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「週刊現代」2005.02.05号
メディア通信簿
政治家の検閲をすすんで受けるNHKの体質 岩瀬達哉(稿)
NHKが政治家に弱いことは、周知の事実といっていい。元NHK会長の島桂次氏も、1995年に出版した自著で、「NHKが政治家の介入を許す理由」として、最高意思決定機関である経営委員会の人事が政府与党に握られていること、毎年の予算が国会承認を必要とすることなど、その構造的問題点を明らかにしている。
今回もまた、2001年1月に放送された特集番組が、放送直前に自民党の有力政治家から”圧力”を受け、内容が”改変”されたというのだ。
この番組は、旧日本軍の従軍慰安婦問題をとりあげたものだった。一方、圧力をかけたとされる政治家は、慰安婦問題などの教科書への取り上げ方をチェックしている「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の中川昭一代議士(現経済産業相)と、安倍晋三代議士(現自民党幹事長代理)。中川氏は、当時、同会代表であり、安倍氏は同事務局長であった。
圧力があったとすれば、政治家に弱いNHKだけに、簡単に番組内容を改変したであろうと想像される。時期も、予算編成の直前である。
しかし当時の状況がしだいに明らかになるにつれ、今回は、より深刻な問題が内包されていることに気付かされる。
問題の核心は、圧力に屈したことではない。番組内容が検閲されていたことである。放送前に、その内容を政治家に説明し、「意見」を拝聴し、それを受け入れていたというのであれば、これは事実上の検閲である。ましてNHKでは、自らすすんで検閲を求めていたことになる。
私も活字の世界で長く仕事をしているが、原稿内容を発表前に、第三者に事前説明するなどありえないことだ。その内容が、議論の分かれるものであればあるほど、そんなことをすれば、一方の勢力からさまざまな圧力や働きかけを受け、自ら信じる公正な論評や報道ができにくくなるからだ。
NHKの説明では、今回の一件は、「予算の説明を行う際に番組の趣旨などを説明した」だけで、検閲はなかった。まして、政治家からの圧力によって内容を変えたわけではなく、自主的な判断で放送内容を編集しただけとなる。苦しい限りの弁明である。
では、いったい、なぜ、予算の説明時に、予算とは関係のない放送内容を明かす必要があったというのか。かりに、番組内容がなんらかの理由で事前に漏れ、政治家の側から話題にされたとしても、説明を拒否すべきである。それが言論報道機関としての取るべき態度であろう。
かつて英国のBBCは、フォークランド紛争や北アイルランド問題の報道をめぐって、英国政府から攻撃を受けたことがある。その際、BBCでは、その内幕を番組にし、放送し、政治的圧力を跳ね返している。そこまでの気概をNHKに求めるのは無理としても、自らすすんで検閲をうけるとは信じがたいものがある。
「放送法は放送局に不偏不党を義務づけているが、それは番組全体の政治的公正を求めているのであって、個々の番組のことではない」(清水英夫著、『マスメディアの自由と責任』より)
公正・中立という概念自体、人によってズレがある。そのような危うい基準で、作り手の側のユニークな視点や問題意識を殺(そ)いでしまえば、どうなるか。民主主義の基本である広範な議論もまた、起こりにくくなるといっていい。
現在、この検閲問題は、内部告発したNHKのチーフプロデューサーとそれを最初に報じた朝日新聞対、検閲はなかったとするNHK及び中川、安倍両氏との全面対決の構図にある。
ぜひとも、白黒をつけてもらいたいものだが、おそらくは、うやむやにされてしまうことだろう。朝日新聞自体、傘下に”政治家に弱い”多数の系列局を抱えているうえ、取材拠点である全国の「記者クラブ」経費の大半を、公権力の側に負担してもらっているのである。公権力からの経済的便宜供与を享受しているのは、朝日新聞一社だけではないものの、そのようなメディアに公権力と徹底対峙することなど、まず不可能だからだ。