントラによるアメリカ国内ドラッグ密売ビジネスを黙認していたわけである。(密約の背景には、1981年の大統領令第12333(レーガン大統領発布):ニカラグア・サンディニエスタ政権転覆を目的としたCIA工作活動の承認があった)
つまり、ゲイリー・ウェッブ氏の調査報道は真相に迫っていたのである。
80年代、レーガン政権は「ドラッグとの戦争」を宣言し、ドラッグ密売ルート撲滅運動を推進していた。しかし実際には、アメリカ国内の薬物汚染拡大の一端を、米国政府自身が担っていたというわけだ。そのレーガン政権のドラッグ撲滅運動の責任者を務めたのは、当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュであった。
レーガンの選挙キャンペーン責任者として、イラン・コントラ事件の発端となる「オクトーバー・サプライズ」を仕掛けた元CIA長官であるブッシュ父は、CIA・コントラ組織のドラッグ密売ルートを承知していた事実も判明している。ブッシュ父が率いた「麻薬対策チーム」は、極端な表現をすれば、政府に承認されていない(ライバルの)ドラッグ密売ルートを撲滅することで、CIA-コントラのコカイン販売網を拡大していたことになる。
米政府の暗部を見事に暴いたゲイリー・ウェッブ氏は、図らずもブッシュ家の芝生を踏んでいたのだ。
サクラメント検視局のロバート・ライアン氏の発表によれば、ゲイリー・ウェッブ氏は顔面に2発の銃弾を浴びて自殺していたとのことである。自分の顔面を2回撃った?---ライアン氏は「2発の銃弾で自殺するのは異例なことだが、過去にも起きているし、実際充分起こりうるものだ」と説明している。
そのとおり。全ては過去に前例がある。以下に、ブッシュ家の過去を探っている途中で自殺したジャーナリストの事例を挙げておこう。
* 1991年8月10日:BCCIスキャンダル、オクトーバー・サプライズ等(どちらもブッシュ父関連事件)、INSLAW社疑惑(クリントン)の調査報道で知られるジャーナリストのダニー・カサラロ氏(Danny Casalaro)が、バージニア州マーティンズバーグのシェラトンホテルの浴槽で、死体として発見された。手首が10回ほど切られていることから、警察当局は自殺と断定。カサラロ氏はブッシュ父にまつわる最新暴露本「The Octopus」を執筆中であったが、自殺時に所有していたはずの調査資料、原稿は全て紛失していた。
* 2000年3月22日:ニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、マーク・ロンバルディ氏(Mark Lombardi)が、自宅ロフトで首つり死体として発見された。ロンバルディ氏(享年48)はブッシュ家とビン・ラディン家、サウジ王家、BCCI他の関わる複雑な資金ルートを詳細に調査し、グラフィックアート作品として発表、展覧会を開催して物議を醸した異色のアーティストであった。(作品は書籍「Mark Lombardi: Global Networks」として販売されている)
* 2001年7月18日:アーカンソー州スプリングデール郡のホテルの一室で、ジャーナリストのJ.H. ハットフィールド氏(J.H. Hatfield)が死体として発見された。警察当局の検死により、2種類の薬物過剰投与による自殺と断定された。ハットフィールド氏(享年43)は当時大統領候補として注目を集めていたジョージ・W・ブッシュの経歴を綿密に調査し、1972年にブッシュがコカイン使用で逮捕されていた事実をつきとめ、1999年に「Fortunate Son: George W. Bush and the Making of an American President」(初版1999年刊行)(邦訳は「幸運なる二世ジョージ・ブッシュの真実」(青山出版社/2001年4月刊行、現在絶版)として刊行、ベストセラーとなるが、すぐにブッシュ本人の圧力により出版社が同書を回収し大騒動となった。(ブッシュは自らのコカイン使用疑惑について、結局今日まで事実を明確に否定できないまま、ひたすら疑惑への言及を避けており、「Fortunate Son」も出版元を変えて再刊されることになった)死亡直前、ハットフィールド氏はブッシュ家とビン・ラディン家のお金の流れを詳細にわたり調査中であったと見られている。(遺稿となった2001年7月3日の記事もそれを示している)
以上の事例を鑑みると、ゲイリー・ウェッブ氏の自殺は、“充分起こりうるものであった”と理解できる。
投稿: 06:49 午前